買収面積は三社で5万坪(165,000平方㍍)。買収交渉には鬼頭稔常務が当たった。ところで、この地は市街地からほど近い西部丘陵地帯にあるが、第二次大戦前までは荒れ地のまま放置されており、戦後、海外からの引き揚げ者が入植、農林省の補助を受けて開拓した地であった。しかも、農地改革の網目からもれた旧地所有者の農道などもあって、新旧地主が複雑に入り組んでいた。加えて、トヨタ自工がこの丘陵地の買収工作を進めながら、終局的にはその取得を断念したといういわく付きの土地でもあった。これらは、買収交渉に乗り出してから初めて知ったが、案の定、幾度か暗礁に乗り上げた。


鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
当時、豊田鉄工株式会社と大豊工業株式会社も工場移転を真けんに考えているとの情報を聞いた。さっそく、豊田市当局の約束を後盾に両者へ共同で用地買収をしてはとの申し入れを行ったが、快諾を得て、現在地の買収工作に乗り出した。


鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
こうした時期のある日、西山孝・豊田市土木部長殿(現、豊田市長)は「早晩、広路町一帯は市街地に入ってしまいますよ。いまから他への転出を考えておくことが得策ですよ」との指摘を受け、併せて用地買収には側面援助する旨を約した。


鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
工場移転のための用地買収

広路時代は小刻みに周辺農地を買収しながら工場を拡張してきたが、昭和40年を過ぎる頃からそれもむずかしくなった。豊田市勢が急速に拡大するなかで、地価は高騰、農家も田畑の売却には応じなくなってきたわけだ。


鬼頭工業株式会社|KITO MAC|