鬼頭工業 30年の歩み 285昭和50年2月にはエヌテーエヌ東洋ベアリング株式会社の2柱リフト、同年11月には井関農機株式会社の穀物処理プラント、株式会社不二越の集塵装置をそれぞれ下請け生産した。 鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
鬼頭工業 30年の歩み 284この実績が認められ、造船不況のまっただ中、ならさき造船株 式会社の設計技術者が当社に長期滞在、愛知製鋼株式会社向けの製鋼プラントの一部を当社で生産した。ともあれこれが縁となって、当社は搬送装置のメーカーとしての基盤を築きあげることになった。 鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
鬼頭工業 30年の歩み 283こうした設計技術の研修を経て、新日本製鉄株式会社大分製鉄所向けプラントの一部、厚板搬送コンベアを皮切りに、輸出向けプラントなども手がけた。 鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
鬼頭工業 30年の歩み 282さっそく、技術部から5名が選抜され、6ヵ月間の設計研修のため大阪へ派遣された。設計技術者の社外研修実績としては、トヨタ自工とクカ社があるが、新日本工機での経験も新たな刺激となり、設計技術のレベルアップにつながった。 鬼頭工業株式会社|KITO MAC|
鬼頭工業 30年の歩み 281オイルショック後、先ず新日本工機株式会社の製鉄プラ ントにアタックする方針を打ち出し、同社の快諾を得た。同社のPJ型立中ぐり盤、NC装置付立中ぐり盤のそれぞれ第1号機を導入したのが縁で、営業担当者がよく来社、一時期、製鉄プラントの外注工場をさがしていたことを思い出したのがきっかけだった。 鬼頭工業株式会社|KITO MAC|