長く、引き継がれること
家族
おうち
「手」
だと思う。
手入れをする
「あるもので暮らす」
「もっているものをつかいこなす」
もうずっと前から、わたしは効率を優先する生活は
実は、
それ自体を複雑にして余計に忙しくするということを感じていました。
手抜き、ずぼら、それらのことばを、自分から言うことで
免罪符のように、どこかかっこいいような風潮に
もったいないな、と感じていました。
効率化する、便利グッズも、わたしはもったいないくて
しなかった。
自分の手を使って、やる
勉強も、習い事も、学校も、あらゆるものを
いままでは、外注の世の中でした。
「こどもが、こどもとして生活し、大人が大人として生活する」
自分の足で立って。
そして、外注しないで自分の手で生きる。
そういうことじゃないかと思うのです。
エミールの中に好きな言葉があります。
「子どもは大人ではない。子どもは子どもである」
エミール
「人は子ども時代というものを知らない。・・・いつも子どもを大人に近づけることばかりに夢中になり、大人になるまでの子どもの状態がどのようなものであったかを考えようとはしない」
「子どもは大人ではない。子どもは子どもである」
さて、そして
コロナで、みな「なにか勉強しよう」「こどもと家族と向き合おう」と
感じていると思います。
私も、悩んでいます。
誰と生きていくか。です。
いままで外注していたものや、コト、がすべて
自分のてもとに戻ってきました。
学校や会社まで休みになって
自宅待機。
おどろいているだけで本当は、素晴らしく尊いことだと
みんなわかっているのだと思います。
だから、手作り、というワードがSNSにもあふれています。
家族との生活を味わっているのですよね。
手をかける。
手を使う。
人間は、手を使って成長する。
自分の大切なモノ
自分の大切なコト
自分の大切なヒト
に
自分の手を使って、考える
先日、実家に行ったのは
持病の通院の送迎をするためです。
食事を整えるためです
生活の清潔を保つためです。
送迎は、介護タクシーを利用していますが
複数人乗り合うタイプなので
持病のある母は、リスクがあります。
自律、ということは、いまは優先順位はかわりますね。
話しを戻しましょう。
外注していたモノ、コト、が自分の「おうち」・・手に戻ってきたのです。
貴重です。
もういちど、手を使うくらしをしてみる
そう解釈しています。
シンデレラの時間割®で伝えていることと同じだな
と
わたしは思うのです。
とっくに知っていること
もう、みんな持っているけれど忘れてしまっているコト
思い出して、
もう一度、自分の手を使って
家族の空間を整える喜びを
思い出す。
時間はあります。