鬼頭工業 30年の歩み 155昭和38年(1963年)の役員会で、専務と常務を置くことに決め、併せて役員の担当を決めた。また、かねて辞意を表明していた村上一巳に代って、鬼頭稔の取締役就任を承認した。鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
鬼頭工業 30年の歩み 154株式会社に改組した時点で85名だった従業員は、昭和36年(1961 年)時点で108名と、100名の大台を初めて突破、37年(1962年)には118名に達したが、これら経営スタッフの増強によって企業体質にも力がつき始めた。鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
鬼頭工業 30年の歩み 153当時、当社の組織図はしごく簡単だった。社長の下に事務係、企画設計係、製造部があるだけ。個性のある人間集団ではあったが、就業規則など名ばかりで、組織としての規律に問題を残していた。鬼頭稔はさっそく組織づくり、就業規則や退職金規定づくりなどに取り組んだ。鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
鬼頭工業 30年の歩み 152そして同じ年の9月、早稲田大学法学部を卒業後、国税庁入りし、昭和税務署(名古屋市)を最後に退官した鬼頭稔(現、常務)が管理体制づくりという重責を背おって入社してきた。鬼頭工業株式会社|KITO MAC|