深夜ですが久々にやりとりもしました。
結局、やるのか、やらないのか、
やりたいのか、やりたくないのか。
は
その家庭が決めることです。
人間ですから迷いながらやるのもたいへん尊いことです。
しかしながら、
それとは別に、
習慣を贈る、という点については、そうむずかいいことではないと思うのです。
たとえば、昨日のバイオリン。
どうなりたいのか、
親は先生じゃない。
親には親の立ち位置がある。
なにも、親が教える必要はないです。
ここをまず、間違えないことです。
親の立ち位置、親の仕事は何か?
レッスンにむかう姿勢です。
何かを習うとき、どういう姿勢で向かうのかを、
親(あなたや夫)がどう自分たちのこどもにつたえたいのか。
そういうことです。
なにも、一足飛びに、早く早く、上級の曲を弾けるようになる、というのは違います。
私が心がけたことは当たり前のことを
呼吸するようになじむように、です。
●先生に、直してきなさい、と言われたことは次回のレッスンまでに直す
●ここまで見てきなさい、といわれたことは次回のレッスンまでにみてくる
●レッスンを、キャンセル(お休み)しない
これらは、もう当たり前すぎることです。
そう、
当り前な習慣にしていけば、なんでもないことです。
これは勉強でもそうなっていくでしょう。
バイオリンで、そういう姿勢が身についているならば
勉強にも反映するでしょう。
わたしはそういう考え方です。
親の立ち位置です。
家庭で、どうやってやってきたのか、ということです。
親は先生ではないわけです。
習う、勉強する、というのは、こういうことですよ、と
息子たちに時間をかけて伝えたのです。
その方法は極めて単純なのです。
それを、音楽講座として伝えています。