最近私は、自分がたあくんの奥さんじゃなくて良かったな、と思うことが多い。
それは、きっと、そこが彼の一番最後に帰り着く場所(ところ)だからかもしれない。
そこにはまるで、往復切符を買うときのような、裏切りようのない目的や周到さが見え隠れする。
奥さんというのは そういうポジションに立つことだろう。
小さい頃、保育園でママゴトが大流行したが、決まって私は男の役をかって出た。
旦那さんだったり、お父さんだったり、おじいさんだったり、息子だったり。
お母さん役の子は甲斐甲斐しく家事や育児のマネゴトに興じ、じつに楽しそうに
おもちゃの食器をかちゃかちゃやっていた。
でも時々、人数が足らずに仕方なく、子どものいない夫婦という設定のママゴトをした。
あれはどうも盛り上がりに欠ける。
だんだん白けていって、そのうちママゴトを続ける理由がなくなり、別のあぞびに切り替えてしまう。
だから、「かぐや姫」にせよ、「桃太郎」にせよ、子どもを失ったのか、もともといないのかは別にして、
夫婦だけでおじいさんおばあさんになるまで仲良く過ごしている様子が、いささか奇妙に映った。
私は、幼心に、この夫婦は途中で白けなかっただろうか、
いったいどんな風に歳をかさねてきただろう、
と考えを巡らせてみるけれど、いっこうに分からないままだった。
ただ、理解できたのは、竹の中で光っていようと 桃から飛び出そうと、
どこからかやって来た赤ん坊は死ぬほど可愛かったに違いない、ということだけだった。
お母さんの役が楽しそうだ、ということをママゴトで学んだ私は、
どんなに素敵な奥さんが、どれほど威張っても、それは残念ながら親心に敵うものではない,
そんな風に感じていた。
つづく
今日のコモさん:
(地獄のそうべえのお話を暗誦してもらったときの感想)
「あー、面白かった~、忍玉乱太郎のお話~!!
とくに、学園長先生とっ、土井先生とっ、しんべえとヘムヘムがっ、おもしろかったあ~、がはは」
おいおい。。。