毎日名盤第41回 シノーポリのエルガー交響曲第1番を聴く | Eugenの鑑賞日記

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 エルガー 交響曲第1番 推薦盤 シノーポリ指揮 フィルハーモニア管 ドイツ・グラモフォン 1990年

 4月20日は、鬼才の指揮者、シノーポリの命日である。2001年、ベルリン・ドイツ・オペラでヴェルディの《アイーダ》を指揮中に心筋梗塞で倒れて亡くなったこの指揮者は、現在生きていれば74歳。彼が生きていたなら、今日の指揮者界はもっと充実したものになっていただろうに、と悔やまずにはいられない。残された録音は、シューベルトの《未完成》にメンデルスゾーン《イタリア》、マーラーの交響曲第5番(いずれもフィルハーモニア管)、シューマン交響曲全集、ベートーヴェンの《第九》(いずれもシュターツカペレ・ドレスデン)など、名演ぞろいである。

 今回ご紹介する、エルガーの交響曲第1番もまた明快でしなやかな演奏、彼の代表盤であろう。エルガーといえば、《エニグマ変奏曲》、《愛の挨拶》、チェロ協奏曲が圧倒的に有名だが、この交響曲第1番も、ノスタルジーあふれる名曲である。ブラームスの交響曲第3番やブルックナーの交響曲第8番の初演を行った指揮者ハンス・リヒターも気に入っていたというこの魅惑の逸品は、同時代のマーラー、シベリウスの交響曲と並ぶ偉業であろう。作曲者はこの作品の初演で英国の聴衆から喝采を浴び、パーセル以来の英国生粋の歴史に名を刻んだ作曲家となったのである。

 第1楽章の冒頭は、フランクの交響曲と同じように、全曲を貫く「循環主題」が登場するが、そのロマンティックさ、ノスタルジーは、《エニグマ》と通じるところがある。エルガーのあこがれ、と言ったらいいだろうか。主部に入ると、そこは音楽の嵐である。葛藤があり、メランコリーがあり(チャイコフスキーのメランコリーは苦手だが、エルガーのメランコリーは好きである)、魂の躍動がある。アシュケナージも取り上げたN響定期の放送で聴いたときは、いまいちその錯綜する曲想について行けなかったが、シノーポリの理路整然とした演奏で聴くと、実によく内容が伝わってくる。それでいて、決して即物的ではないところが彼のすごさであろう。

 第2楽章は、森の奥の川のほとりで休憩しているエルガーの姿が浮かんでくるような楽しいスケルツォで、特にトリオの愛らしいメロディがチャーミングである。主部の第2主題の力強さも印象的だ。トリオの主題がスケルツォの回帰後にもう一度出てくるあたりの陶酔感は絶品だし、次のアダージョ楽章への推移部の神秘的な雰囲気は一度味わうと忘れられない。

 第3楽章は、《ニムロッド》にも匹敵する名旋律が繰り広げられるが、シノーポリのイタリア人としての歌心が見事にこの曲にマッチした。イギリスのほの暗い空や、歴史ある家々の並ぶ田園風景が広がるようである。実は、第1主題は、前の楽章の最初の駆けるような主題と音並びが全く一緒(それゆえ、ブルックナーの5番の第2楽章と第3楽章の関係を思い出す)なのだ。同じ音並びで、こうも曲想を変えてしまうエルガーには脱帽である。そして、すべてが闇に消えてゆくようなコーダ。恍惚の極みである。

 第4楽章、短い序奏を経て主部に入ると、なんとも魅力的な第1主題が現れ、やがて《循環主題》も顔を出すが、主部の第1主題部は全くブラームスの第3交響曲の第4楽章そっくりである。曲はクライマックスに至ると、《循環主題》が朗々と奏でられるが、ここは実に感動的で、鳥肌が立ってしまう。その感動のうちに曲は終わる。

 エルガーの第1交響曲、ぜひとも夭折の天才シノーポリの演奏で聴いていただきたいと思う。

 演奏 ★★★★★

 録音 ★★★★☆

 総合 ★★★★★