最近私は、自分がたあくんの奥さんじゃなくて良かったな、と思うことが多い。


それは、きっと、そこが彼の一番最後に帰り着く場所(ところ)だからかもしれない。


そこにはまるで、往復切符を買うときのような、裏切りようのない目的や周到さが見え隠れする。


奥さんというのは そういうポジションに立つことだろう。


小さい頃、保育園でママゴトが大流行したが、決まって私は男の役をかって出た。


旦那さんだったり、お父さんだったり、おじいさんだったり、息子だったり。


お母さん役の子は甲斐甲斐しく家事や育児のマネゴトに興じ、じつに楽しそうに


おもちゃの食器をかちゃかちゃやっていた。


でも時々、人数が足らずに仕方なく、子どものいない夫婦という設定のママゴトをした。


あれはどうも盛り上がりに欠ける。


だんだん白けていって、そのうちママゴトを続ける理由がなくなり、別のあぞびに切り替えてしまう。


だから、「かぐや姫」にせよ、「桃太郎」にせよ、子どもを失ったのか、もともといないのかは別にして、


夫婦だけでおじいさんおばあさんになるまで仲良く過ごしている様子が、いささか奇妙に映った。


私は、幼心に、この夫婦は途中で白けなかっただろうか、


いったいどんな風に歳をかさねてきただろう、


と考えを巡らせてみるけれど、いっこうに分からないままだった。


ただ、理解できたのは、竹の中で光っていようと 桃から飛び出そうと、


どこからかやって来た赤ん坊は死ぬほど可愛かったに違いない、ということだけだった。


お母さんの役が楽しそうだ、ということをママゴトで学んだ私は、


どんなに素敵な奥さんが、どれほど威張っても、それは残念ながら親心に敵うものではない,


そんな風に感じていた。



つづく


今日のコモさん:


(地獄のそうべえのお話を暗誦してもらったときの感想)


「あー、面白かった~、忍玉乱太郎のお話~!! 


とくに、学園長先生とっ、土井先生とっ、しんべえとヘムヘムがっ、おもしろかったあ~、がはは」


おいおい。。。



たあくんは、私と酒をのむとき、ふつうに酔っ払う。


酔っ払うけど、まったく顔に出ないから 傍目には彼が酔っているようには見えない。


私は酒なんてのまないから 酔っ払うこともない。


飲み屋のつまみは大好きだけど喉が渇くから ウーロン茶とかジュースをいっぱいのむ。


だから時間が経つにつれ、お腹がちゃぽちゃぽになる。


たあくんが言った。


「雑誌の占いなんか読むとさ、たいてい、ロマンチストだって書いてある」


「誰が?」


「誰って、俺だよ」


「え、たあくんが? え、雑誌の占いとか読むの」


「読むさ ときどき」


ういっ。 たあくんがしゃっくりをして、そして


「意外?」


と、にやつきながら、顔を近づけて私にキスしようとした。 


私は、くっさ! と嫌がって 両手で彼の顔を遠ざけた。


すると、笑っていたくせに、きゅうに拗ねた様子で、彼はグラスに残ったビールを飲み干した。


拗ねた彼をみつめながら、ロマンチストって 一体どういう人のことをいうんだろうと考える。


しばらく黙っていると、たあくんが箸で揚げ豆腐を崩しながら口を開いた。


「なあ、おまえ、親友とは相変わらずか」


たあくんから やっちゃんの話をするなんて、ほんとうに珍しい。


私は身を乗り出して答えた。


「うん、こないだ、二人でキリンレモンと、コーラと、ファンタを一気飲みして、


十分間げっぷしないで解析の問題解くゲームしたの!」


「小学生か、お前ら」


「いやいやいや、結構すごいんだよ。


やっちゃん、理系じゃん、げっぷの仕組み説明できるんだから、教科書も見ずに。


それにビブンセキブン(微分積分)できるんだよ? 私、数学は関数出てきた時点で死んだから


代わりに東大の英語の入試問題解いたの」


親友のやっちゃんは男子。 やっちゃん、たあくんのことを「おっさん」って呼ぶ。


私が 何度、たあくんだ、って注意しても直さない。 やっちゃんはきっと妬いているんだろう。


たあくんも一番仲の良い女友達が不倫したら、ヤキモキするのだろうか。




今日のコモさんのお言葉;


私: 今日、ごはん 何にする? パスタ? 親子丼?


コモ: いやあ、コモは、食べものだけを食べたいなあ。


(え、どういうこと??? )


あと、


私: コモ、今度の休み、どこ行く?


コモ: あのさあ、イチゴがさあ、一面にばあああっとなっていてさあ、


はちみつ(多分ミツバチのこと)がな、はちみつがいっぱい飛んでいるんだよっねーーー!


(っねーーーー!って言われても・・・)


-1-



-----この世界で 自分だけがちょっと特別だった。


自分のことをくまなく知るのは、何よりきっとこの自分だけ。


お母さんや、親友のやっちゃんや、彼氏のたあくんだって、私をどのくらい知っているのか、


どう思っているのか、私には分からない。


三人がなにを考えているかは、深い深い謎なのだ。


そう思うとますます、唯一分かる自分が「特別」になる。


たいした取り柄なんてなくても、世の中の空気が読めなくても、結構落ち着いて生きていける。


「他人との違い」はあんまり関係なくて、 「他人と比べて特別」って話ではなくて、 


「自分」が見ている世界を 「私」は知っているし、


「私」が考えていることを 「自分」は知っていることの安心。

 

「私」と「自分」との同一性こそが、紛れもなく「特別」なのだ。





私には付き合って1年とちょっとの彼氏がいる。


彼の名前は「たあくん」。 彼は「光子(みつこ)」の旦那さん。

たあくんは「光子」を愛してる。 と同時に、私と付き合っている。


私には愛されている実感なんて、ない。 そしてそれでいい、きっと。


愛が「ある」とか「ない」とかは、実感と妄想とが随分いい加減な仕方で作り出す問題だろうから。


だから、私もそのうち愛されているという実感とか妄想とかにめぐりあえるかもしれないし、


そうならないままかもしれない・・・。 先のことは知らない。


たあくんが「光子」を愛していることも、本人がそう言っているから知ってるだけ。



つづく



今日のコモさんのお言葉:


「お弁当を作ったら メモを添えると 100倍楽しいよ!!!」


←なんか 少女漫画の「占いコーナー」みたいなフレーズ(笑)