22日に亡くなって、
23日午前中に打合せ、→遺体の傷みが激しくすぐにエンバーミングをお願いしたことで、時間ができました。
処置に8時間預けるとなると、会場に待機する意味はありません。
葬儀のスライドや、写真用にアルバムをさがしたい、と母と叔母が言いだし
一度は、ふたりを連れて行かないといけないのは間違いなく
一緒のほうがいいだろう、と判断。
別の視点で、
住居の、状況確認(モノの量や状態)やライフラインの把握、重要なモノ(通帳や印鑑など)をしておきたいなと考えました。
ではいきましょうと、私の運転ですぐに移動したのです。
*同行者・・母、叔母、わたし、叔母の子・・合計4人/叔母の夫は体調を整えるために自宅に戻ってもらう判断。
話を戻します。
お願いするお寺の都合や、焼き場の関係で
24は、なにもなく
25通夜
26告別式
と日時がきまったのが22の夜です。
まず、23日の亡き弟の家からの帰路
墓じまいの話を、24の、ブランクの日に話し合おう、と
きめました。
その準備を23の夜にはじめました。
23日にどんなふうに根回ししていったのか
順番に記事にします。
なかなかの連携プレーです。
「時間を味方につけた話し合い」
です。