내한국
안녕 여로분
このブログは5年前の思い出を綴っている。
あの日学校から帰って、ご飯を食べた後お部屋にいた。夕方からアルバなのでその準備をしていた。この間わからなかったことを調べたり、今日一緒に勉強する内容を確認したりしていた。たまたまテレビをつけていたのだが、目に飛び込んできたのは津波の映像だった。
まずいと思った。ただ宮城と言う単語が宮崎という単語に聞こえ、初めは九州なのではと思った。しかしコシテルの日本人が集まりだし、すぐに東京が危ないと感じ始めた。
すぐに家族と連絡が取りたかった、有名エンジンは全て見れなくなった。MSNやgoogle、yahooでさえjpのsiteは一瞬ついてもすぐ消えてしまい、電話も通じない。とてつもなく怖い。コシテルではNHKがみれないためどんな状況かもわからなかった。
韓国のニュースは全てこの話題になり、どこのテレビ局も同じ津波の放送を幾度もした。しばらくしてメールが1つ来た。父からだった。「地震大丈夫です。 父、母」涙が出た。今でも覚えてる。
何ができるわけでもないがソウルの町で日本の被災者のための募金に協力した。今でも募金している。わたしの小さな気持ちが届くなど考えているわけではない。どうかみなさんがうまくいきますようにと願うばかりだ。