初めて本音を語る
どんなに仲の良い友達にも本音は話した事が無い
引かれるのが恐い
メンドクサイやつだと思われたくないからだ
もちろん家族にだって話した事はない
こんなに長い文章、しかも悪口みたいな事を書く自分が
自分自身、本当に気持ち悪いと思う
もともと家が裕福ではなかったと思う
最初から貧乏だったのかは、幼かったのでわからない
キョウダイも多く、祖母もいたので、人数が多かった
なのに父親が借金をつくっていた
事あるごとに我が儘で傲慢な姉が口を挟んだ
おいしいところは、いつだって姉が持って行った
次女だった私
祖父母は長女である姉と、私の次に産まれた長男を可愛がった
幼い頃から、不公平を感じていた
でも、世の中こんなもんだ
私が我慢すればいいと、昔は思っていたし、それほど苦痛でもなかった
今よりも大人だった
最初は姉ばかりズルいとも言ったが、母親は同じレベルで言うな。アンタが大人になればいい。と私を諭した
私は納得した
しようとした
何よりも、我が儘な姉を見ていると、私まで我が儘な事を言うと母親が困ると思ったからだ
そんな事も考えられないで我が儘を言う姉弟を、私は幼いながらも軽蔑していた
昔はそうだった
私が大人になればいいと必死に納得しようと思った
でも今は違う
「正直者が馬鹿を見る」というのは本当で、我慢した事が報われる事はなかった
「私が我慢するのが当然」と言うポジションについただけだった
黙っていては損をする
我慢をしても報われない
いい事なんて何もない
そう気付いたのが遅かった
もっと早くに気がつかなかった私も相当馬鹿だ
そんな事を思いながら生活していた所為か、気がつけば主張出来ない人間になっていた
私の自信の無さはここから既につくられているのだと思う
そうして今でも、こうやって苦しい思いをしている
自分を認められなくて
人の所為にするなよと思われるかもしれないが、私は姉と、親の所為でこうなったと、今でも本気で思っている
昔は大好きだった母親も憎らしくなった
今でも母親は姉ばかりだ
私は一人でいる方が好きな大人しい子だと思っているのだろう
昔から
そうしたのは、紛れも無くこの家の環境だと言うのに
それに気付かず、初めからそうであったと思っている両親には腹が立つ
早く死んでしまえばいいと何度も思った
最低な父親と、能天気な母親
最悪だ
父親は家の事に関しては全く無関心
家の事は大抵、母親がしていたように思う
その点においては母親は大変だったであろうと思うが、同情はしない
自分で選んで結婚したのだから
問題があるのならば話し合うべきだろう
父親はパチンカスだ
そう
借金はパチンコで作ったものらしい
おまけに煙草も吸う
害でしかない
悪質な煙を子供に吸わせている
臭い不快なニオイを巻き散らかしているという事を理解していないのだろうか
何よりも、借金をしている人間が酒も煙草も辞めないとはどういう事なのだろうか
反省なんてしていないのだろう
シネ
シネ
シネ
私はパチンコなどのギャンブルと煙草という物が凄く苦手になった
苦手と言うよりも嫌悪だ
自称ポジティブな母親は、私から言わせてもらえば、感情に鈍感なのだと思う
羨ましい
その能天気さを少しは分けて欲しいくらいだ
私が体調が悪いと言っても、心配する様子はあまり無い
というか真剣に私の話を聞く気が無い
ダラダラ病じゃない?だとか、寝過ぎだからだとか
とにかく腹が立つ
好きで寝ているわけでは無い
本当にしんどいから寝ている
しんどいといっても身体ではなく心が
無気力で何もする気になれない
なのに、やはり他人の感情や痛みに鈍感だからか、理解はしない
そのくせ、自分の怪我になると、見て!だの何度も同じ事を言って騒ぐし、嘘か本当かわからないテレビの情報を鵜呑みにする事もある
心がしんどいと言っても、どうせ気のせいだとか、そんなのどうしようもないだの言って返されるだけだ
本気で別の家にうまれてきたかった
でも今はもう違う
生まれてきたくなんてなかった
生きている事が辛い
何の希望も夢もないのに生きていかなければいけない事が辛い
私が初めて死にたい。死のう。と思ったのは中学生の時だ
当時、私はとても厳しい部活に所属していた
理由は部活を辞めたかったからだ
辞めたいけど、辞めさせてもらえなかった
当時の私は、顧問が凄く恐く感じたし
(今では大問題になるだろうが、実際に頻繁に体罰があった)
とてもじゃないが、辞めますとは言えなかった
母親に何度も相談はしたが、辞めたいなら辞めればいいと、根性無しと呆れたような反応をされた
その頃は、まだ母親に嫌われたくないと思っていた
だから辞めたいけど、辞められない状態が続き、つらくなった
確かに私は弱い
結局は逃げたかっただけだ
だけど、部活を辞める選択をした子もいた
なのに私だけが許されないのは何故だと思った
本当につらかった
それで、ある日の部活の帰り道
友達と別れ、一人になった瞬間に思った
今、この走っている車の前に飛び出せば死ねるのではないかと
実際にはしなかった
でも部活を引退するまで何度も何度も頭をよぎった
だから耐えられたのかもしれない
いつでも死ねるという武器は思ったよりも強かった
不思議なもので、一度、死にたいと思ってからは、その考えが頭から離れなくなった
考える頻度は増した
嫌な事があると死にたいと思った
死にたい死にたいと書いているが、死にたいというよりも、消えたいという方が表現が近いかもしれない
自分という人間が最初からなかった事になればいいと思った
親もこんな感じなので、たいして悲しまないだろうと思った
結局は、私が弱いだけだが、それでも辛いものは辛い
耐えられる人がいるなかで、私は耐えられない人間なのだ
自然界は弱肉強食で、弱いものは死ぬ
動物は簡単に死んでしまう
温度だったり、ストレスだったり
人間も同じで、個体差がある
強い人間と弱い人間がいる
でも人間は簡単に死なせてはくれない
いくら辛い思いをしていても、自然に死ぬ事は出来ない
安楽死という選択は今のところできない
自ら死ぬしか方法はない
死ぬ事を考えるが、いつも直前で踏みとどまったしまった
あんなに嫌いな母親なのに、やはり迷惑はかけられないと思った
私はどこまで馬鹿なんだと思った
が、これはもう性分だと思って諦めるしか無かった
私は出来る限り、我慢はしてきた
最低限のお金と言えど、やはり子供を育てるのにはお金がかかっただろう
お金をかけた人間。一応自分の子が、肉の塊。生ゴミになる気持ちを考えると、なかなか死に踏み出せなかった
母親を思ってだの、こんな都合のいい事を書いてはいるが、やはり恐かったという方が大きい
そんなこんなで、死ぬに死ねない辛い日々は続いた
勿論、楽しい日もあった
毎日泣いていたわけではない
だが頭の中には、どうしても「死」という文字がこべりついていた
死ぬという選択肢が私の頭の中を巡るなか、私は初めて風俗というものに身をなげる事になった
18歳だった
友人の影響でそういう知識だけは無駄にあった
しかし、異性と付き合ったり、恋愛的な経験は全くなかった
もうこの頃にはすっかり病んでいた
どうにでもなれと思った
昔からお金の事でずっと悩んできた
高校生の頃にバイトもしたが、稼げる額なんて土日でたかが知れていた
ダサい格好しかできない自分が恥ずかしかった
お金がない事も恥ずかしかった
お金に不自由していない周りの人を見て、心底羨ましく思っていた
無気力だった
最低限の事はしようと思ったけど、どうしても駄目だった
生活も相当だらしなかったと思う
大学もよくサボった
何もしたくなかった
本当は心が病んでいるのではなく、だらしなかっただけなのかもしれない
そんな状態だったから、当然バイトなんてものもする気がおきなかった
でも、やがてはお金は尽き、金欠になる
どうしようもなかった
更に辛くなった
やはり死にたいと思った
自分で書いておきながら、弱いな。と思う
嘲笑いたくなる
でもこれが事実だ
死にたい。どうにでもなれ。と自暴自棄になっていた
風俗だなんて未知の世界だった
恐かった
知らない事は恐い
いろんな事を考えたが、結局はどうでもいいという結論に至った
わけのわからない客ともめて殺されるかもしれない
とか
病気になるかもしれない
とか
でも考えたら、おかしかった
私は死にたいのだ
殺されようが、病気になろうが関係なかった
HIVにでも感染して、そのうち死ねるんじゃないかと思った
何でもいいから死にたいと思った
死ぬ勇気がなかった私は
こうして私は18歳、大学に入って初めての冬に
初めて、風俗という世界に足を突っ込む事になった