親の家に行くとき、
私は、わすれないようにしていることがある。
行かない、という選択もできる。
やらない、という選択もできる。
無視する、という選択もできる。
ということだ。
「行く」を選んだのは、自分。
ここを、忘れると、怒りの感情がわくのだ。
相手に対しての怒り、相手や「その事象」がキライに感じてしまう
のです。
だから、本心じゃないモノ、コトは選びません。
まあねえ、
だいたい想定内ですが実家の場合
どうして、こんなふうになっちゃうのかな。
という状態、状況は
不思議でたまらなくなるのです。
心地よいと感じる度合いは、ひとそれぞれだろうけれど
この画像は玄関です。
大きな茶色の段ボールは米が30キロ入っています。
ミカンは、もうカラです。
とりあえず、段ボールをつぶしたところです。
手すりにスリッパ。
米はあと15キロ。
15キロが2袋。
1つは開封してあります。
途中まで、2合ずつ袋に入れたと推察(冷蔵庫に散乱)
生活を立て直す、ではなく
生活を作っていく、整えていくことが重要なんじゃないかな。
それとも、これでいいのか?
かまわないのか。
ねえ?
掃除って、まず省くよね。