毎日名盤第40回 ヤンソンスのマーラー交響曲第5番を聴く | Eugenの鑑賞日記

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 マーラー 交響曲第5番 推薦盤 ヤンソンス指揮 バイエルン放送響 BR=KLASSIK 2016年ライヴ

 4月19日のクラシック音楽館は、見ていて胸が痛くなってきた。コロナウイルスの騒ぎで、どこもかしこも音楽活動停止にあえぐ日々。そして、再開の見通しも立たず、オケによっては存続すら危ういところもあるという。番組の冒頭には、マーラーの交響曲第5番から、アダージェットが放送されたが、そこでふと、「最近マーラーの5番を聴いていないな」と思ったので、久々に聴いてみることにした。

 マーラーの5番は、なんといってもプレートルの熱演が印象的だし、バーンスタインは言うまでもなく名盤、また4月20日が命日のシノーポリも名盤を残している。今回取り上げるのは、昨年11月に亡くなったヤンソンスのバイエルン放送響とのライヴ録音である。同じ年にコンセルトヘボウと録音した「第7」とともに、ヤンソンス晩年の美しい演奏となった。たびたび来日し、またニューイヤーコンサートにも3回登壇したヤンソンスだが、晩年の演奏を聴くと、さらなる円熟の兆しを見せていただけに、その死が惜しまれる。

 第1楽章の葬送行進曲から、ヤンソンスの薫陶を受けたバイエルン放送響の美しい響きが聴ける。弦はよく歌い、まさに、マーラーの現世への執着のよう。オケの自発性も高く、管楽器の呼吸感や、打楽器の迫力なども、スピーカー越しに伝わってくる。録音が最優秀なのもうれしい。

 第2楽章は、運命との闘争を表すかのような音楽である。ベートーヴェンの5番のフィナーレのメロディーが旋律に埋められていたり、前の楽章のメロディーも登場したり、とにかく変化に富む楽章。どんなに燃えているときでもそこには愛が存在している。ヤンソンスは、マーラーと同じく、音楽、そして人生を愛していたのだろうと思わされる。終盤近くで突如光が差し込むように鳴りだす金管のコラールにもヤンソンスの魂が宿っている。

 第3楽章は、マーラー史上最も長大なスケルツォ。最初のテーマの愉悦感や、中間部のひなびたホルンのメロディなど、口ずさみたくなってしまうような魅力に満ち溢れているが、オケのサウンドのまろやかさ、ヤンソンスの本質をつかんだ指揮ぶりによって、それらの魅力が最大限に再現されるのがうれしい。ホルン・ソロももちろん優秀だし、ヤンソンスの喜びにみちた指揮姿が浮かんできそうである。

 第4楽章は、アダージェット。ヤンソンスの「愛」を感じたければ、この楽章を聴くがよい!と言いたくなるくらいの甘さがある。しかも、決して官能的に陥らず、ただただ「愛」のみを実感させてくれるのだから、健全である。

 第5楽章、冒頭のホルンとファゴット、オーボエの掛け合いからすでに楽しい。あとは、弦楽器のカンタービレ、ちょっと悪魔的な金管の咆哮や、薫り高い木管のメロディと繰り返し聴きたくなる要素にあふれている。そして愛の炎が燃え盛る中、熱狂的に曲は幕を下ろす。最後の一音までが、まさにヤンソンスの魂の音楽である。

 ヤンソンスの愛のタクトから沸きいづるマーラーを、夜更けに聴いてみてはいかがだろうか。

 演奏 ★★★★★

 録音 ★★★★★

 総合 ★★★★★