たとえば、
板書(古い?)を写すのに必死・・という状態では
気付き、という次のステップにはたどり着かないでしょう。
正しい記録は、それは尊いものです。
記録を見て、
自分が何を気づいたのか
こちらのほうが重要だと思うのです。
このステップは、
いったん、とりこんで、
自分の頭で考える、という工程だからです。
もう一つは、先生の雑談。
書いてないこと、予定ではないことを
これは貴重な情報。
先生に習っているのですから
先生の全てを吸収しよう、とか
昔でいう、先生から盗む、という表現ですよね。