鬼頭工業 30年の歩み 150こうした組織替えを経てから、昭和37年(1962年)2月、トヨタ自工の生産技術部などにも在籍していた吉兼錬治(現、常務)が入社した。トヨタ自工出身者は、社長を筆頭に幾人かいたが、いずれも工場現場出で占められた間接部門経験者の雇用は初めてだった。彼の入社は、トヨタ自工における設備の設計、製作にかかわる担当者などを知る上で期待されたが、後日、予想通り開花していった。鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
鬼頭工業 30年の歩み 149池田首相が所得倍増論をうたいあげた昭和35年(1960年)、6月29日付で合資会社鬼頭工業所は、鬼頭工業株式会社に改組、改称した。資本金は500万円。経営陣は 代表取締役 鬼 頭 一 雄 取 締 役 鬼 頭 チヨ子 取 締 役 鬼 頭 セツ子 取 締 役 鬼 頭 邦 取 締 役 村 上 一 巳(工場長)の5人が就任した。鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
鬼頭工業 30年の歩み 148彼はいま豊田地区きってのゴルフの腕前だが、これも営業政策の決め手として特訓をしたもので、直接、間接的にも業績向上の後押しをしていることは事実である。鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
鬼頭工業 30年の歩み 147昭和33年4月以来、名古屋機工株式会社(豊明市)で設計、生産管理などの技術を中心に武者修業をしていた鬼頭邦(現、常務)に母、鬼頭チヨ子から呼び出しがかかった。まだ修業は3年目を迎える段階だったが、この要望を聞き入れ、同社を円満退社、当社の営業担当として再スタートをきった。鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
鬼頭工業 30年の歩み 146従来、総務、経理分野の仕事を除いて、すべて社長が一人で切り回していたが、井川の登場によって、技術面の強化ばかりでなく、営業活動の面でも大きな力添えとなった。鬼頭工業株式会社|KITO MAC|