6年の歳月と人生

6年前の今日、
宮城県牡鹿半島の東南東沖130km、
仙台市の東方沖70kmの
太平洋の海底を震源とする
マグニチュード9.0の
巨大地震が発生した。
▼傾き
地震のあった当日は金曜日で
僕は都内のとあるオフィスビルに
いた。
今でも鮮明に覚えている。
最初は地震だとは思わなかった。
揺れにしては間隔が長すぎるのだ。
「カタカタ」
「ガタガタ」
地震によく用いられる
上記のような表現は全く通用しない。
でも徐々に
“傾き”の度合いが強まってくるにつれ
誰もがただことではないことに
気が付く。
▼未知の体験
どうやら、途方もなく大きな
地震のようだ。
そう言い聞かせるしか、なかった。
少なくとも僕が生まれてから
経験したことのない“体感”だった。
どんな乗り物にも、
どんなアトラクションにも
こんな揺れ方を催すものはない。
「ギギギギィィィ…」
建物がきしむような不気味な音が
フロア内に響き渡る中、
僕たちはまず
セキュリティロック付の
開き戸を開け放しにした。
間もなくして
「開け放し」を知らせる
警告音が発せられたが、
当然、それどころではないので、
無視する。
恐怖に怯える人の声。
警告を知らせる電子音。
建物全体が発せられる音。
幾つもの音が不協和音を奏でる中
何分にも及ぶ未曾有の大震動は
その後我々を未だ見ぬ境地へと
誘うこととなった。
▼帰宅難民
僕は当日、生まれて初めて
帰宅難民を経験した。
なぜなら都内の交通網は
全てストップしてしまった
からだ。
「大きな自然災害が発生した際は
むやみに外に出ず、
その場にとどまること。」
今となっては常識だが、
これも東日本大震災により
定められた指針。
当時は徒歩で帰れる人は
そのまま帰宅の途に就いた。
僕の自宅は
そこから電車で数十分の場所だったので
暫くの間、現地待機を余儀なくされた。
時間の経過とともに
明らかになる惨状。
ふとした瞬間に発生する余震。
当然眠る場所などなく、
眠気が襲ったらそのまま
オフィスの椅子の上で寝落ち、
すぐに目が覚める、を繰り返し
やがて朝を迎えた。
▼6年の歳月と人生
あれから今日で
丸6年が経過した。
多くの日本人にとって
決して忘れることのできない、
「3.11」
僕自身も複数人の知人を
この震災で亡くしている。
勿論僕だけではなく、
身の回りの多くの人々の意識が
あの時を境に確実に変化しているのを
今日この瞬間も感じることができる。
丸6年と言えば
ちょうど小学生が入学し
卒業を迎える長さだ。
6年で積み上げてきたものは
人それぞれかも知れないが、
「いつ起きてもおかしくない」
防災への心がけは常に忘れず、今日、
そして明日からの毎日を過ごしたい。