必殺!風呂の温度調節
猫センサーの記事でいろんな方からコメントを頂戴しました。ありがとうございます。実はこういったくだらない得意技というのは誰にでもあるもので、私にとっては猫センサーがそのひとつなのですが、もうひとつあったことを思い出しましたのでご紹介します。
それは「風呂温度一発調節機能」です。
お風呂をためるときは水とお湯の蛇口をひねってちょうどいい温度に調整します。
一般的に、両方の蛇口をひねった後に手で温度を確認し、ちょうどいい温度を模索し微調整を行うものですが、私はこれを一発で設定することができます。
十分に集中力を高め、両手で一気にぐいっとひねります。もちろんお湯と水を同じだけ出すというわけではなく、あくまでちょうどいい温度に設定するのです。
そして温度確認は基本的に行いません。ひねった後は、そのままクールに立ち去ります。
つまりちょうどいい温度設定の蛇口状態を正確に体で記憶し、それを毎回再現することができるのです。
私は以前音楽の仕事をしていました。その時にいろんな音をまぜてちょうどいいバランスに調整したりする作業は得意でした。
私はどうやらツマミ・レバーに強いようです。
しかし、今の所に引っ越した際に「自動湯張り機能つきお風呂」のせいで私の能力を発揮するチャンスがなくなってしまいました。
ボタンで41度に設定し、自動ボタンを押すだけで風呂が溜まってちょうどいい量でお湯が止まってくれます。
うれしいやら、かなしいやら・・・引っ越してかれこれ3年。もう腕前も鈍っていることでしょう。
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ゆとり教育について
一週間ほど前ですが、新聞に学力の国際調査についての記事が掲載されていました。その内容は決して明るいものではなく、私達の文明の根幹を揺るがす大問題が発生していると言えます。
まずこの図をご覧ください。

これはまったく同じ積み木を図のように3種類の置き方で、はかりで重さを測るというものです。
① 左のはかりのめもりが一番重いところをさす
② 真ん中のはかりのめもりが一番重いところをさす
③ 右のはかりのめもりが一番重いところをさす
④ ぜんぶ同じ重さをさす
正解はお分かりですね。そう、④です。全部同じ重さをさします。
この問題の日本の小学4年生の正解率はなんと66%でした。
(国際平均の72%よりも6ポイント低い結果)
3割以上の子供が「はかりの上に物をおく場合、その置き方で重さが変わる」と考えているといえると思います。
体重計の上でどんなポーズをとってもくたびれるだけ。体重計は冷酷にあなたの重さを突きつけます(イラスト参照)。
そもそもゆとり教育は詰め込みのために時間を失った子供たちに考える・工夫する機会を与え、豊かで柔らかい脳みそと生きる力を獲得してもらうのが目的です。たしかに聞こえの良い、理想的に思える方針です。しかし、結果的にこの目的は達成されていません。
つまり「創意工夫して生きる力を身につける」ために「ゆとりを与える」という方法が間違っています。
このことは文科省も認めた上で来年に改善策が取られますが、私は個人的にこのようなやり方に対して憤りを覚えます。
この問題は子供に何の罪もありません。それどころか、彼らは明らかに被害者です。教育というのはある程度の詰め込みを必ず伴うものだと考えています。知らないものを知るためには覚える必要があり、覚えるために繰り返し練習を行うのは社会に出た後でも必要となる大事な習慣です。
それを一度子供から奪っておいて、うまくいきませんでしたのでやっぱり変えます、というのはどういう了見でしょうか。
私が言いたいことは一つ、
子供を実験台にするべからず
そもそもゆとりを与えることによって「豊かな考える力を持つ個性ある社会人」が出来上がると考えたのはなぜでしょうか。どんな確信があってこの手段を採用したのでしょうか。
これでは体のいい人体実験と言われても仕方がありません。
しかもこの方法は平成に入ってまもなくアメリカなどで採用された後、失敗に終わったという前歴のあるいわく付きのものです。こうなったらもう趣味の世界ですよ。
私は他のことでは「なんでも試してみる」ことを反対しないほうですが、教育というのはまた別格です。
なぜなら、これらの方策が子供の人生に大きな影響を与えるだけでなく、その結果が見えてくるまでに相当の時間を要するからです。
結果が見えるまでは半分手放しの状態にならざるを得ず、いい方法なのか悪い方法なのか判断できませんし、後で取り返しがききません。
私はこと教育に関してはむやみやたらと手を加えるべきでないと考えています。
今回の改正でも、新聞紙上などでは「単純に元に戻すべきでない」という意見もちらほら見られますが、じゃあいったいどういう風に変えるべきだというのでしょうか。そしてそれが「改悪」でなく「改良」だということをどのように担保するのでしょう。
私は今回のゆとり教育については「単純に元に戻すほうがいい」と考えています。
そもそも学校では言われているほど詰め込み教育だったとはどうしても思えません。詰め込みをしていたのは放課後、つまり塾です。
塾というのは家庭と子供が選択することができるものですから、詰め込んで将来幸せになると思っている家庭はそれを選択すればいいと思います。そうでないと思うなら、それなりの塾を探すか、それとも放課後は遊んでいることでしょう。
仮に教育指導要領を元に戻し、土曜日も授業を行い、総合学習をやめたとしても学校が詰め込み教育のそしりを受けることはありません。
詰め込み教育が塾で行われるのはニーズがあるからに他ならず、学校がどんなやり方で教育を施してもそれを選択する家庭は必ず存在し続けます。
現場と乖離した偉い人達がよけいな一手を加えて問題がさらに複雑になるよりは、元に戻したほうがはるかにマシだと考えています。
まずこの図をご覧ください。

これはまったく同じ積み木を図のように3種類の置き方で、はかりで重さを測るというものです。
① 左のはかりのめもりが一番重いところをさす
② 真ん中のはかりのめもりが一番重いところをさす
③ 右のはかりのめもりが一番重いところをさす
④ ぜんぶ同じ重さをさす
正解はお分かりですね。そう、④です。全部同じ重さをさします。
この問題の日本の小学4年生の正解率はなんと66%でした。
(国際平均の72%よりも6ポイント低い結果)
3割以上の子供が「はかりの上に物をおく場合、その置き方で重さが変わる」と考えているといえると思います。
体重計の上でどんなポーズをとってもくたびれるだけ。体重計は冷酷にあなたの重さを突きつけます(イラスト参照)。
そもそもゆとり教育は詰め込みのために時間を失った子供たちに考える・工夫する機会を与え、豊かで柔らかい脳みそと生きる力を獲得してもらうのが目的です。たしかに聞こえの良い、理想的に思える方針です。しかし、結果的にこの目的は達成されていません。
つまり「創意工夫して生きる力を身につける」ために「ゆとりを与える」という方法が間違っています。
このことは文科省も認めた上で来年に改善策が取られますが、私は個人的にこのようなやり方に対して憤りを覚えます。
この問題は子供に何の罪もありません。それどころか、彼らは明らかに被害者です。教育というのはある程度の詰め込みを必ず伴うものだと考えています。知らないものを知るためには覚える必要があり、覚えるために繰り返し練習を行うのは社会に出た後でも必要となる大事な習慣です。
それを一度子供から奪っておいて、うまくいきませんでしたのでやっぱり変えます、というのはどういう了見でしょうか。
私が言いたいことは一つ、
子供を実験台にするべからず
そもそもゆとりを与えることによって「豊かな考える力を持つ個性ある社会人」が出来上がると考えたのはなぜでしょうか。どんな確信があってこの手段を採用したのでしょうか。
これでは体のいい人体実験と言われても仕方がありません。
しかもこの方法は平成に入ってまもなくアメリカなどで採用された後、失敗に終わったという前歴のあるいわく付きのものです。こうなったらもう趣味の世界ですよ。
私は他のことでは「なんでも試してみる」ことを反対しないほうですが、教育というのはまた別格です。
なぜなら、これらの方策が子供の人生に大きな影響を与えるだけでなく、その結果が見えてくるまでに相当の時間を要するからです。
結果が見えるまでは半分手放しの状態にならざるを得ず、いい方法なのか悪い方法なのか判断できませんし、後で取り返しがききません。
私はこと教育に関してはむやみやたらと手を加えるべきでないと考えています。
今回の改正でも、新聞紙上などでは「単純に元に戻すべきでない」という意見もちらほら見られますが、じゃあいったいどういう風に変えるべきだというのでしょうか。そしてそれが「改悪」でなく「改良」だということをどのように担保するのでしょう。
私は今回のゆとり教育については「単純に元に戻すほうがいい」と考えています。
そもそも学校では言われているほど詰め込み教育だったとはどうしても思えません。詰め込みをしていたのは放課後、つまり塾です。
塾というのは家庭と子供が選択することができるものですから、詰め込んで将来幸せになると思っている家庭はそれを選択すればいいと思います。そうでないと思うなら、それなりの塾を探すか、それとも放課後は遊んでいることでしょう。
仮に教育指導要領を元に戻し、土曜日も授業を行い、総合学習をやめたとしても学校が詰め込み教育のそしりを受けることはありません。
詰め込み教育が塾で行われるのはニーズがあるからに他ならず、学校がどんなやり方で教育を施してもそれを選択する家庭は必ず存在し続けます。
現場と乖離した偉い人達がよけいな一手を加えて問題がさらに複雑になるよりは、元に戻したほうがはるかにマシだと考えています。
猫センサー
思い込みかもしれませんが、私には猫センサーがついているようです。猫が半径10メートル以内にいると、気配を感じるのです。
先日忘年会に彼女と一緒に出かけたときも、ピクッときました。
「む。これは・・」
案の定、横を見ると畑の中で猫がうんこをしている真っ最中。
「フッ・・やはりな・・」
動物がうんこをしている最中というのは無防備でとても笑えます。どうしても最後まで見たくなります。
彼もチラっとこちらを見て、少し恥ずかしそうな顔をしました。そして最後にはきちんと土をかけて去っていきました。
ところで私の彼女には「虫センサー」がついています。
真っ暗な部屋でも、彼女は「それ」を感じるようです。今まで何度も驚かされました。
彼女「なんかいない?」
大体、指定した位置の近辺になにかがいます。ほとんどのケースは皆さんおなじみののGがいるのです。
しかし虫センサーの能力が発揮された次の瞬間はプチパニック状態となり、しばらく大騒ぎは収まりません。
青色給料日
プロフィールに画像を載せられることを知って早速挑戦しました。我ながら暇人だと思います。ちなみに私はメガネをしていませんし、茶髪でもなく、マフラーもこんなふうな巻き方は出来ません。念のため申し上げますがこれはシャレです。
でもかなり力作。自分では実力以上の出来栄えだと満足しています。
今日は私の給料日。給料日といっても税法上は認められません。
青色申告者の場合、商売で得られた利益がそのまま経営者の所得になるので経営者の給料というのはないんです。
つまり商売の儲けは全部私のもの、というのが普通です。
しかし私は元来、お金があればあるだけ使うタチです。例えば月に100万円もらったとしても、その気になれば全部使うことが出来ます。
男性は結構こういう方多いんじゃないかと思います。
これだといつまでたっても商売の規模が大きくならないので、自分の給料というのを定めてその中で生活するようにしています。ちなみにこの金額は大学初任給くらいのもので、以前勤めていたときと比べるとかなり少ない額でつつましく生きています。
こうでもしないと儲けを使い込んで商売が破綻するのはほぼ確実。なんせ私はあったらあっただけ使いますから。
確定申告の際はこれを最後に修正する必要があります。しかし私にとってはそれだけ労力をかける価値のあるシステムなのです。
今日はその給料を貰うのと、晩御飯の材料を買いに出かける予定です。
コタツマン
だんだん寒くなってきましたね。みなさんコタツ好きですか?私、コタツ大好きです。
絵のようにすっぽり首まで埋まると幸せを感じるのです。
しかしずっと入っているとちょっと暑くなってくるものです。そういうとき私は足を反対側からちょっとだけ出します。
このスタイルは彼女に「コタツマン」と呼ばれています。
私は南国で生まれていますので寒い冬はめっぽう苦手です。
ちなみに誕生日が2月の寒い時期ですので、暑いのは大嫌いです。
今回で3つめの自作イラストになりますが、なんかだんだん慣れてきて時間もかからなくなってきました。
今日はちょっと色気を出して「影」をつけてみましたよ。
早く大豆師匠のような絵が描けるようになりたいです。