前回も書いたとおり、
>人は生まれた時、誰ひとりとして不安など持たず、等しく「可能性の塊」
だったはず。
しかしなぜそれが人によってまちまちな状態になってしまうのか。
それにはさまざまな原因があるとは思うが、大きく括れば「環境要因」であることは想像がつく。
その子供の身近にいた大人たちは、どんな言葉を使い、どんな価値観で生きていたのか?
それを子供は全て受け取っていく。
自分自身の経験を思い起こすと、母の証言では、わたくしは小学校6年間にわたり、
「お宅のお子さんは変わった子ですね」
と言われ続けたそうだ。
しかし幸いなことに、うちの両親はその言語をネガティブに受け取らず、わたくしを肯定してくれた。
なのでわたくしは「人と違う」ことを肯定的に捉え、むしろそういう生き方を望むようになった。
その結果が今に繋がっていることは、疑う余地がない程、明白である。
ここで気づくことは、学校の教師や、わたくしの両親がそうであったように、子供に対して自分の
発する言葉が、どれだけの影響を及ぼすかということを、ほとんど理解していないことだ。
「人は、掛けられた言葉の通りの人になる」
という言葉がある。
同じ子供を、意識的に肯定的な言葉を掛けて育てて言った場合と、否定的な言葉を掛けて育てた場合では、恐らく別人のようになるのは想像に難くない。
ところがほとんどの大人は、無自覚に、そして感情的に子供に声を掛けている。
ある種のそれは、まるで呪詛のように聴こえる時さえあるのだ。
いずれにせよ、子供たちは周囲の大人たちから掛けられた言葉を参考にして、自分自身と外の世界が
どのようなものなのかを規定する。
同じ出来事に対して、ある者は肯定的に、ある者は否定的に受け止めるようになる。
エリス博士のABC理論である。A=出来事、B=思い込み、C=解釈というステップを見ると分かることがある。
「思い込み」が変わることで、出来事の解釈はいかようにでも変わる。
ところが、ほとんどの人は、自分がどのような思い込みを持っているか、気づいていない。
まして、この「思い込み」が周囲の大人たちの解釈による「言葉」で作られたことを。
人は知らぬものを見ることは出来ない。しかし知れば、それに対処することが可能となる。
その「思い込み」にどう対処し、人生を好転させるかは次回に譲ろう。