「失」には、「忘れる。失う」という意味があります。
「念」には「いつも心にとめていること」という意味があります。
つまり、「失念」とは、「いつも心にとどめていたのに、ちょうどその時だけうっかり忘れてしまうこと」を意味しています。
「度忘れ」と同じ意味であり、「忘却」「物忘れ」「記憶違い」とはニュアンスが異なります。
「失念」に「謝罪」や「謙譲」のニュアンスはあるの?
うっかり忘れていたことを示す言葉であることから、「失念」していた事実を謝ることはよくあることです。
しかし、「失念」自体に謝罪のニュアンスは含まれていません。
シンプルに「うっかり忘れていた」という意味です。
また、「拝見」のような謙譲語でもなく、「失念」自体に謙譲のニュアンスは含まれていません。
(→ 「敬語の指針」でも謙譲語の特定形について「失念」の例示はありません)
そのため、自分が主語として謝罪の場面で「失念」という言葉を使う場合には、「失念いたしました」「失念しておりました」などの謙譲語にするとともに「申し訳ありません」と謝罪の言葉を合わせて使う必要があります。
自分を主語として「失念」を使う場合
「失念」は、約束していたり、覚えているはずだったりすることを、うっかり忘れてしまった時や、それについて謝罪する時に使います。
最初から記憶していなかったという意味や、意図的に忘れたという意味でなく、「気にかけていたのにその時たまたま忘れてしまった」わけですから、無礼さや失礼さのニュアンスは多少なりとも和らげることができます。
◇覚えていたことを思い出せない時
単に失念していただけで、自分以外の誰にも迷惑をかけていない時があります。
例えば友人との会話で次のように話すこともあるでしょう。
<例文>
自分「昨日はパスワードを失念してしまい、どうしても思い出せなかったんだ。最近こういう度忘れがよくあるんだよね」
友人「それって、物忘れとはまた違うから、年のせいでもないよね。忙しすぎるんじゃないの?」
◇相手の名前がすぐに出てこない時
会合などで、人の名前を度忘れしてしまったときに使います。
ただし、同窓会など気さくな場面や、相手と親しい場合には、は「失念」より「度忘れ」のほうが良いでしょう。
<例文>
「クラスの人気者でしたよね! お顔はしっかり覚えているのですが、ご名字を失念してしまいました。ごめんなさい」
◇約束していたことをうっかり忘れてしまい謝罪する時
取引先などとの大切な約束を忘れていたときに使えます。
あまり理由をこじつけず、「失念」を使って潔く謝罪する方が良い場面がありますね。
その際には、前段と重複しますが、
「失念しました」より「失念いたしました」「失念しておりました」と謙譲表現にする必要があります。
また「失念」自体に謝罪のニュアンスは含まれていないので、謝罪の言葉を合わせて伝える必要があります。
<例文>
誠に申し訳ありません。失念しておりました。ただいま急いで向かっております。
「失念する」は他人が主語でも使える
◇自分以外に、他人が主語の場合にも使える
「失念する」は、よくある「度忘れ」と同じ状況でありながら、「漢語」による硬めの響きが律儀な印象を与えるようです。敬語ではありませんが、謝罪の場面でもよく使われる表現です。
「失念する」の主体は「私」に限りませんが、主語に「私」しか使えないと思い込んでいるケースも見受けられます。
その背景として考えられるのは
・約束を忘れて謝罪する場面で「(私が)失念しておりました」と使われることが多い。
・そもそも「失念する」ことは望ましいことではないために、積極的に他人(特に目上の人)を主語にしにくい
ことがあげられます。
しかし、まず「失念」することが誰にも迷惑をかけていない場面では、謝罪の必要はないわけです。
また、「失念」することは、人間であれば、私だけでなく誰にもあること。他人が主体でも使えます。
(この記事の後半に、文学作品などで使われている、さまざまな例を引用しました)
もちろん、他人を主語にすることは、指摘していたり、責めていたりする印象を与えないとも限らないので、積極的には使いにくい状況かもしれませんが
・単なる状況説明
・約束を忘れている人に配慮して事前に教える
・忘れたことを悔いている人をフォローする
場面で使うことは十分にありえることです。
動作の主体や使う相手(聞き手・読み手)によっては、敬語表現にする必要があります。
◇動作の主体が、「彼」「彼女」などの場合
小説などの物語では、彼・彼女などが主語となる時もあります。
<例文>
彼は、何か大切なことを失念しているような気がしてならなかった。
◇動作の主体が、上司や先輩である場合
動作の主体が先輩や上司であっても、指摘にはつながらない場面もあります。
●上司が、誰かとの約束を忘れていた時
例えば、あなたにプライベートな話をすることもある上司が家族との大切な約束を忘れてひどく後悔している場合、次のような表現が部下の言葉として成立します。
(あなた→上司:尊敬語「失念された」)
<例文>
上 司「我ながらひどい父親だよ。家族との約束をすっかり忘れていたとは」
あなた「このところお忙しかったのですから、失念されたのも無理からぬことですよ」
●先輩など目上の人と待ち合わせしていたのに、全く連絡がつかなかった時
(あなた→先輩:尊敬語「失念しておられた」(失念していらした))
<例文>
先 輩「申し訳ない。今手帳を見て…今日だったね」
あなた「もしかして、先輩、失念しておられましたか?」
上司や先輩に対して、その行動を「失念された」「失念しておられた」と表す場面はなんとなく指摘に繋がるようで気後れしてしまいますが、上記のようなケースも珍しくはないことでしょう。
●上司が得意先との約束を忘れてしまった時
社長など役職が上位にあるケースでも、会社の規模によっては社長自身でスケジュール管理していることがあります。
社長あるいは上司が約束を忘れていることに気づいた社員は、どう対応すればよいでしょうか?
まず、忘れてはいないかと、それとなく確認するでしょう。
しかしその時「お忘れではありませんか?」と直接的な表現より「失念されているのではありませんか?」の方が「うっかりのニュアンスが加わるので、配慮のある表現です。
言うまでもないことですが、この場面では、忘れていることを指摘するのは失礼だというのは、的外れです。
ただし、その場合、他にも社員がいて社長に恥をかかせてはいけないと思った場合
「社長、もしかしたら本日は……」
と最後まで言わずに、自ら思い出してもらうようにしても良いですね。
早めに伝えて間に合ってもらうようにすることが最善でしょう。
相手の行為について使う場合は、上記のように臨機応変に心がけます。
◇動作の主体が、同僚や部下である場合
また、動作の主体が同僚や部下である場面として、次のようなケースが想定できます。
●仕入れ先担当者と得意先で待ち合わせているのを忘れていた時
部下が、仕入れ先の担当者と取引先で直接待ち合わせていたのに、うっかり忘れてしまった。
それを上司として仕入れ先の担当者にフォローの依頼をする場面です。
<例文>
あなた「本日はお世話になります。実は、誠に申し訳ないのですが、うちの〇〇が13時の待ち合わせを失念しておりまして、今急いでそちらに向かっております。〇〇さんにはご迷惑をおかけして恐縮ですが、先に先方のご担当者と打ち合わせを始めておいていただけませんか」
また得意先に対して謝罪する場合、相手によっては、そのまま率直に「失念していた」と伝えて、怒りを買うこともあるかもしれません。場面や相手によるので、臨機応変に対処しましょう。
文学など本における「失念」の用例
「失念」という言葉は、文学など書籍でもさまざまな用法が見られます。
主語としては1人称、2人称、3人称が見られ、それに対応して謙譲語にしたり尊敬語にしたりと変化させて使います。
ややこしいですね。
敬語の基礎→ 場面→ 用例。
順序立てて、ゆっくり覚えるとしましょう。
「ほどよい敬語」管理人 前田めぐるの著書
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