それでは、わたしがいったいどこからてをつけたのか?
について
記事にします。
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まず
親の家は、私の家ではないということ。
これは、人としてのマナーです。
この日は、「どうしても、やろう」という気持ちと
短時間で、心が動くモノ。
キッチンの蛇口にしました。
光るべきものは、光らせる。
命の「水」の蛇口を清めよう。
そう決めたのです。
大事なことは、一時的な
その場しのぎの「片づけ」はやらないことです。
うわっつらの「一見片付いたようにみえる」という掃除は
何の解決にもならないのですから。
蛇口の効果は、予想以上でした。
人間は、感動したときに
心が開いて「どうやったの?」と知りたくなるのです。
そして「何を使ったのか?」と聞かれたときに
「ここにあった、ママがいつも使っているもの」だけで
できるんだよ、と
伝えます。
特別な道具は、構えてしますものです。
一瞬は興味を持つでしょうけれど長くは続きません。
本人が使い慣れたいつもの道具で、
ちょっとしたコツ(何度かこするればいいだけ)
だよと
簡単であることを「見せればいい」のです。
そう、視覚に訴えるだけ。
私が、着目したのは「部分と視覚」です。
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