わたしも、この日のできごとは
衝撃で、喜びだったな。
本質に触れた瞬間、ということか。
千住真理子の本で
高齢者施設(またはホスピス?)で、バイオリン演奏したエピソードを
思い出しました。
手元に本がないので、あやふやですが・・・
高齢者施設かホスピス・・?で、演奏したとき
「ふるさと」「あかとんぼ」など
なじみのある曲を選び、披露していた。
途中で「これじゃない、違う」とおもい、
バッハの無伴奏パルティータを弾いた
聞いている、高齢者の目つきが急に変わって
雰囲気もガラリと変わった
という風な話。・・・・・・・「千住真理子」
これだったかな・・・彼女のすべての著書を読んだのでどの本か、不明。
これは、難しい曲が、素晴らしいということではなく
なじみのある曲がダメだという意味ではありません。
「伝わる」魂に伝わる、ということ。
カッとめを見開き、くいいるように演奏を見る、耳を澄まし、
目を見開く
そういうのは演奏者に伝わります。
まえふりが、ながくなりすぎました。
先日のベビ男の変化。
いつも、「なじみのある曲」「一緒に歌ってみる曲」
を、体を動かしながら歌っていた。
たまたまあの日、息子(べビ男のパパ)と
真剣にバイオリン&ピアノを
ベビ男、そっちのけ(横にいたかな?)で
わたしと弾きはじめた。
急に、ゾーンに入り込む私と息子(ベビ男のパパ)
ベビ男、知らない曲だけど
音は真剣。こういうのは、こどもでもわかるよね。
忘れていたけど。
そして、
「自分もやってみたい」「自分がやってみたい」
「同じようにしたい」
って
内面からあふれてきた瞬間だ。
知っている曲は、楽しいけれど
知らない曲でも、こっちが真剣に弾くと
空気感なのか、その集中力なのか
こどもには、ガツンとくるんだな、って事。
「ベビ男も、弾くううう」
「パパのバイオリンでベビ男が弾くううう」
うわーん、できるやりたい、できる
これえええ(大泣き)
そのあと、同じような音をだそうと、涙がたまった目で弦をこする
の図
なみだが、いっぱいの目だけど真剣
そして、
ッ勝手に
自分で椅子の位置を確認して、
背中、まっすぐ、弾きはじめた。
(パパにはバイオリン弾け、と命令していた笑)