自分から逃げたくなる。
自分から目を背けたくなる。




24で正社員を辞めて、
逃げるように東京から福島の実家に
帰ったあの頃の
息苦しくてしんどいことを思いだします。




なんでわたしは、周りとうまくやれないんだ?
なんでわたしは、新しい環境になじめないんだ?

すごくすごく自分を責めていました。









そんな時を経て、
同じような失敗も繰り返したけど、
派遣で働いていた29歳ぐらいの頃、

なんでわたしはこんなに苦しいんだろう?
なんで周りを責めてしまうんだろう?
なんで同じことを繰り返してしまうんだろう?




その時、今までのわたしは、
いつも決まって
「上司の〇〇さんがこうだから」
誰かのせいにして、

自分に原因があるとしたら?
という目線でみることが
全くできていませんでした。




だから、いつまで経っても苦しい。




パステルシャインアート
カラー
数秘
カード
NARDアロマアドバイザー
フェイシャルエステ
リフレクソロジー
アートセラピー
アロマヒーリング
フラワーヒーリング
心理占星術
の資格を取っても、


コーチング
カウンセリング
インナーチャイルドセラピー
占星術
チャネリング
カードセッション
フラワーエッセンス
スピリチュアルセッション
調香
などなどさまざまなセラピー
セッションを片っ端から受けても、

原因が外にある、と思っていたから、
わたしは悪くない、相手が悪いと
思っていたから、

相手や周りは変わらないから
コントロールできないから

どんどん
自分の内側の深い部分と
かけ離れていってしまいました。




人に期待をかけて、
自分の希望を誰かに
叶えてもらおうとしていました。

わたしの希望を叶えてよ?って。




期待は、期を待つ。
希望は、まれにあることを望む。
なんだそうです。




見返りを求めての行動は期待。

わたしがやりたいからやる、
誰からどう評価や賞賛がなくても
わたしの望みだからやるが希望。










わたしと被害者意識や悲劇のヒロインは、
切っても切り離せない密接なものなんです。

情けないし、
カッコ悪いし、
出来ることなら
わたしには関係ありませんよ。

そんな風に澄ました顔したい。





だけど、わたしは隙あらば
見返りを求めて期待して、
望んだものが返ってこないと拗ねて、
誰かのせいにする、そんな甘さや弱さを
誰よりも強烈に持ち合わせているんだ。




だから、そんな甘ったれで
弱いわたしも居ていいよ。
一緒に生きて行こうか。

そう、わたしの被害者意識と
悲劇のヒロインに語りかけたい。




もうあなたたちを切り捨てることはしない。
あなたたちも、
わたしを構成してくれた大切な存在だから。
今まで悪者扱いしてごめんね。




でもさ、そのままだと、
自分が苦しくなるし、生きづらいし、
損得感情で生きてしまって、
望む人生を生きれないよね。




拗ねちゃってるわたしは、
本当はどうしたいの?

あなたの心の底の希望と
共に生きていきたいよ。

誰かに、周りに目をそらさず、
わたしの本当に好きなことやりたいこと
それだけに純度高めにどっぷり浸かろう。

そこだけを見つめて。




そうしてもいいんだよ。
そういう生き方もありなんだよ。
自分らしく働いていいんだよ。
自分らしく生きていいんだよ。
今の自分のままで愛されて愛して
大切にして大切にされて
ビジネスできるし、していいんだよ。

 

 

 

 
 
放っておく。
 
それぞれの道に向かって進んでいく。
 
やり切る。
 
次のフェーズに移る。
 
おつかれさまでした。
 
わたしはわたしでやりたいことがある。
あなたはあなたでやりたいことがある。
 
それぞれの時間を大切にする。
 
 
 
今週のしいたけ占いの射手座より
刺さったワードを抜粋。
 
 
 
 
わたしは、昔から
内容うんぬんよりも
その文面、その本を読んでいく中で、
 
わたしの心がつかまえ
好き好んで拾っているワードって
なんなんだろう?
 
そう思いながら
人生を歩んでいるように思います。
 
 
 
 

 
 
 
 
何か、視覚から取り入れたものを
映像や写真として取り込み、
言語化しているようなのです。
 
 
 
 
これは、お片付けの本を読んだときにも
分かったことでした。
 
わたしは、ウサ脳で
右脳的にインプットして、
左脳的にアウトプットするみたいな。
 
 
 
 
腕組みして、どちらの腕が上ですか?
右なら、インプットが右脳的。
左なら、インプットが左脳的。
 
 
 
手を組み合わせて、
どちらの親指が上ですか?
 
右なら、アウトプットが右脳的。
左なら、アウトプットが左脳的。
 
 
 
 
わたしは、
昔からビジョンが頭に浮かんだり、
色で、物事や人の印象を捉えてきました。
 
あ、あの人何色っぽい。
あーこの感情って、何色っぽいなあ。
なんか何色っぽい感じがする。
みたいな。
 
 
 
 
言語化や、意識はしてなかったけれど、
このライティング講座に参加して、
アウトプットするようになり
分かったことでした。
 
 
 
 
それが、昔読んでなるほどー!
と思っていた、効き脳片付けの本と
マッチングして、
より一層なるほどが深まりました。
 
 
 
 
だから、わたしは、
色や映像、絵でイメージして、
言語することが得意なのかあ。と。
 
 
 
 
ただ難点は、
その言語化にあったことにも
気づきました。
 
 
 
 
右脳的なインプットって、
誰にでもわかる表現ではなかったりする。
 
それに、言語化してしまうことで
わたしが思い描く世界観が
ガクンと削がれてしまう
そんなもどかしい思いを抱えてきました。
 
 
 
 
みんなに分かるような
みんなに伝わるような
みんなが理解してくれるような
言語に、
 
わたしの言葉を
粘土のように
グニャグニャ混ぜて
新たに成形して出すから、
 
相手に伝わるけど、
なんかわたしには物足りなさや
不満足感が残る。
 
 
 
 
その機能性の高さ、
言語化のチカラや、
的確に捉えることや、
正確さ、なんかを評価されてきたけど、
 
そことは真逆の
わたしの言語をわたしの作品として
ねじ曲げず世に出していく。
 
それが、今のわたしが、
わたしに求めてやまない希望なんだなって
気づいたお昼時でした。
 
 
 
 

 
 
 
 
こんななんの価値があるんだ。
なんの役に立つんだ。
みたいな実用性ではなく、
なんか楽しい。
なんか満足。
なんかいい。
 
 
 
このセンサーをニョキニョキ、
我が家の窓際の豆苗くんのように
のびのび伸ばしてあけだい2020春です。
 
わたしはずっと
不満を心にいっぱい
両手にいっぱい握りしめて、
人生を歩んできたんだなと思うんです。





例えば、思い出すのが、



こちらの写真。




2年前にFBで投稿しました。

これは、うちの母から
ほぼ毎月届く定期便なんです。




高校は下宿をして通っていたので、
その時は
ほぼ毎週顔をのぞきに来てくれていて、
大学は県外で一人暮らしだったので、
月に1-2回この小包みがやってきていました。




中身は、実家で作っているお米、
味噌、季節の野菜、お菓子、
庭に咲いたお花、缶詰、
母がばあちゃんが作った混ぜご飯、
卵焼き、煮物、漬物、
アップルパイ、ジャム、果物、、、

などなど
いつも色々なものが送られてきていました。




でも、わたしはそれを
ずーっと長いこと「あたりまえ」と
思っていました。無意識でしたが。




やってもらえるのがあたりまえ。
送ってもらえるのがあたりまえ。




34になって、
やっとそれが「ふつう」ではないこと。
「あたりまえではない」
ということを知りました。




それまでのわたしは、
なんでこうしてくれないの?
なんで頼んでないのに送ってくるの?

それって、
わたしに力がないと思っているんだ。
わたしのこと馬鹿にして。




そんな風に捻くれて
受け取ってしまっていたのです。




愛されている。
大事にされている。
大切にされている。

わたしの思う形じゃないけれど、
人は愛をくれている。









それを、
やっと見ることができるようになったのが、
1年間の心理占星学をベースにした
継続講座の中で、

同じように
人生の中で人を変え
場所を変え
タイミングを変え
何度もなぜか起こる問題を抱え、

それをどうにかしたい。
根本をしっかり見つめたい。
自分の在り方を変えたい。

そんな風に思いをひとつにし
集った30数名の仲間たちと、

1ヶ月に1度4ー5時間にわたる
グループセッションで
自分の闇のような感情や経験さえも
すべてさらけ出し
裸になり、
向き合い
晒してきたから。




だから、
あーわたしって沢山の愛をもらっていたんだ。

沢山の愛を受け取っていたのに、
受取拒否してきたんだ。

わたしに感謝が足りなかったんだ。

ごめんなさいが出来ていなかったんだ。

もっと怒りたかったんだ。

悲しすぎて心を閉じてしまったんだ。

寂しかったんだ。

大嫌いって大好きの裏返しだったんだ。

すべては、わたしが作り出している
すべて自己責任だったのに、
周りのせい、親のせい、状況のせい、
彼のせい、友達のせい、、、
沢山の人から奪い、上に立ち
命令をして、わたしの思うようにしろ!!
って攻撃してきてしまったんだ。

見えないエネルギーで、
猛烈に奪いまくって
くれくれ、くれくれオンナだったんだ。




そんなことに、
毎度毎度出会っては、
愕然としたり、
ほっとしたり、
わんわん大泣きしたり、
仲間の言葉に共感したり、
講師の方の言葉に勇気づけられたり、
厳しい言葉に
自分を直視することが辛すぎたり。







でも、過ぎ去ってみたら
1年前に被害者意識の塊で
大きなトラブルを起こしたわたしさえも、
その出来事さえも、
愛に満ちていたんです。




誰が悪いのではない。
やりすぎていたことを辞めるタイミングだった。

自分の本心や、自分の真実を
もうないものにしないで
自分が自分で受け止めて、
形にしていくタイミングだった。

それを無視し続けて、
恐れから選択し続けていたから
あんなことが起こり
強制終了となったんだ。




自分を裏切れるのは、
自分だけなのだ。

自分の信頼を失わせるのも、
自分だけなのだ。

あなたは、あなた自身に対して
何をあざむいていますか?




人は、不完全なんだ。
それでいいんだ。
わたしはわたしをゆるします。

お父さん、お母さんごめんなさい。
沢山の愛をありがとうございます。