3年前に知り合った友達がいます。
製造業の家に生まれましたが、自我の目覚めと共に親に反発。
社会に出る時には、家業とは無縁の仕事に就きました。
しかしストレスで倒れたときに、親御さんが命がけで彼を救出。
病の床で、自分を振り返った彼は新しい道を選びました。
今では家業の中から企業内起業し、全国に知られる迄に成長。
愛すべき努力家です。
今日は久しぶりに、そのキラキラした友達に会いに行きます。
さて、今日のトピックは「成功を望む」です。
多くの人が、今という時代を「新しい時代への移行期間」と感じ、
次への方向性を見定めつつ、より良い着地点を模索しているのでは
ないでしょうか。
その行動を表現する言葉が「成功」ではないかと思います。
先日、あることで自分の社会人人生を振り返る機会があり、その時
久々に人生の自意識に目覚めた瞬間のことを思い出しました。
「成功」という、自分の辞書になかった単語をインストールして、
それをどう定義するのか、周囲を眺めて、しばらくは他人の借り物
の「成功」を自分のもののようにして活動していました。
それでもそれなりに物事が前に進み、うまく行っていたかのような
時期もあったのですが、先に進むにつれて「何かが違う」と感じる
ことが多くなってきました。
そこからが今に繋がる道になっていたのですが、幸い友人に恵まれ
人生そのものをアップグレードする機会を与えられて、視界が広がり、
より俯瞰して世界を見た時に、自分の方向性にズレがあることが
明確に理解出来ました。
そのズレは何だたのか、というと「順番」でした。
今にして思えば、「恐れ」からのことだったのでしょう。
「与える」ことは二の次。「受け取る」ことばかりに気が向いて、
自分の近しい人達以外には、全く目が届いていませんでした。
しかし「変えてはいけないもの」「普遍的なもの」「自然」から、
いろんなことを学んで行くうちに、正しい順番を理解しました。
「人は自ら与えたものを受け取る」
真理は実にシンプルです。
しかしそれを信じること、ましてや真実に生きることは容易くは
ないことです。
ロングタームで見れば、間違いようのないことでも、人生80年と
思うと、やはり目先のいい話には乗りたい気持ちになる。
それも今だから分かることです。
しかしこの、多くの人が見失っている時代において、あえて遠くを
見て、もし真の「成功を望む」のであれば、まず「与える」つまり
先に「誰かの役に立つ」ことを求めて行う。
それも打算ではなく、本当に「相手の求めていること」を求めて、
それそのものを成す。
それが「成功を望む」心の順番なのではないかと、改めて思っています。