自分を後回しにしない。
気持ね。
日常で特にそうです。
少し前の話ですが
次男の大学卒業式の日の話です、
こそだて最後の卒業式だな、というけじめのような気持ちがあって
夫とふたりで行く予定にしていました。
そのあと、同じ日に新幹線の距離の場所で、どうしても受講したい講座をみつけてしまったのです。
迷いました。
今までの自分だったら、子どもの行事以上に魅力的な用事など
存在しなかったのに、「迷う」という状態は
わたしは、行きたいんだな、
ということがわかった瞬間です。
自分で、驚いてそして感動しました。
なんだか、自分が子供から(?)自立したような感動があったのです。
笑っちゃいますけれどね。
でね、
迷うって、どういうこと?
責任感?それとも、約束したから?それとも、なんだろう・・
息子に言いました。
「同じ日に、新幹線の距離の場所で開かれる講座にどうしても行きたくなったから、卒業式は行かないことにしたごめんね、」って
*決定事項のように言ったわ。
わたしが息子の立場だったら
自分の卒業式があったから、お母さんが本当は行きたい講座を我慢した、なんて、迷惑な話だろう
それを、私の妄想や責任感で、行くのをやめて勝手に卒業式をえらぶなんて最悪だ。って
これね、多くの人もよくやってる。
子どもがいるからいまは受講できない(本当はやりたいのに)
夫が帰宅する時間だから、できない(本当はやりたいのに)
うそつき。ずる。
これやりつづけると、こどものこともキライになったり
夫のことも勝手に恨んだりするようになる。
自己犠牲が美徳だなんて、わたしからいわせると
へん。
自分の願い、やりたいことがあるなら
自分でかなえていく
ブログが書けないとき、
その言い訳に、あなたは何を使っているのか?
あなたの大切なヒトや大切なコトに責任をおしつえて
まるで、自分は被害者のように
縮こまる生活
わたしは、そういうのはイヤだし、そんな母親の姿を見せたくはない。
我慢していると、相手のことを嫌いになる。
勝手に我慢しているくせに
ひとり我慢相撲。