朝から断捨離しました。
吐き気がするほど、モノが多かったのです。
わたしにとって、生地類や地下スタジオの断捨離は
ものすごいエネルギーを消耗することなのです。
そう、好きだから。
この、好きだから、私の判断を狂わせます。
どうしてモノが増えるのか?
は
判断が狂うからです。
今日は、半分しかやりませんでした。
やりたくなくなったのです。
これは、今日の断捨離した生地類です。
メインの片づけは、これじゃないのです。
断捨離するときって、
「ここ」とか「この部屋」とか決める方法かもしれませんが
じっさいは、
ドミノ倒しのように、根っこの深い部分をいじらないと
対処療法でしかなく、
リバウンドします。
ここでいうリバウンドは、 目先のうわべだけの片づけ、という意味です。
箱の中もすべて出して、
容器の中もすべて出します。
右側の容器も出しています。
地下スタジオのここにおいてあったものです。
隣のブルーの3段箱は、いじりません。
これらは、レザーだからです。今回はレザーはいじらない。
大きく、わけるのがはじまり。
このとき、判断材料は
①そのままの状態でも、気に入ってい素材なのか?
②自分の時間を使ってまで作りたい素材なのか?
この2つしかないのです。
それなのに
わたしは生地類が、本当に好きなので
判断が狂ってしまうのです。
たとえば・・・
「今はひらめかないけれど、いつか
ひらめくんじゃないかな?」
とか
「これは、●●さんの好みじゃないかな?いつか欲しいって言うかもしれないからとっておこう」
とか。
まあ、好きである、ということはそういうことなのでしょう。
ハギレも、まとめて右側の容器に入れています。
次の段階で、また処分するものが
増えます。
次の段階とは、アイロンをかけて、整理することです。
そう、大事にしているものを処分するには
ステップが必要なのです。
時間を置く、ということもそうですが
私のばあい・・・・
手をかける、
というステップです。
手をかけるのが、面倒だな、とチラッとでもかすめたら
大事ではない、という判断になるのです。
めんどくさいって、
意外と重要な判断材料だったりします。
面倒なら、捨てろ。
って思ってます。
これね、人に対してもそう。
あの人に電話か、面倒だな、と思うとき
もうそのコト、場合によってはヒト、が
大事ではなくなってるということ。
だから、わたしは、誰かが「面倒」ということばを
くちにしたとき
同じ様に、判断しちゃうんですよね。
ああ、そうなのね。わかったわ。って。
でしょ?