環境変化に対応した会社方針の見直しを実施、3ヵ月後の11月13日付で、組織改革に踏みきった。その骨子は、①企画管理部を総務部に改称、総合的、弾力的な経営体制を確立するため、企画課を発展的に解消、人事、庶務のほかに、営業事務を含めて総括課とし事務処理の総括的まとめをする部門に拡大する、②購入品の適正購入と支払い業務を一本化し、適正な購買業務ができるよう経理課を拡大する、③トヨタ自工依存を改め、市販をより拡大するため、営業各課を充実する、④製作日程、出図、予算、原価の早期処理と把握のため公務管理課を設ける、⑤資材、倉庫業務を一本化し、不要在庫を少なくするため、資材管理係を設ける、⑥保全業務を充実するため、技術員を増員し、第一保全、第二保全を設ける、⑦同日付で明示された昇格者の正式辞令は試行期間の結果をみて交付するというものだった。


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このニクソンショックは、わが国経済に大打撃を与えた。輸出戦略、とくに対米輸出と本格的な取り組みを始めていたトヨタ自工も例外ではなかった。さっそく設備投資は見合わせられることになった。当社にとっても事態は深刻となり、対応を迫られた。


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経営方針の見直しと組織改革

昭和46年8月16日、ニクソン米国大統領はドルと金の交換を一時停止するなど、一連のドル防衛政策を発表した。東京外国為替市場ではドル売りが殺到して混乱、東京株式市場もダウ平均で210円50銭という史上最大の暴落劇を演じた。いわゆる日本経済を震撼とさせたニクソンショックである。これを機に、政府と日本銀行に対ドルレートの変動相場制への移行を決め、昭和24年4月以来の1ドル360円という固定相場制に別れを告げた。


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ともあれ、オイルショック以降、昭和51年頃まで設備機械業界は受注量の減退で軒並み減量経営を強いられ、名門企業の幾つかが姿を消した。豊田地区の設備関連各社も同様で就業時間中に工場の窓をふいたり、敷地周辺の草取りをして時間をつぶすという光景がみられたが、当社はこうした事態だけは克服できた。


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井関農機とは栗原工業株式会社の仲介で、一方、不二越とはクカ社の技術導入企業としてのアプローチが成功したもので、これら多角的な取り組みは、ソフト、ハードの両面から盛りだくさんの技術蓄積に結びついていった。


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