方便としての生死観 その2
昨日の晩ご飯はチキンのパプリカソースです。ソースは今までで一番上手に出来た!昨日は生死観の欠如に対する根本原因を私なりに考えてみました。
いきなりこの記事をご覧になっても話が繋がりませんので、是非こちらもご覧下さい。
私は、子どもが死についてあまりに無知なのは、大人が教えていないからだと考えています。
今日は「じゃあなんで教えていないのか」について考察してみました。
私たちの住む日本は無宗教国家と言って差し支えないと思います。
正月は神社で銭を投げるかと思えば、盆はお寺、クリスマスはみんな大好き。
節操がないとよく言われますが、私に言わせればそういう問題じゃなくって、それぞれ宗教として取り扱っていないだけの話です。
誤解を恐れずに言うと「気休め」なんですね。
つまりこれは文化です。なんだかんだいって日本人ってお祭りが好きですよ。
どの宗教にも属していない文化。つまり無宗教なんだと思うのです。
勘違いしてほしくないのは「だからこの宗教をやれ」とか「何らかの教えを学べ」とかいうことを言いたいがために、私はこの文章を書いているわけではないということです。
無宗教であることは日本人が中庸を守れる一つの要因でもありますし、多様であることはある意味で成熟した社会の一つのあり方だと考えています。
ただ同時に無宗教であることが生み出す弊害もあり、それが生死観の喪失だと私は考えます。
無宗教である私たち日本人は、生死に対する共通の認識を持たない国民なのです。
死んだ爺ちゃんは天国にいるよ!悪いことをしたら地獄で釜茹でにされるよ!閻魔に舌抜かれるよ!こういったシンプルな考え方は、私が小さい頃はぎりぎり残っていたと思います。
これってある意味で生死に対する共通認識と言っていいと思います。私が小さいときは、どの家庭でも神棚や仏壇があったものです。
しかし、現代においてその共通認識は失われつつあります。
そして失われた後に、いかなる思想も存在しないのだとしたら、問題があると思っています。
長くて分かりにくくなってきましたが、私が言いたいことはこういうことです。
私たち自身に、子供に教えるべき生死観の引き出しがあるのか
もし、もしですよ、子供に教える生死観を持っていないのだとしたらその原因は恐らく・・・
大人である私たちも、生死を真剣に取り扱ってなくない?
私たちに思想がなければ、伝えられるわけがないと思うのです。
教えられることがないわけですから、子供が「死んだ人間は生き返る」と考えるのも自由です。
「思想」というとなんかすさまじく大層なものをイメージしますが、そうではなくて「自分なりの考え方」ということとして捉えてください。
それが「死んだらお星様になる」でも「天国に行く」でも「生まれ変わる」でも「無に帰す」でもなんでもいいと思います。多様であって当然だと思います。
しかし「生き返る」はないでしょう。生き返りませんから。
子どもに生死観がなくなったのは、大人が思想を失ったことが原因ではないでしょうか。
大人が生死を真剣に扱わないから、子どもが生命を大事に出来ないのではないでしょうか。
恐らく子どもは大人社会の映し身であろうと思うのです。
まとめの意味で、昨日の記事の内容も含めてもう一度私の考えを申し上げます。
子どもが「死んでも生き返る」と思っているのは、大人が教えていないからではないでしょうか。
なぜ教えていないかというと、それは大人である私たちに教える引き出し(思想)が存在しないからではないでしょうか。
以上の2点です。2行で済むものを2日かけて説明するのが俺流です(笑
生きている私たち、私たちのゴールは紛れもなく死です。死亡率100%です。
私も、あなたも、あなたの大事な人もいつか絶対に死にます。
そして死んだら二度と生き返りません。
皆それを知っているから時間を大事にしたり、急いだり、がんばったりするんだと思うのです。
そして同じ理由で、大切な人を守りたいと思ったり、愛しく思ったりするのでしょう。
逆に、死んでもがんばったら生き返ると思う人が、人生を大事に出来るでしょうか。
私は出来ないと思います。
死を取り扱うこと無しに、生命の尊さを理解することは出来ないと思うのです。
昨日の記事でご紹介したアンケート。詳細が不明なので2割という数字の重みが分かりません。増えているか、減っているかもわかりません。(この点はご指摘を頂戴しました)
しかし、もし私に子どもが出来て、この2割に含まれるようなことがあったらとても悲しいです。
人生を、つまり生命を大切に出来ないことを看過できません。
将来私は子どもと対話をして、死を正面から取り扱いたいと思っています。
そして「君には自分の命も、人の命も粗末に扱って欲しくない」というメッセージを、伝わるまで語り掛けたいと思います。
以下のリンクはこれまでに私が書いた教育関連の記事です。参考になるかどうか分かりませんが、一応私としては力作なもんで(笑
よろしければご覧ください。
やっぱこれもすげー長文なんですけどね。ハッハッハ。
ゆとり教育について
教育するということ
方便としての生死観 その1
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出かけようかと思ったら雨降ってたのでやめた(笑
先に言っておきますが、今日の記事は一部の方にとっては挑戦的な内容かもしれません。
私はすき放題本音を言いますが、これは何の前例も持たない青二才の意見です。つまりご意見は是非お伺いしたいですが、お手柔らかにお願いしますということです(笑
今日はツタンカーメンの記事で前フリをしていた問題を取り扱いたいと思います。
以下は私の記事の抜粋です。
少し前のニュースで紹介されていた話ですが、約2割の子供が「死んだ人間は生き返る」と考えているそうです。
死んだら二度と生き返りません。ツタンカーメンの肉体は今も残っていますが、3000年経った今でもやはり動かぬ屍です。
今日取り扱うのは2割の子どもが「人間は生き返ることがある」と考えていることについてです。
このニュース、しばらく前ですが私は結構衝撃を受けました。教師をやっている友人にも聞きましたよ。なんで?って。
彼女が言うには「子供が死に触れる機会が減っている」というのが大きな原因だと思うとのこと。
確かにそうですね。核家族化が進むと自分の家でお葬式をする機会が減ります。
一緒に生活していたおじいちゃんが亡くなるのと、時々年に2回くらい遊んでくれるおじいちゃんが亡くなるのとでは大きく違うでしょう。
上で紹介した記事でもコヨチンが輪廻転生についてのコメントをしてくれました。
私も輪廻はあると思っています。そう考えないと納得がいかない部分が沢山あるからです。
しかし輪廻というのは「生き返る」こととは違います。輪廻は「生まれ変わる」ことですね。
ジョージ・シスラーが亡くなった同年同月同日にイチローが産まれて、シスラーの大リーグ記録を塗り替えた。これは輪廻を想起させる事件です。
つまりイチローはシスラーの生まれ変わりなんじゃないかと思える不思議な出来事。世の中には不思議なことが山ほどあります。
しかしイチローはジョージ・シスラーじゃありませんし、シスラーが墓から出てきたわけではありません。
最近、私の母方の婆ちゃんが亡くなりました。火葬して今では沖縄特有のでかい墓の中に眠っています。
この母方の婆ちゃんが突然ひょっこり現れて茶でもすすっていたとしたら・・
これが生き返るということですね。
そして、実に2割の子供がこういう現象が起こると思っているというわけです。
アンケートというのは聞き方に大きく左右されるものですね。この場合も「生まれ変わる」と「生き返る」を混同している可能性が高いと思います。というか、むしろそう思いたいです。
しかし私が見たテレビ番組はこの希望的観測を見事に打ち砕きました。
「生き返る」ことについて実際にお母さんが娘に問いかけるシーン。
母 「死んだら生き返ると思う?」
娘 「うん」
母 「生まれ変わるんじゃなくて、生き返るだよ?」
娘 「うん」
母 「どうしてそう思う?」
娘 「うーん、わかんないけど、がんばったら生き返ると思う」
がんばったらって・・・(笑
このお母さんはひどくショックな様子でした。まさか自分の娘がそんな風に考えているとは思ってもいなかったわけです。
この問題提起のきっかけは佐世保で起きた悲しい事件です。
あの事件で加害者の子供はどうやら「死んだら二度と元通りにならない」ということを認識していなかったフシがあるらしいのです(詳しくは不明です)。
番組に出ていたお母さんは、自分の娘は大丈夫だと思っていました。しかし、加害者の子供と生死に対する認識に大差がないことを知って驚きとまどったのです。
こういう場面でよく悪者にされるのがゲームやアニメやテレビ。
リセットボタンを押せば最初からやり直せるゲーム。死んでも教会に行ってお金を払うだけで生き返ったりとかします。
「では教会に500ゴールドの寄付を・・」とか言われて生き返らせてもらうのです。金で解決です。
孫悟空は何回も生き返ります。しかもあの世で修行して強くなって帰ってくるというオマケ付き。元気玉だってあの世で習ってますから。
ドラゴンボールはあまりにもご都合主義ですね。アクションシーンは好きですけど。
1時間前に殺されたはずの人物が、別のドラマでは普通に歩いている。
確かにこういった弊害は認めるべきです。影響はあるでしょう。
でもはっきり言います。
ゲームやアニメやテレビは、根本的な原因じゃありません。全然違います。
むしろこれらは枝葉末節であって、既にある土台の上に置かれたものと考えるべきです。
なぜなら、私はゲーム世代ですしアニメ大好きですが、人間が生き返るなんて考えたこともありません。
ドラゴンボールを見ていて、生き返るということを、本気にしたことなどないのです。
本質がしっかりしていれば、このような情報は悪者にされる筋合いのないものです。だって私の父の世代からドラマで死んだ人が普通に出ているなんて、なんぼでもあることじゃないですか。もっと言うと近松の浄瑠璃でも復活の話がありますよ。
今まさに子育てをされている方は私と同年代だと思います。
私は特にキン肉マンを愛してやまない子供でしたが、キン肉マンだって何回も生き返ります。でも私はそれを現実の世界に持ち込むことはありませんでした。
誰かが死んだら、もう二度と会えないのだと小さいときから知っていました。
では根本的な原因はなんでしょうか。ヒントはさきほどの母娘の対話のなかにあります。
ズバリ申し上げます
教えてねぇじゃん!!!
以上!
このお母さんは娘に「人が死んだら二度と生き返らない」ということを教えていません。
なぜそう言い切れるかというと、この対話をしたあとにこのお母さんがショックを受けているからです。
ショックを受けるということは、今まで話題に上ったことがないわけですね。意外だったわけです。
たった一度でもこういう話題が出て、娘の考えを聞くことが出来ていればショックを受けることはありません。
これは今までこの家庭で、生死の問題を取り扱っていなかった証拠だと考えます。
しかも番組のプロデューサーかなんかに請われて行った対話。きっとお母さんは悲しくて情けない思いをしたことと思います。
これを読んでくださっている方の中で、人間が生き返る可能性があると本気で思っている方はいらっしゃいますか?生まれ変わるじゃなくて、生き返る可能性ですよ。
一人もいないはずです。
では、一人もいないはずの私たちに育てられた子どもの2割が生き返る可能性があると考えるのは何故でしょうか。
私は教育をしていないからだと思います。
小さいお子さんをお持ちの親御さんには是非ともこの問題を家庭で取り扱って頂きたいと思います。
ちなみに学校でこの問題を扱うのは実際ムリです。
信教の自由に抵触する可能性がありますので、画一的に授業で取り扱うことが難しい問題です。
つまり、生死観の教育は全て家庭が担うべき問題だと思っています。
すげぇ長くなったので続きは明日(笑
明日はさらに、この問題を取り扱うために必要な戦略について私見をご披露致します。
ゲームを幼児期に与えてしまうと悪影響があると言われています。私はゲーム世代ですが、ファミコンが発売されたときは既に小学生でしたので、幼児期に与えることによる影響は実感できません。
一般的に7歳まではゲームをさせないほうがいいと言われているようです。
宇宙人と現代人
みなさんこんにちは。エジプト好きの複雑系自営業者です。こんにちは。3連休を利用して、非常にマニアックな記事をアップし続けてみました。
日本の昔話
古代エジプト
未来の姿
ところでeiさんが火を起こす技術をお持ちとのこと。昨日の記事で書いた通り、普通に尊敬さしてもらいます。ていうか既に尊敬していますけど。
あとマミ姉のお父さんも普通に尊敬さしてもらいます。すげぇです。
この3つの話をした上で、次にどうしても必要な話題があるのです。
そう、宇宙人!!
やっぱこれ重要!
宇宙人って本当にいると思いますか?
私は「絶対に存在する!」と確信しています。こんだけ広い宇宙で、私たちだけしかいないなんてどうしたって考えられません。
宇宙がどんくらい広いか熱く語った記事がありますのでこちらも是非ご覧ください。
これだけ広いのに、地球にだけ知的生命体が存在すると考えるほうがよっぽど不自然です。
きっと、どこかに宇宙人はいます。
しかしその宇宙人が今地球の近くにいるかどうかは分かりませんね。それとこれとは別の問題です。
もちろん「すでに地球人と宇宙人は遭遇している」というのも同じです。これは分かりません。
ただ、昔からいろいろ宇宙人やUFOの目撃情報が氾濫しているのも事実。
かく言う私もUFOらしいものを見たことがあります。
友達が運転する車の助手席に乗っていたとき。もう10年くらい前の話です。
目の前の山の上に白く光る物体発見。昼間だったのにはっきりと見えました。
その光が若干フラフラして、パッと消失。
「・・・今の、見た?」
「・・・うん、見た」
友達もやっぱり見たようです。未だに正体は不明です。
宇宙人といえば、グレイですね。
みなさん、グレイご存知ですか?
これ
↓

グレイは恐らく世界で最も有名な宇宙人で、カップヌードルなんかのCMにも出ていますよね。でかくて黒い目、なんかメタリックなボディー、でかいアタマと小さい手足といった姿です。
私、前々から思っていることがありますので、この場でぶっちゃけてもよかですか?
あのね、あのね、宇宙人なんてね、
こんな当たり前の姿してるわけなくない?
そもそも、なんでアタマがあって手足が二本ずつあって、目が二個あって口が一個あるわけ?
なんでそこまでことごとく地球の脊椎動物の特徴を踏襲してるわけ?
普通に考えたらもっと理解に苦しむような姿をしているべきだと思うんですね。だって違う環境で進化しているはずですから。
某国の有名なスペースオデッセイなんかも論外です。トカゲの姿だなんて、都合良すぎますよ。そんなわけない。
もしトカゲから進化した別の知的生物だっていうなら分かりますよ。でも宇宙人ですからね、宇宙人。
宇宙人とトカゲとどんな関係があるってぇのよ。
はっきり申し上げて、これらの宇宙人よりは「Drスランプ アラレちゃん」に登場するニコちゃん大王のほうがはるかに宇宙人っぽいです。

ニコちゃん大王はものすごい肉体構造を持っているんですよ。
頭頂部に割れ目みたいなものがありますね。これは実は尻です!うんこするときはアタマの上から出てくるんですよ。すごいでしょ。
そんで宇宙人にありがちなアンテナみたいなものが生えていますね。これはね、鼻ですよ。
だからうんこをするとものすごくクサイのです。ダイレクトに鼻ですから。
そして足の裏には耳がついています。なんとも奇抜な構造じゃありませんか。
ほかの星で進化した生物なわけですから、このくらいでちょうど良いと思うのです。
まぁいいや、とにかくですね。宇宙人なんてグレイみたいにすぐ仲良くなれそうな容姿なわけがないです。もっと、こう、もっと想像を絶する姿のはず。
ということで、想像力をフル回転させて作ってみました。
私が考えた宇宙人・・・

↑
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どう?きもい?きもい?きもい?きもい?
とりあえずコンセプトは「仲良くしたくない宇宙人」です。自分で描いておいて何なんですが、私は仲良くなれそうにないです。
握手なんか求めたってダメですよ。グレイなんか手を差し出したら普通に握ってきそうですけど、私がかいたコレはダメです。そういうレベルじゃありませんよ。そもそも手がどれかわからんし。
でも知的生命体なんです。ちゃんとした宇宙人ですよ。
はっきり言って、宇宙人って最低でもこのくらいじゃないとおかしいと思いませんか?
グレイは見るからにインチキくさい。普通すぎ!
昨日の記事で書いた話の延長じゃないですか。
肉体的に弱くなっていって、頭が大きくなっていって、これじゃまるっきり未来人。それにしたってお粗末です。
まぁそんなわけで宇宙人について必要以上に熱く語ってしまいました。
私が描いた

コレの生態についての質問もコメントでお寄せ下さい。解明されている範囲内でお答え致します。
余談ですが、そもそも地球人には宇宙人のDNAが含まれていると考える人がいます。もしこの考え方が正しいとするとグレイの容姿が我々と大差ないことも頷けるのです。
旧人とクロマニヨン人との進化過程を示す証拠が見つかっていないことをミッシングリンクなどと言ったりします。しかしこれは「見つかっていない」というだけの話であって、私は人とサルの境界線はこれから見つかるもんだと思っています。
このミッシングリンクを宇宙人が埋めたという考え方はおもしろいけど、いまいちピンときません。
ミッシングリンクを埋めた宇宙人が人間の形をしているのはたまたまだったのかという疑問も残ります。
やはり、問題を先送りしているだけの理論だと思います。
相対的なノスタルジー
昨日は九州で大きな地震がありました。九州では観測史上最大の震度6。すぐ実家に電話してみましたが問題ないとのこと。
九州に縁のある皆さんは大事ありませんでしたか?
友達にもすぐメールしましたが、私の知り合いはとりあえず皆無事のよう。
昨日一日で89回の地震があったのだそうです(小さいものも含めて)し、今後も余震の可能性があります。十分注意してください。
だいぶ前にも一度書きましたが(こちら)私は大阪に住んでいたことがあります。
たった2年しかいませんでしたが、そのときたまたま震災に見舞われました。
「見舞われました」なんていうたいしたもんじゃないんですが、住んでいるアパートにヒビがはいったり包丁が飛んできたりしてそれなりに怖い思いをしたものです。
あのときはだいたい3日くらい電話のつながりにくい日が続いたような気がします。
昨日は友達の携帯から電話かかってきましたので、だいぶ通信キャリアの危機管理も発達している模様。
私たちの文明は確かに成長し続けています。
私たちは普通に携帯電話使っていますが、ときどきふと「これがなかったら不便だな」と感じることがあります。
地震のときの安否確認もそうなんですが、特に待ち合わせですね。
私が高校のときなんかはポケベルもそんなになかったし、携帯電話なんて存在も知りませんでした。
基本的には前日打ち合わせのみで普通に待ち合わせできていたはずなんです。
しかし、今もし携帯電話を取り上げられて「待ち合わせしなさい」と言われたら猛烈に不安を感じると思いませんか?
たぶん、無事に会えたら安堵のあまり抱き合ってしまいます。
「ひぃーとみぃーをとぉーじてぇー きぃーみををー」って脳内でBGM流れますよ、絶対。
多分、問題なく会えるだろうと思いますが、不安は拭いきれません。
私たちは「便利になる」という大きなメリットの代償に、失っているものがあると思います。
この場合だと「前日打ち合わせ能力」のようなものが低下しているということです。
まぁ、喪失したものばかりをとりあげたってせん無きことです。
車や電車の存在は私たちの足を弱くしているだろうし、パソコンの存在は文字を書くという能力を低下させていることでしょう。
常に古い価値観が正しいとは限りません。なぜならさらに古いところに視点を移すと、さらにきりがなくなってくるからです。
私の父が「今は便利になった。昔はなにもなかった。」といったとしても、私の爺ちゃんの目から見たら、父の時代は便利だと映るかもしれないわけです。そして無限ループが始まる・・(笑
例えば、最近は鉛筆をナイフで削ることができる人はそんなに多くないと思います。とりあえず私は出来ません。
父 「鉛筆をナイフで削れんとは、情けないのぅ」
私 「・・・」
ここで私の爺ちゃん登場
爺ちゃん 「ワシんときゃ、鉛筆なんぞなかったぞ。筆で手紙書けるか?」
父 「・・・」
さらに一気にさかのぼって縄文時代のご先祖様登場
縄文祖様 「そもそもナイフなんかなかったよ。石よ石!自作のオノ作れる?」
爺ちゃん 「・・・」
もっとさかのぼって原始時代のご先祖様登場
原始先祖 「ていうか道具そのものがなかったし。肉は引きちぎって食うもんよ。おまえら肉引きちぎれる?おまえら全員ボッシュート!」
縄文先祖 「・・・」
爺ちゃん 「・・・」
父 「・・・」
私 「・・・」
火おこしなんていうのもそうですね。誰か自分で火おこせるっていう人いますか?(笑
いたら普通に尊敬します。すごいことです。
今となっては特殊技能、でもほんの1万年くらい前までは常識だったはずですよね。
古いものを懐かしむのは私も大好きなんですが、それは趣味みたいなもんで本気で昔に戻って欲しいと思う人は少ないと思います。
それよりは、私たちの生活は変化し続けるものだという捉え方をするほうがよっぽどシンプルで真理に近いし、実際的です。
現在、教育のありかたを議論する場で「文字を書く教育はもう必要ない」という説を唱える教育者がいるそうです。
確かにパソコンを使っていて、漢字を書く能力を使っているかといわれれば、おそらくそうじゃありません。
どっちかっていうと読む能力を使っています。スペースキーでFEPが勝手に変換してくれますから、それを見て結果が正しいと思ったらエンターキーを押す。皆さん同じだと思います。
つまりパソコンが普通に普及することを前提にすれば、読む能力は必要だが、書く能力はいらないっていう意見なわけです。
この意見はものすごーーーーーーーい極端ですけど、そんなに遠くない未来を見通したものかもしれません。
確かに、いつか書く技術が不要になる日は来ると思います。
現在、私たちが普通に出来ることが失われるから、悲しみを感じたり、もったいないなぁと思ったりするのでしょう。
しかし、その影では悲しい瞳で私たちを見つめる原始時代のご先祖様がいるのです。
相対的なんだなーと思うんです。
ぺペロンチーノと少年王の謎の死
ヨンスさぁーーーーん(涙みなさんこんにちは。彼女が見ている美しき日々(韓国ドラマ)をチラ見している複雑系自営業者です。チェ・ジウって美人だなぁ。
昨日の昼ごはんはぺペロンチーノでした。私、これ得意技です。
ホタテとアスパラがあったので少しボイルした後にパスタソースと一緒に炒めて、最後にクリームソースをちょっとだけ。
あーやっぱ白い皿いいなぁ。自分で言うのもアレですが見栄えがかなりよくなる。
生のニンニクが芽出まくりだったのでチップのニンニクを使いました。楽チン。
古代エジプトでは労働者たちの精力剤として使われていたのがニンニク。
ピラミッドの製造にも大きく貢献していました。
私はいろいろな国の神話に興味があります。仕事での絡みもあって古代エジプト神話が特に大好きです。
文字もある程度読めます。ヒエログリフっていうやつ。
古代エジプトといえば、ツタンカーメン!
ツタンカーメンといえば・・
とりあえずあれですよね
・・・呪い・・・ドヨヨーン
うーん古いですかね(笑
ま、実際ツタンカーメンの呪いなんていうのはガセです。尾ひれがついたんですね。
ツタンカーメンがピラミッドから発掘されたと思っている方もいるようですが、それは違います。
ツタンカーメンは王家の谷と呼ばれる所の地下深くに埋葬されていました。
有名なのはやっぱ、黄金のマスクですよね。
マスクは純金製!重さが11キロもあります。頭の上にコメ袋を置いているような重さ。
ツタンカーメンは3重の棺の中で眠っていました。3重ですよ!マトリヨーシカみたいな感じ。
第三人形棺と言われる棺は、なんとこれまた純金製です。
この第三人形棺はスクラップにしても2億円の価値があると言われています。本当に大量な金が使われているんですねぇ。
墓から見つかった黄金のマスク、それをかぶっていたのはもちろん・・
そう、ミイラです。
つい先頃、エジプト考古庁がツタンカーメンのミイラを再調査しました。
CTスキャンなどの技術を使って、ツタンカーメンの死因を探ります。
身体的な特徴から、ツタンカーメンが少年であったことはよく知られています。
死んだ年齢は恐らく18歳か19歳。非常に若くして死んでいます。
また、即位したのが12歳か13歳と言われていますので、こういった状況から普通に死んだとは考えられず、ミイラの傷などから判断して殺害されたという説が有力でした。
しかし今回の調査で、殺害された可能性はかなり低くなったようです。
私は古代エジプト王(ファラオ)のミイラ写真がたくさん収録されている本を持っています。
古代エジプトってざっと3000年近く続いた文明ですが、こんだけ長いわけですから、王様の数もすごいですよ。
全部で600人近くの王様(ファラオ)がいたとされます。すげー!多すぎるやろ(笑
このミイラ本を見ていて感じるのが「これって全部本人なんだよなぁ」っていうこと。
普通ほら、絵だったり像だったりするわけですよ。例えば織田信長なんて定番の肖像画がありますが、実際どんな顔だったか分かりませんよね。
でもね、古代エジプトのミイラの写真は全部 ご本人(笑
本物なんですよ。考えてみたらすごいじゃないですか。
3000年も前に現人神としてすべての民衆から慕われた国家のトップ!本人の写真なんですよね。感激!
古代エジプトでは、永遠の生命を願ってミイラを作りました。
死んだ人間の精霊が帰る場所として肉体を保存したのです。
復活しようと思って帰ってきたら、入る肉体がなかった!そんなことがないようにミイラにしていました。
建築マニアとして名高いラムセス2世という王様がいます。狂ったように自分のでかい像とか神殿を作りまくった!
ついでに子供も作りまくった! ←300人!作りすぎ!!(笑)
この方のミイラはまるで眠っているかのようにすばらしい保存状態です。死ぬまでには是非一度お会いしたいと思っています。
少し前のニュースで紹介されていた話ですが、約2割の子供が「死んだ人間は生き返る」と考えているそうです。
死んだら二度と生き返りません。ツタンカーメンの肉体は今も残っていますが、3000年経った今でもやはり動かぬ屍です。
この「死んだ人間が生き返る」と考える子供が増えていることについてはまた別の機会に私の考えをまとめたいと思います。