こうした折り、当社を取り巻く周辺では、昭和44年KUKA社の輸出担当部長が来日、総代理店であるウエスタントレーディング(東京、酒井直衛社長)の社員の案内で、大手企業を訪問して回っていた。しかし、商談は不調。日本への直接輸出は不可能という結論に達したが、市場には魅力を感じ、昭和45年に入ると、輸出担当部長に代わって、ゼムリンガー技術担当重役を来日させ、トヨタ自工の竹本道一生産技術部長殿(現、取締役田原工場長)に提携企業を紹介してほしいと申し入れていた。


鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
大型自動溶接装置の完成とKUKA社との技術提携

溶接治具の生産技術を生かして、昭和42年4月、大型自動溶接装置を完成、溶接機の生産技術に磨きをかけることになった。社長と後藤製造部長が、トーメン株式会社の南濤仁氏(現、中部食糧株式会社開発室長代理)の案内で、昭和44年8月23日から9月4日にかけて訪米、溶接機械と洗浄機に照準を合わせて調査。さらに昭和45年5月21日から鬼頭吉之製造課長(現、取締役技術部長)を海外研修を兼ねて派米、ひそかに標準溶接機の技術導入先を物色していた。


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この日を待っていた当社は、共同購入した3社の先べんをきって、ただちに南方向と西方向に傾斜する丘陵地帯を平坦にする工事をはじめた。大型ブルドーザなどが導入され、うなりをあげ、みるみるうちに雑草のおい茂る旧開拓農地の面影を一掃していった。


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旧地主の多くが地元におらず、その居住地をさがすのにひと苦労。ある地主のごときは英国のロンドンに永住していた。ともあれ、用地買収には印鑑がいる。鬼頭稔常務は、東京、大阪、仙台さらには離れ島まで足をのばし、折衝した。買収交渉に乗り出してアッという間に1年が過ぎ、2年目を迎えてようやく決着がついた。


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