お坊さんって、どんなことをしているのだろう?
お経を読むって、どんな意味があるのだろう?

例えば、身内に不幸があって、葬儀でお経を唱えてもらったり、お墓に納骨したりするのは、残された人が心の整理をつけていくための儀式のようなものだと考えていた。

それに、30分程度お経を読むだけで、数万から場合によっては数十万単位のお布施を頂くなんて、まさに「坊主丸儲け」ではないか!とさえ思ってしまう。

そんな信心のかけらもない私が、なぜか不意に読みたくなったこの漫画。

『霊験修法曼荼羅 ー密教僧秋月慈童の秘儀ー』
永久保貴一 朝日新聞出版 



密教の入門書のようなマンガで、その宗派の中でも、秘技・秘術を駆使して、特殊な相談を専門に請け負う一門のお話。

つまり、視えてしまったり、感じてしまったりするお坊さん達のお話。

主人公の秋月慈童(大愚慈童)さんは、実在のお坊さんで、マンガの作者の永久保さんが慈童さんの語りを聞きとって作品にしている。

密教だけでなく、仏教や霊能者に興味がある人なら、かなり面白い内容だと思う。

 

お不動さんや天狗さんはじめ、聖天様、大黒天、毘沙門様、荼枳尼天(だきにてん)といったたくさんの仏像や妖怪などが登場する。

私は霊とかエネルギーとか、まったく視えない凡人なのだけれど、
 

心理の世界にいると、セラピストや相談に来られる方の中にも、霊感が強い人がわりといるので、「見えない世界」があるのも「特殊な能力を持った人」がいるのも、当たり前になってくる。

 

電車に乗ると、ほかの人のエネルギーが入ってきて疲れてしまったり、気の良くない場所を通ると、本当に具合が悪くなってしまったり、実際に憑依されてしまったり。

そのスイッチのON/OFFができればいいのだけれど、なかなか難しいらしい。

主人公の慈童さんは、神仏と繋がっているので、自分の気は使わず、神仏から力をいただいて呪を発動することができるという。

日々コンステレーション(家族や組織のシステムを扱う心理療法)を使っていると、それと同じように感じる場面があって、

システムのもつれている箇所が見えてきた時に、自分の力でどうにかしようとしてもうまくいかず、その「場」に委ねることで、外部から「何か」がやってきて、そのもつれがスルスルと解けていくことがある。

ゾーンに入った時みたいな感じ。

第3巻の中には、拝むとその場を無秩序な状態にしてしまうお坊さんが出てくるのだけれど、そのお坊さんは「システムの破壊者」と呼ばれていて、ますますコンステレーションっぽいと思ってしまう。

ということは、お坊さんの「拝む」というのは、混沌とした場所や心に秩序を作っているという一面もあるのかもしれず、なんだか同じようなことをやっているのかもな。

最後に、


大地主さんで、お金もいっぱいあるのに不幸なことが続くという相談者さんに、慈童さんが伝えたこと。

「負のものに取り憑かれているから悪いことが起きるんじゃなくて
負のオーラを出しているから悪いことになるんですからね」

感染症には何より免疫力が大事、みたいに、

魂のためにちょっとづづ徳を積んでいこう、と思った次第。
 

市が主催しているセミナーなどで心理講座を行うと、終了後に参加者からの質問で「どこに相談に行けばいいですか?」と聞かれることがある。

大抵の場合は、どこの地域にも、こころの相談窓口があって、心理士によるカウンセリングが無料で受けられるところもあるし、地域の保健センターや精神保健福祉センターでは専門医に相談できたりもするので、そちらを紹介している。

ただ、さらに進んでトラウマ治療となると、返答が難しい。

トラウマ治療には色々なアプローチがあって、万能なものはなく、今の自分にはどれが合うのかっていうのは、やってみないとわからないところもある。もちろん、セラピストとの相性もあるから。

そんなトラウマ治療のひとつに、EMDRという方法がある。

写真家の植本一子さんの書かれた『愛は時間がかかる』(2023 筑摩書房)は、このEMDRによる治療を受けていた時の心象風を記録した日記のような本なので、

 

トラウマ治療を受けたいけれど、どこで、どうやって、何を探せばよいかわからないという人には、ひとつの参考になると思う。


(画像は筑摩書房HPより)

EMDRは、「眼球運動による脱感作および再処理法」という方法のことで、

トラウマになった出来事を思い出しながら、右、左、と移動する光を目で追ったり、両手にスティックを持って、右、左と振動している間にその出来事について思い浮かべたりする。

私はEMDRは受けたことがなく、以前、NHKのETV特集で見たり、心理療法の本で学んだ程度なので、詳細はEMDR学会のHPなどを見てほしいのだけれど、

トラウマ記憶を思い出している時には、脳がその記憶の場所でフリーズしてしまうので、眼球を動かすことで、脳の情報処理のプロセスを活性化して統合を進めていく、という感じではないかと思う。

植本さんは、パートナーとの関係での見捨てられ不安を改善しようと、以前から通っていた原宿カウンセリングセンターの中野葉子先生に相談し、トラウマ治療としてEMDRを受けることにする。

全6回の治療の中で、人生の中での大きなトラウマ体験について取り組んでいく。そして、パートナーに母親を求めていたことに気付いたり、幼少期の母親との葛藤が思い出されたりする中で、相手への執着が薄らいでいく。同時に、守られていた記憶や、愛されていた記憶にもアクセスできるようになっていく。

私は、親子関係に関するトラウマからの回復には大きく2つの段階があると考えていて、

最初は、ずっと抑圧してきた自分自身の本物の感情に気づき、親と境界線を引いて分離する段階、

次が、再び親とつながる段階。親を許す、とかではなく、親から見えていた世界を、そのままに見ることができるようになる段階。

自分自身や他者の行動の裏側にある思考や感情を観察したり推測したりする能力(メンタライゼーションの能力)が育ってくると、傷ついた部分だけでなく、守られていたり、時には愛されていた感覚が、ふと呼び起こされることがある。

植本さんは、1回目のセッションから「何度かやっていたら、ふいにお母さんの気持ちに気づく瞬間があった。そのとき初めて、お母さんも心配だったし、不安だったろうなって急に思い浮かんで。・・・見える光景は同じなのに、感じ方が変わっっている。・・・今はその光景を思い出しても、不思議と寂しい気持ちにはならない」(p.43)

という変化を感じていた。それまでに数年間にわたるカウンセリングを続けてきたこともあると思うが、この感じ方の変化って大きな一歩だと思う。

「他人の靴をはく」という言葉があるように、自分目線から抜け出して、他者から見える世界をそのまま見ることができるようになるのは、どんな心理療法でも目指しているところのひとつだと思うし、心の成長そのもので、他者を理解したり、信頼する時に必要な力になる。

私の場合は、EMDRではなく、コンステレーションでのセラピーだったけれど、「母親とか父親っていうのが感覚としてよくわからない」とか、「あなたたちのせいで、どんなに苦しかったか」と殺意さえ湧くような状態だったので、

 

あたたかい記憶がよみがえって涙が止まらなくなるなんて想像もしていなかったし、親と繋がりを感じられるようになるなんて自分の人生にはないものだと思っていた。

最後に、

植本さんはトラウマ治療を「なんか除霊みたいな感じもする」という。本当に、黒いものが抜けて、取り憑いていたものが消えていくと、トリガーとなっていたコトや人への反応が起きにくくなって楽になる。

誰とも心がつながらない寂しさを抱えている人たちは本当にたくさんいる。
この本は、そんな人たちへの希望のひとつ。
(もちろん、EMDRが合わない人もいるけれど)

セミナーの時にはいつも、白川美也子先生の『赤ずきんとオオカミのトラウマケア』を持参して紹介しているのだけれど、次回はこの本も一緒に並べてみようと思う。

小さな国の大きな物語

「俺ってスゴイ!」と自分の自慢話ばかりの人や、

SNSで「イケてる私」をアップし続けている人を見ると、

 

その裏側にある焦燥感や劣等感、権力欲の方に意識がいってしまって、

特にその人が無意識であればあるほど、

つい指摘してしまうという、悪質な逆マウンティング癖があった。

 

きっと私も、同じ痛みや欲望を消化できずにいたのだと思う。

 

辻田真佐憲さんの新著『「戦前」の正体』は、

さらにスケールを巨大にした「ニッポン凄い!」の背景を、

神話を軸に検証した本でとても面白かった。

 

 

辻田さんといえば、ゲンロンが運営するシラスで配信されている番組「国威発揚ウォッチ」も時々ウォッチ中。

 

ところで戦前とは何だったのか?

1853(嘉永6)年、ペリー来航で植民地化の脅威にさらされ、大きな転換期を迎えた日本。

「このままではいかんぜよ」と考えついた策が、神話を使って政治体制を抜本的に改めることだった。

 

日本はもともと天皇が治める国。将軍も、天皇が任命する。

だから、政治改革といっても、原点回帰にすぎない。

・・・というロジックを使うには、ほとんど記録の残っていない神武天皇までさかのぼる必要があった。そして、「神武創業」という掛け声とともに、急ピッチで日本改造計画が始まる。

 

「正面からヨーロッパ化しようと言えば、反発をまねきかねない。だが武を重んじていた神武創業に帰るといえば、たとえ洋服の採用でも伝統に則っている気がしてくる。このようなトリックで、ひとびとのプライドをできるだけ傷つけず、すみやかに西洋化を図った」のだ。

 

つまり、大日本帝国は「神話に基礎づけられ、神話に活力を与えられた神話国家」だった。大きな大きな物語。

 

八紘一宇、国体、神国、万世一系、教育勅語、君が代などのキーワードはどれも神話と関係している。そして、国威発揚の流れは「上からの統制」だけでなく、「下からの参加」によっても作られていった。

 

たとえ虚構であっても、物語には、人を煽動・動員する力がある。

だから、私たちはどんな物語を選ぶかが大事だと辻田さんはいう。

 

明治維新から太平洋戦争の敗戦までが77年、そして、敗戦から令和4年までが77年、という数字の上での折り返しが終わって、結局いまだこの社会は「定まらぬ自画像」のままだ。

 

ではどうすればいいのか?

 

辻田さんは「自分たちの立場を補強する物語を創出して、普及を図るしか道はない。このような試みが十分に行われていないから、戦前の物語がいつまでたっても極めて中途半端なかたちで立ちあらわれてくる」と述べる。

 

なんだか、トラウマセラピーのようではないか!

 

そうか、日本には、いまだちゃんと向き合えていない傷があるということだ。

「明治維新」と「大東亜戦争」。痛みが大きすぎて、抑圧、否認、逃避など、色々な防衛機制が働き、なんとか形を守ってきたのかもしれない。

 

そこで生じたアイデンティティクライシスに対処するには、自己理解を深める必要がある。「特別な国だ」という叫びは、そのまま「特別な国でなければならない」という願望の裏返しだから、その根っこにある等身大の自分を再認識すること。

 

そうしなければ、再び大きな痛みを再体験することになる。

 

どうせわからないと手放す前に、

どうせ変わらないと投げやりになる前に、

小さな一歩として、この本は最適な一冊だ。

 

敗戦から78回目の8月が、まもなくやってくる。