小さな国の大きな物語

「俺ってスゴイ!」と自分の自慢話ばかりの人や、

SNSで「イケてる私」をアップし続けている人を見ると、

 

その裏側にある焦燥感や劣等感、権力欲の方に意識がいってしまって、

特にその人が無意識であればあるほど、

つい指摘してしまうという、悪質な逆マウンティング癖があった。

 

きっと私も、同じ痛みや欲望を消化できずにいたのだと思う。

 

辻田真佐憲さんの新著『「戦前」の正体』は、

さらにスケールを巨大にした「ニッポン凄い!」の背景を、

神話を軸に検証した本でとても面白かった。

 

 

辻田さんといえば、ゲンロンが運営するシラスで配信されている番組「国威発揚ウォッチ」も時々ウォッチ中。

 

ところで戦前とは何だったのか?

1853(嘉永6)年、ペリー来航で植民地化の脅威にさらされ、大きな転換期を迎えた日本。

「このままではいかんぜよ」と考えついた策が、神話を使って政治体制を抜本的に改めることだった。

 

日本はもともと天皇が治める国。将軍も、天皇が任命する。

だから、政治改革といっても、原点回帰にすぎない。

・・・というロジックを使うには、ほとんど記録の残っていない神武天皇までさかのぼる必要があった。そして、「神武創業」という掛け声とともに、急ピッチで日本改造計画が始まる。

 

「正面からヨーロッパ化しようと言えば、反発をまねきかねない。だが武を重んじていた神武創業に帰るといえば、たとえ洋服の採用でも伝統に則っている気がしてくる。このようなトリックで、ひとびとのプライドをできるだけ傷つけず、すみやかに西洋化を図った」のだ。

 

つまり、大日本帝国は「神話に基礎づけられ、神話に活力を与えられた神話国家」だった。大きな大きな物語。

 

八紘一宇、国体、神国、万世一系、教育勅語、君が代などのキーワードはどれも神話と関係している。そして、国威発揚の流れは「上からの統制」だけでなく、「下からの参加」によっても作られていった。

 

たとえ虚構であっても、物語には、人を煽動・動員する力がある。

だから、私たちはどんな物語を選ぶかが大事だと辻田さんはいう。

 

明治維新から太平洋戦争の敗戦までが77年、そして、敗戦から令和4年までが77年、という数字の上での折り返しが終わって、結局いまだこの社会は「定まらぬ自画像」のままだ。

 

ではどうすればいいのか?

 

辻田さんは「自分たちの立場を補強する物語を創出して、普及を図るしか道はない。このような試みが十分に行われていないから、戦前の物語がいつまでたっても極めて中途半端なかたちで立ちあらわれてくる」と述べる。

 

なんだか、トラウマセラピーのようではないか!

 

そうか、日本には、いまだちゃんと向き合えていない傷があるということだ。

「明治維新」と「大東亜戦争」。痛みが大きすぎて、抑圧、否認、逃避など、色々な防衛機制が働き、なんとか形を守ってきたのかもしれない。

 

そこで生じたアイデンティティクライシスに対処するには、自己理解を深める必要がある。「特別な国だ」という叫びは、そのまま「特別な国でなければならない」という願望の裏返しだから、その根っこにある等身大の自分を再認識すること。

 

そうしなければ、再び大きな痛みを再体験することになる。

 

どうせわからないと手放す前に、

どうせ変わらないと投げやりになる前に、

小さな一歩として、この本は最適な一冊だ。

 

敗戦から78回目の8月が、まもなくやってくる。