いよいよ昨日(2月17日)から日本でも、医療従事者を対象とした新型コロナワクチンの接種が始まりました。今後、高齢者、基礎疾患を持つ人、高齢者施設の職員、一般の人という順で、次々に接種が行なわれていく予定です。
皆さんもよくご存知と思いますが、政府はすでに米ファイザー社(6000万人分)、米モデルナ社(2500万人分)、英アストラゼネカ社(6000万人分)の3社と正式に契約を結んでいます。
このワクチンがいかに危険性をはらんでいるかについては、前回のブログでお知らせしました。
 

 

ワクチン接種についての政府の法的な決定では、「努力義務」となっているので、言葉の上では強制ではなく、拒否することも可能です。しかし、一億総マスクの現状を見ても日本人のほとんどがコロナ脳に洗脳されていることは一目瞭然です。

主流メディアの大々的な宣伝の力や、日本人の同調圧力の強さなどから言って、一般の個人が敢然と接種を拒否することは難しいでしょう。


ことに医療従事者は、その危険性についてよく知っていたとしても、立場上、拒否することは困難です。自分が拒否しておいて一般の人に接種を勧めたり、申請者に接種を施したりするのはこの職にある人たちの良心が許さないでしょう。また、下手をしたら職を失うかもしれないのです。

これは自戒の念を込めて言うのですが、数多くの医療従事者一般の人たちに接種を拒否するよう勧めるのは、かえって酷な話だと思います。
しかしそれでもなお、できれば勇気をもって拒否してほしいと私は個人的には思っています。

とはいえ、医療従事者が拒否する場合には、専門家としての観点から危険性を熟知した上で、申請者に対してもいちいち説得するのでなくてはなりません。
それだけの意志力と胆力のある医師、看護師、介護士が日本にどれだけいるでしょうか。きわめておぼつかないというべきでしょう。大方は、進んで実験台になるか、何となくそういうものと思って同意するか、ほんとは受けたくないが暗黙の強制力の前に仕方なく受け入れるか、どれかということになるでしょう。

これは日本の精神風土や国民性に関わっていることでもあるので、にわかに変えるわけにはいきません。残念に思います。

いまワクチン接種の是非を巡るさまざまな情報が乱れ飛んでいますが、前回のメルマガの後、私が得ることのできた情報のうち、これは信頼できそうだと思えるものをいくつか紹介しておきます。


まず――
https://www.bitchute.com/video/4nZ7mCblGjwf/
このサイトは世界医師連盟に属する医師33人が、ワクチン接種の有害性を強調している動画です。勇気のある人たちです。みんなが、それぞれの仕方で、新型コロナワクチンの安全性には何の保証も得られていないし、有効性にも確証が得られないままに巨大な人体実験が行なわれていると訴えています。
それだけではなく、多くの人が、コロナパンデミックそのものが偽であって存在しないと主張しています。


欧米であれだけ死者が出たのに? といぶかる向きもあるかもしれません。
しかし私自身も主張してきましたが、これは健康に関心のある世界の人々(ほとんどすべての人々ですね)の視線が、武漢ウイルスという「事件」にたまたま凝集して引き起こされた集団ヒステリーです。よく数字を追えば、いわゆる新型コロナの流行によって、どの国の総死亡者数も増えてはいず、むしろ減っていることがわかります。
また公式発表によってさえ、どの国も昨年5月段階からコロナによる累積死亡者数は急角度でほぼ水平に近くなり、終息に向かっていることが読み取れます。しかもこの公式発表もインチキが多く、水増しされている可能性が大なのです。ぜひ下の二つのサイトを参照してください。
https://web.sapmed.ac.jp/canmol/coronavirus/death.html
https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/effcc9c591be4f8689a563b585ae5639
そして問題は、このインチキによって、誰の懐に莫大な金が入るのか、そして誰が命を落とす羽目になっているのかです。答えは言わなくても明らかでしょう。

次に――
http://wonderful-ww.jugem.jp/?eid=2518&fbclid=IwAR2NEhT487PPlF_0WGo9fEi1nF__GNPmu783SmRfWOpW8syjaMfOtWLp7ek
これは、環境問題ジャーナリストの山本節子氏のサイトです。このサイトでは、1月29日段階でのCDC(アメリカの厚労相に当たる)の公式発表による、ワクチンの「有害事象報告」が引用されています。
これには、事象別の内訳が表にされています。有害事象総数は10000人を超えており、死者数は501人となっています。なお接種者総数は延べ3500万人ですから、率にすればごくわずかということになります。
しかしこの表を引用している原資料では、
問題は、CDCが求めているのはワクチン接種後「特定の時間内に」起きた有害事象だけで、規定の時間後に起きたものはカウントされないことだ。したがってこのシステムで報告される有害事象は1%未満と見積もられ、被害者の把握システムとしては失敗であり、
と書かれています。
もしそうだとすると、山本氏が言う通り、実際に、重篤なものも含めて何らかの「有害事象」を被った人は、100万人を超えており、死者はすでに5万人を超えている計算になります。

次に――
https://ameblo.jp/ja-narisuto-x/entry-12657082786.html
このサイトでは、英国の公式発表による「有害事象」が報告されています。それによると、


・ファイザーワクチンの有害事象 / 報告数 5万8614例 死亡例 143例
・アストラゼネカワクチンの有害事象 / 報告数 4万2649例 死亡例 90例


もちろんこの数字は、アメリカと同じように信用できません。900万人が接種を受けており、ファイザー社のワクチンでは、9割に副反応が出ることが知られていますから(前記「それでも惑沈、打ちますか?」参照)、この事実と、上の数字を100倍した時の数字とは、ほぼ辻褄が合います。
さらにこのサイトでは、特に重篤と思われる「有害事象」の数がずらりと網羅されています。
政府・厚労省やNHKはじめ主流メディアは、なぜこれらについて何の発表もせず、ひたすらワクチン接種の必要を呼びかけているのでしょうか。先進国の名に値しないどころか、ワクチン推進派の全体がヤクザ集団みたいですね。

次に――

ドイツでは、2020年の5月に大規模な反ワクチンデモが起き、その影響かどうか、6月に、ワクチンを強制的に受けさせる法案を廃案にし、日本と同じように「努力義務」としました。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/05/post-93422.php
また8月には、コロナの行動制限に反対する大規模なデモが再び起きました。
https://www.cnn.co.jp/world/35157596.html

 

欧米では、コロナ死者(とされる人たち)が日本よりけた違いに多いことはよく知られています。それでもパンデミックと呼ぶほどではないので、当局が敷いたロックダウンなどの厳しい行動制限に公然と抗議するのはある意味で当然と言えます。

最近になって、ドイツでは、新型コロナワクチンを最初に開発したのはドイツの研究者なのに、なぜかワクチン接種が他の欧米諸国に比べてひどく遅れているという報道がなされました。

https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00023/012700234/

この記事を書いている記者は「困ったことだ」という調子で、なぜ遅れているのかについてとんちんかんな理由を挙げていますが、これは、上記のような経過を見れば、接種を拒否する国民が多いためであることは明らかです。


しかし欧米では、少なくとも、このようにはっきりと意志表示するのに、日本ではどうでしょうか。
その必要もない有害無益な緊急事態宣言を受け、時間短縮営業を半ば強制されて、計り知れない経済的ダメージを被っているのに、その人たちは、不満を述べ立ててはいるものの、怒りの声を結集させようとすらしていません。一日6万円の「協力金」なるエサを与えられて、おとなしく「お上の声」に服従しています(この施策は、じつはウハウハの人と不公平感を募らせる人との国民分断を引き起こしています)。日本人は、なんと従順な羊なんでしょう。

もう一つ――
フォーブスジャパンの次のような記事があります。
https://forbesjapan.com/articles/detail/39062
米国では、新型コロナウイルスの新規感染者や死者の数が急増しているにも関わらず、驚くほど多くの医療従事者たちが、ワクチンの接種を拒否している。オハイオ州知事のマイク・デワインは12月30日、ワクチンの優先接種の権利を与えられた介護施設の職員の約60%が、接種を拒否していると述べ、「これは困った状況だ」と話した。
ヒューストンのユナイテッド・メモリアル・メディカル・センターのジョセフ・ヴァロン博士は12月の公共ラジオNPRの取材に、彼の部門の看護師の半数以上が「ワクチンを接種しない意向だ」と話していた。

フォーブスジャパンは、ワクチン接種推進派のメディアですから、そういうメディアが書く記事だけに、かえって信頼がおけます。

最後に、そんなにまでしてワクチンを広めたいのかという茶番の例を紹介しましょう。
https://mainichi.jp/articles/20210217/k00/00m/040/107000c
埼玉県宮代町では、ワクチン一回接種するごとに1000円の商品券を配るそうです!
この行政機関は、まさに「お上」の下僕ですね。その危険性についてや、どういう世界的謀略のもとにこのワクチン接種計画がなされているかについての認識などまったくなく、素朴にワクチンの有効性を信じているようです。これから競って真似をする自治体が出てきそうですね。
このふざけた事例を紹介している毎日新聞は、名案だとでも思って取り上げているのではないでしょうか。
いや、考えてみれば、大真面目に接種を促進させようとしている菅政権にも小池都知事にも、ワクチンに対する危険性の認識はなく、危険情報に耳を傾ける気など端から無いようです。彼らもまた、世界全体主義を推し進めるDS(闇の支配勢力――例:ビル・ゲイツ)の操り人形に過ぎません。

さて、こうしてじわじわと私たちの生存をおびやかす「ワクチン全体主義」の様相を見てくると、ヒトラー・ナチスドイツの、「反ユダヤ全体主義」と、その力学がよく似ていると言わなくてはなりません。
もちろんナチスの場合は、戦争への激しい情熱と折り重なっていたために、そのテンポはあまりにも急速だったというべきですし、またその「敵」を虚構するのに、ヨーロッパ全体に歴史的に蓄積されてきた集合無意識としてのユダヤ人排斥感情を利用しました。

これに対して、今回は、特定の人間集団ではなく、「疫病」に対する恐怖という非人称の「敵」を作りだした点、一見ソフトな支配の力の作用が働いている点が違ってはいます。
しかし、それに巻き込まれていく一般大衆の心理において、進んで参加、何となく賛同、いやだけど仕方なく同意という一連のグラデーションが存在して、そのために、気づいてみたら明確な反対意志を示せなくなる状況が形成されていたという意味において、よく共通しているように思えます。
これはいわば緩慢なジェノサイドだと言っても過言ではありません。
そうして、そこにあるのは悪意ではなく、むしろ巨大な善意の集積なのです。その点も同じです。
まことに、「地獄への道は善意で敷き詰められている」。



これまで新型コロナにまつわるインチキ性と、これに大騒ぎすることの有害性について再三説いてきました。
これは、スピーディーな情報操作が可能となった現代の新たな全体主義の台頭を意味します。
もう一度要点をまとめておきます。

①PCR検査は遺伝子の存在を確かめるだけの検査で、感染の診断に使ってはならないと、この検査を開発してノーベル賞を受けたキャリー・マリス博士が警告している。


②厚労省は、コロナ以外の病気で亡くなった人の死因もコロナによるとしてカウントしている。コロナ死者は現実にはずっと少ないはずである。これは、欧米も同じ。


③PCR検査のCT値は、高く設定するほど、過敏な陽性反応を示しやすくなるが、専門的知見によれば、35サイクル程度が限界である(台湾は35)。しかるに日本では45サイクルに設定されている。こんなに高くすると、「陽性者」が飛躍的に多くなり、感染していないほとんどの人まで感染者とされてしまう。


④マスコミは、PCR検査で陽性反応を示した人をすべて感染者として発表し、しかも検査件数との割合(陽性率)を決して示さず、感染者が増えているかのように見せかけている。


⑤コロナによると称される重症者、死亡者はほとんどが基礎疾患のある高齢者に限られる。


⑥新型コロナは2類指定感染症に指定されているが、これはエボラ熱、SARSなどの、致死率の極めて高いランクに属していて、新型コロナの実態にまったく見合っていない。多くの専門家が指摘するように、インフルエンザ並みの5類に下げるべきである。


⑦マスクは、健常者が着用しても、コロナの予防には役に立たず、特に子どもには心身に悪影響を及ぼす


⑧マスコミや自治体の煽り、緊急事態宣言、営業自粛要請などによる経済的ダメージは計り知れず、それによる自殺者のほうが、コロナ死者を上回る可能性がある。政府はこの事態にまったく対処する気がない。


⑨私たちは、これらの事実を見破って、一刻も早く「コロナ脳」から脱却すべきである。

その後、松田政策研究所長の松田学氏が、以下の動画でこの問題を詳しく取り上げているのに接しました。
https://www.youtube.com/watch?v=hog1myg3QPM&feature=share&fbclid=IwAR1FiSOE9LJrhLV6jwltuDatxUttUf-shn-wirwV_yL0_nQdZ-le-ZTmI6E
松田氏は、早くから新型コロナ問題に取り組んできましたが、今回のこの動画では、複数の専門家の知見に基づいて、新型コロナについて流布している風聞や政策の誤りを徹底的に批判し、あるべき対策、政策についての提言をまとめています。
この動画は、とてもよく整理できていて、決定版とも称すべき出来映えなので、少し長いですが、みなさん、時間をとってぜひ聞いてみてください(ワクチンの危険性についての言及もあります)。

さて今やワクチン接種が各国で実地に移され、みんなが受けなくてはならないかのような空気が蔓延しつつあります。これはコロナ騒ぎの正確な延長上にあり、一見、コロナ脳にとっては、飛びつきたくなるような朗報に思えます。
しかし、コロナ騒ぎがDSや中共にとって政治的利用の恰好の手段であったのと同じように、このワクチン騒ぎにも政治的・金銭的な利権が初めから濃厚にこびりついています。

それについて語る前に、新型コロナワクチンが持つ医学的な危険性について重要なポイントを挙げておきましょう。


①ふつう、ワクチンができるまでには、3~4年の年月がかかるものだが、今回は半年足らずという拙速状態が見られ、その有効性に疑問が持たれる。


②ファイザー社とモデルナ社のワクチンの副作用は強烈で、9割以上に注射部位の疼痛、頭痛、筋肉痛、倦怠感、吐き気、発熱が見られる。また、重いアレルギー反応などの副作用を示す例がいくつも出ている。


また、ワクチンによって正常細胞にウイルス遺伝子が入ると、免疫細胞がそれを嗅ぎつけて攻撃し、膠原病、関節リウマチなどの自己免疫疾患が生じる可能性がある。


ノルウェーでファイザー社の1回目のワクチン接種を受けた75歳以上の人々の間で、計29人の死亡者が発生したと報じられている。さらに、スペインの老人福祉施設で78人がファイザー製ワクチン接種を受け、このうち7名が死亡したという報道もある。
またこういう報告もなされている。
https://ameblo.jp/ja-narisuto-x/entry-12654179143.html


③実はこちらの方が重要だが、今回のワクチンはこれまでのものと違って、mRNAという遺伝子そのものを体内に入れる初めての試みであり、今後、人間の体細胞遺伝子をあらぬ方向に変えてしまう可能性がある。


④インフルエンザワクチンを毎年受けなくてはならないことでわかるように、もともとワクチン接種による免疫抗体は、その賞味期限に限界がある。新型コロナに「自然感染」したあとできる抗体は早くに減少し消失することが知られている。


⑤ウイルスは未知の要因によって次々に変異していくが、今回作られたワクチンがその変異に耐えられるかどうかは大いに疑問である。

以上の情報は、一部、がんの標準治療に反対を唱えてきたことで有名な近藤誠氏の『新型コロナとワクチンの一番大事な話』()から借用したものですが、同書には、もっと細かく、ワクチンの危険性について書かれています。

 :私はこの書をある縁から手にすることになったのですが、その後、判明した事実によると、この書は発売直前に出版中止になりました(理由は不明)。


たとえば、米ファイザー、モデルナ、英アストラゼネカが行なった比較試験では、健康者のみを対象としていました。つまり、高齢者や基礎疾患を持つ人がワクチン接種を受けた場合、どんな影響が出るかは未知数なのです。ところが、日本政府は、2020年12月11日にワクチン接種の優先順位を決定しました。それによると、医療従事者、高齢者、高齢者以外の基礎疾患を持つ人、高齢者施設の職員、最後に一般の人、という順になっています。ここには、比較試験の対象者以外の人の生命の危険を無視して、製薬会社の試験結果を盲信するという日本政府のずさんさが見られます。弱者がまず実験台になれと言っているのと同じです。


また、ワクチンを製造した大手製薬会社ファイザーやモデルナは、有効率95%と宣伝しています。しかしここには数字のマジックがあります。「第三相試験」と言って、実地に接種する前に数万人の被験者を集めて、接種群とプラセボ群に二分し、その効果を見ます。その結果、前者の方が後者よりコロナ発症者が有為に少なければ、有効とされるわけです。
さてファイザーでは、約4万人を対象に試験を2回行った結果、接種群での発症者が8人、プラセボ群が162人だったというのです。いかにも効き目があったかのようですね(162÷170=0.95)。
しかし近藤氏は言います。観察期間がとても短く、一般にRNA遺伝子の変異のスピードはたいへん速いので、残りの約99%の人たちが今後どうなるかはわからず、将来も95%の有効率を保てる保証はない、と。


さらに、新型コロナワクチンでは、ウイルスの「死骸」を用いる「不活化ワクチン」を用いますが、これは活性化しにくいので、アジュバントと呼ばれる免疫補助剤を同時に投与します。ところがこのアジュバントがまた、乳児突然死や脳神経にかかわる重大な副作用を引き起こすそうです。

さてこう見てくると、これらの危険性について知らされないままに、コロナ脳の人たちが救い神を求めて、急いでワクチン接種に飛びつくと、どんな結果になるか。特に高齢者や持病持ちの人は思いとどまった方がいいでしょう。
それにもかかわらず、日本政府は、これらの人を優先的に接種させようと促している。ここに権力者たちの政治性や医療・薬剤業界の利権がらみを見ない方が無理というものでしょう。

思えば、武漢ウイルスが全世界に蔓延してから1年経ちますが、この蔓延状況は、ずっと政治的に利用されてきました。中共が意識的にばらまいた証拠は今のところ確かめられていませんが、結果的に次のようなことが起こりました。


米大統領選では、バイデン陣営がトランプ大統領のコロナ対策の不備を攻撃し、巨大な選挙詐欺によって政権を獲得。その背後には、アメリカ中枢部への中共の深い浸透の力がありました。ボケ・バイデンは大統領就任直後に40以上に及ぶ大統領令に、自分でも何が書いてあるのかもわからず矢継ぎ早にサインし、トランプ氏がとってきた政策をことごとくひっくり返しました(これについては、私のひとつ前のブログ参照)。

この分で行くと、この先、対中制裁もできる限り緩めていくでしょう。ブリンケン新国務大臣は、ポンペオ前国務大臣の対中政策を引き継ぐと言っていますが、今の民主党の親中体質からして、口先だけに終わる公算が大きいでしょう。


中共・習近平政権は、これぞチャンスとばかりに、台湾や尖閣に対して強硬姿勢を示し、RCEP(地域的な包括的経済連携)協定の合意を取り付け、個人のDNAを採取してビッグデータによる監視社会化を世界にまで広げようとしています。ウイグル人に対する人権弾圧は、国際社会の非難をどこ吹く風と一向にやめない。コロナに関して言えば、国内情報を外に漏らさず、わずかな人数(?)の感染者発生をネタに広域にわたるロックダウンを敷いて人民を苦しめています。


ヨーロッパ諸国も、コロナ過敏症から脱却できず、ロックダウンとワクチン処方以外の方策を模索しようともしていません。ロックダウンや自宅隔離がかえって免疫の獲得に不利なことが証明済みであるにもかかわらずです。


そしてわが日本はといえば、事実上パンデミックと呼ぶほどのことも起きていないのに、ほとんどの人にとって意味のない緊急事態宣言などを出して、経済をますます腐らせるばかりです。大多数の健康な人たちの行動制限などをせず、治療を本当に必要とする重症者に絞って医療資源を集中させるべきなのに、そういう発想すらありません。


これらを要するに、新型コロナ大流行という虚構を作り上げ、その虚構をできるだけ引き伸ばし、危険なワクチンを大量にばらまいてメジャーな製薬会社を儲けさせる――この一連の流れによって、結果的に何が行なわれているのか。情報弱者たる民衆を騙して、ますます困窮に追い込み、ごく少数者による支配を永続させようとしているのです。これはもはや社会主義か自由主義かといったイデオロギー的な選択の問題を超えています。左か右かに関係なく、世界の全体主義化が高速で進行しているだけなのです。

 

それでも、あなたは惑沈、打ちますか?


PCR検査を診断に用いてはならないと警告したキャリー・マリス博士

アメリカでは、すったもんだの挙句、バイデン政権が誕生してしまいました。「カナダ人ニュース」という動画を送り続けているカナダ在住の優秀な若者が、大統領就任式を「養護老人ホーム入所式」と皮肉っていました。言い得て妙です。
バイデン新大統領は、まるでロボットのように、矢継ぎ早に大統領令にサインしています。パリ協定復帰、WHO脱退中止、メキシコ国境の壁建設中止、100日間のマスク着用義務付け、テロ防止のための特定イスラム諸国からの入国制限を撤廃、カナダからメキシコ湾までの原油パイプライン建設中止・・・・・。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN20EPJ0Q1A120C2000000?unlock=1

すべて、トランプ政権時代の政策を急速にひっくり返すために行なわれています。
これら一つ一つについて言いたいことは山ほどありますが、あらかじめ宣言されている政策提言でバイデン政権の性格を如実に示すものとして、特に重要なのは、次の2つでしょう。
①米国在住の不法移民に市民権を与える。
②最低賃金を7.25ドルから一気に15ドルにまで上げる。


①の政策は、法秩序の無視という点で、けっして倫理的に許されるものではありません。しかしそれよりも問題なのは、この安易な理想主義的政策がどういう効果を引き起こすかです。
移民問題は、世界中で混乱を招いてきました。移民は安い賃金で我慢するので、国民の賃金の低下競争につながり、今まで家族を養えていた人びとが食べられなくなります。それだけではなく、さまざまな文化摩擦を生み、国民を分断させる大きな要因になります。治安は悪化し、格差もいっそう開くでしょう。
不法移民を認めるという情報を聞いたホンジュラスの人たち(9000人?)が、「キャラバン」と称してグアテマラ経由でメキシコを通り、アメリカに押し寄せつつあります。これはトランプ政権時代にもありましたがメキシコ国境でグアテマラに押し返されました。しかし今回は、バイデンが不法移民を認めようというのですから、押し返すのは難しいでしょう。良好だった米墨関係も危ぶまれます。
法秩序を壊し経済を混乱させるこういう政策を新政権は平気で取ろうというのです。
この「キャラバン」については、誰が考えても、領導する勢力がいるに違いありません。

②は、一見労働者救済策のように見えますが、すでに極左勢力のメッカであるシアトルで実験済みです。物価が高騰し、給料を支払えなくなった中小企業の多くがつぶれ、失業者があふれました。
https://www.youtube.com/watch?v=BpKrF0KEOrU&feature=share&fbclid=IwAR2wYegU4KPRvNNKZuPGohzR0B1aAwu8vrsZmR867S66hhOPjlwDKl9r9xE
GDP成長率と雇用を劇的に改善したトランプ政権の政策を真っ向から壊そうというのです。

バイデン一族が習近平を始めとした中共上層部と、ずっと以前から親しい関係にあることはすでにいろいろな形で伝えられています。次の情報がその癒着ぶりを具体的に示すよい例です。
https://www.youtube.com/watch?v=MkU9I-FEepw&feature=share&fbclid=IwAR28e_igtwwjIj0Cn3pqWpJ7RUP6q1e5vSgVWVw3NGLa_aG1rErtJg58Tl0
前回のブログで、「自由を国是に掲げる最先進国・アメリカが中共全体主義によって中枢まで侵蝕され、民主主義体制が崩壊の危機に瀕している」と表現しましたが、もちろんこれは単なる政治的な危機ではなく、経済的な共産主義化をも意味します。
https://38news.jp/politics/17392


上記の二つの政策は、いずれも中間層を脱落させ、国民の貧困化を作りだす意図に基づいています。バイデン自身はボケ爺さんですから気づいていないでしょうが、その背景には、中共が時間をかけてアメリカ国家全体を共産主義体制にする周到な計画(アジェンダ)があるのです。今回の「目的のためには手段を選ばない」無法な選挙のやり口とその「成功」は、この計画の第何段落目かが成就したことを示しています。


国民の中間層が脱落し、大多数が貧困化すれば、毎日の生活に追われるのがやっとになり、社会的発言力は低下し、政治的な無関心が常態となり、さらに、人と人との紐帯、協力体制が解体します。またほとんどの人が情報弱者となりますから、一握りの支配層がいくらでも虚偽を垂れ流し、自分たちの都合のいいように法を作り替え、人権を無視して厳罰を与え、政府に少しでも批判的な言論はすべて封殺し、あらゆる自由を国民から奪うことが可能となります。つまり全体主義の完成です。

ところで、いま述べたような事態は、やや形が違うものの、わが日本ですでに起きていることです。その中にいると気づかないだけなのです。


安倍政権時代に緊縮財政と増税による国民の貧困化がなされ、各産業へのグローバリズムによる外資の侵略が進み、日本共同体が長きにわたって作り上げてきた雇用制度が有名無実化し、移民政策が公然と取られ、国土は中国に奪われ、民主主義制度が単なる政権正当化のアリバイと化し、実権は一部官僚と竹中平蔵のような「民間議員」が握るようになりました。


これを受け継いだ菅政権は、露骨にこの道を進んでいます。アトキンソンなる不良ガイジンに言われるがままに、生産性向上の名目で中小企業の整理を提唱し、「最低賃金」を掲げてさらに中小企業を苦しめ、種苗法改定を断行し、コロナ禍による休業補償はほとんど行わないままに緊急事態宣言を発動し、時間制限を守らない飲食業には罰則まで設け、ワクチン接種の情報をマイナンバーにひも付けし、コロナ患者の国籍情報を隠蔽して平気で中国人を入国させ、おまけに国民皆保険制度の見直しまで口走る始末。


これらのすでに施行された制度やこれから施行を企んでいる制度は、何ら国民の合意を得ないままに強行されつつあります。日本の民主主義もすでに死んでいるのです。これを全体主義と呼ばずして、何と呼べばいいのでしょうか。

コロナ話題に触れたので、この流行病が、緊急事態宣言などに値しないものであることをもう一度確認しておきましょう。


私はこれまでブログやメルマガ、フェイスブックなどを通じて一貫して、新型コロナ騒ぎが経済を委縮させ文化を荒廃させるだけのインチキであることを主張してきました。前回のブログでも拙稿のURLを紹介しましたが、もう一度ここにリンクを貼っておきます。ぜひ一度参照してください。
https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/effcc9c591be4f8689a563b585ae5639
https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/a9a480d0a5a23d4e3cc49838e3566463
https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/c3f0af074bf98a10a0e4428d535ec56e

以上の拙稿発表以後に得た知見もあるので、ここではそれも含めて、現時点で大事だと思える点だけをここに要約します。

①PCR検査は遺伝子の存在を確かめるだけの検査で、感染の診断には使えないと、この検査を開発してノーベル賞を受けたキャリー・マリス博士が明言している。
②厚労省は、コロナ以外の病気で亡くなった人の死因もコロナによるとしてカウントしている。
③PCR検査のCT値は、高く設定するほど、過敏な陽性反応を示しやすくなるが、専門的知見によれば、35サイクル程度が限界である。しかるに日本では45サイクルに設定されている。
④マスコミは、PCR検査で陽性反応を示した人をすべて感染者として発表し、しかも検査件数との割合(陽性率)を決して示さず、感染者が増えているかのように見せかけている。
⑤コロナによると称される重症者、死亡者はほとんどが基礎疾患のある高齢者に限られる。
⑥新型コロナは2級指定感染症に指定されているが、これはエボラ熱、SARSなどの、致死率の極めて高いランクに属していて、新型コロナの実態にまったく見合っていない。
⑦マスクは、健常者が着用しても、コロナの予防には役に立たず、特に子どもには心身に悪影響を及ぼす。

まだまだあるのですが、これくらいにしておきましょう。代わりに、私と同様の考えを発表して、コロナのインチキ性を提示しているブログが最近増えてきましたので、いくつか説得力のあるものをここに紹介しておきます。これらは希望の光です。

https://ameblo.jp/obasannneco/entry-12641199459.html?frm_src=favoritemail

 

 

 

このブログでは、実にたくさんの専門家(医師)の、コロナで大騒ぎすることに対する反対意見が紹介されています。

 

 

なぜこれほどコロナのインチキ性を強調したかというと、ほとんどの人がマスコミ情報や政府、自治体の対応をそのまま鵜呑みにして、大方の医療機関さえ、それを疑うことなく唯々諾々と従っているからです。この空気の蔓延こそが、まさに全体主義なのです。
知らず知らずのうちに全体主義に巻き込まれているという意味で、コロナ騒ぎは典型的です。

さて、米大統領選話題から、コロナ話題に転換してしまいましたが、実は、両者は無関係に並立している問題ではありません。そこには確実に連関が見られるのです。
まずお断りしておきますが、私は陰謀論者ではありませんし、陰謀論を弄するだけの根拠の持ち合わせもありません。

武漢ウイルスがどのように広がったのか、それについて確かなことはわかっていません。中共政府がこれを意図的に流したという証拠は今のところありませんし、その可能性も少ないだろうと思います。

憶測ですが、武漢ウイルス研究所の管理がずさんだったために漏れてしまったというのが真相に近いのではないかと私は思っています。


その上で言えるのは、次のようなことです。


ウイルスが全世界に広がったのが、このウイルスの伝染性の猛烈さとグローバルな人的交流との結合によるものであるとして、いわゆる「パンデミック」と呼ばれるような事態になってからは、世界のDSたちが、自分たちの都合のためにこれを大いに利用してきたことは疑いないだろうと考えられます。その利用に関しては、意識的なものから無意識的なもの、悪意に満ちたものから善意でやっているものなど、いろいろあるのでしょう。

しかし事実として、闇の支配者や公然たる支配者たちが、一般大衆の不安と恐怖(それは根拠がないのですが)に乗じて、自分たちの権力維持や利権のために、コロナの重大性を過剰に煽り、不必要にその引き延ばしを行ない、疫学的な真相を隠蔽してきたことは間違いありません。
この事情は中共政府にも、アメリカの民主党勢力やエスタブリッシュメントにも、欧州の支配者たちにも、それによって得をする大商人にも、そして日本政府、自治体、マスコミにも例外なく当てはまります。
そうして、こうした社会心理的な力学にこそ、全体主義の土壌があるのです。

ですから、米大統領選における中共やDSや民主党勢力が仕掛けた巨大な詐欺行為と、新型コロナの流行を「パンデミック」と名付けて民衆の感覚と経済とをこれほどまでに委縮させた行為とが時期的に一致したことは、単なる偶然とは言えないと私は思います。


「彼ら」――全体主義者たち――は、民衆を隔離し閉じ込め、貧困に追い込み、その言葉を封じ込み、自分たちの権力の伸長と維持を図ろうとしています。その圧力と欺瞞性に対して、ほとんどの民衆はそれが圧力と欺瞞によって成り立っていることにも気づかず、「お上」のお達しを黙って受容せざるを得ないところに追い込まれています。

私たちは何ができるでしょうか。

トランプさんとその忠実な支持者たちが闘ったように、いまも闘っているように、私たちもまた、秩序と平和を尊重しながら、理性的な言葉を用いて、粘り強く「彼ら」の虚偽を暴き、その傲慢を打ち砕いていくほかはないでしょう。

 



【男女同権】(昭和21年12月発表、太宰37歳
さて戦後です。
この作品は、ある老詩人が、売れなくなって都落ちし、故郷の弟の家に居候しているが、その土地の文化組織から声がかかり、講演をした記録という体裁。
自分は子どもの時から母親を含め、出会った女性にことごとくいじめられてきた。そのさまを縷々語った後、最後に、このたび民主主義の世の中となり、「男女同権」が認められたことはまことに慶賀すべき事であり、これからは言論の自由が保障されるので、女性の悪口を堂々と言うことで余生を過ごそうと思うと結びます。
この作品は戦争直後の浮ついたイデオロギーを徹底的に茶化すと同時に、また、個人どうしの関係では、女性が男よりも常に強いという生活的事実を誇張して表現しています。太宰の真骨頂が出ていると言ってもよいでしょう。
また、彼の一貫した女性観がよく滲み出てもいます。それは、前作『新郎』『十二月八日』にも表れていましたが、女性は日常的現実にとことん根を下ろした存在であり(『皮膚と心』はその典型例です)、男性はそれに支えられて観念の世界に遊ぶことができているという把握です。彼は谷崎のように、女性をそれゆえに崇拝していたのではありませんが、よく女性という存在の本質をとらえていました。このことが男性にとって謎を秘めた女性という存在の内面にうまく入り込めた条件の一つでもあるでしょう。彼自身が多分に女性的な意識・感性の持ち主であったとも言えます。

女権拡張運動の延長としてのフェミニズムは、女性を「男性の支配を受けてきた被害者・弱者」というカテゴリーで一括し、男性の社会的権力に対抗してきました。しかし彼女たちの思想の決定的な欠陥は、意識的にか感性が鈍いせいか、けっしてプライベートな関係における両性のやり取りの構造を見ようとしないことです。エロスの関係では、暴力を用いるのでない限り、諾否の権利はいつも女性が握っています(男が金を支払って女の体を抱かせてもらう売春がその最もよい例)。普通の女性はそのことを必ずわきまえています。一般的な政治的社会的権力関係において、女性がいかに弱者と見えようと、彼女たちは自分たちの「勝利」=「性的アイデンティティ」に自信を持っています。福沢諭吉もその事実を『通俗国権論』の冒頭ですでに指摘しています。
さて最近では、多くの女性たちが「弱者」のレッテルを逆用して、この「隠れていた権力」をあらわに表出するようになりました。何でもセクハラ、痴漢冤罪など。これらはポリコレとして過剰に表通りをまかり通っています。結果、男性たちはますますお行儀がよくなり、女性に対して委縮するようになりました。老詩人の「男女同権」への期待は裏切られたと言えましょう。
何はともあれ、この作品は、硬直した「社会正義」の建前に、搦め手から痛快な一撃をくらわしたもので、思わず吹き出してしまわない読者はまずおりますまい。

【トカトントン】(昭和22年1月発表。太宰37歳)
終戦の詔勅を聞いた時、悲壮な気持ちで死ぬべきだと思ったとたん、どこからか釘を打つ「トカトントン」という音が聞こえ、たちまちその悲壮感が消えて白けてしまった主人公の青年。それから後は、何かに夢中になりかけるたびに「トカトントン」が聞こえて、たちまち情熱が冷めてしまうようになります。この頃では、日常の些細な試みにもこの幻聴が聞こえるようになり、どうにかならないものかと悩んでいます。
こういう人生相談の手紙を受け取った作家は、次のような返事を書きます。

拝復。気取つた苦悩ですね。僕はあまり同情してはゐないんですよ。十指の指差すところ、十目の見るところの、いかなる弁明も成立しない醜態を、君はまだ避けてゐるやうですね。真の思想は、叡智よりも勇気を必要とするものです。マタイ伝十章、二十八、「身を殺して霊魂(たましひ)をころし得ぬ者どもを懼(おそ)るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅ぼし得る者をおそれよ。」この場合の「懼る」は、「畏敬」の意にちかいやうです。このイエスの言に、霹靂を感ずる事が出来たら、君の幻聴は止む筈です。不盡。

有名な作品ですが、なかなか難解でもあります。この作品の読解のポイントを私なりにいくつか挙げてみましょう。
①一億玉砕も辞さずとまで思いつめた多くの庶民の思いが、一日にしてすかされてしまったその何とも言えない虚脱感が始めに置かれていて、いったいあれは何だったのかというその気分が「トカトントン」という長閑な響きによって象徴されています。これは、死を賭してまで情熱を傾けたことが無意味だったと知らされた時の気持ちをじつによく表しています。この気分が戦後社会の出発点に確実にあったことを太宰は見事に見抜いて表現しました。坂口安吾の『堕落論』『続堕落論』と合わせて読むと、面白い議論ができそうです。

②その後社会、特にジャーナリズムで喧伝されたさまざまな営いやスローガンがすべて空々しい虚妄としか思えないという感慨を、終戦直後の太宰自身は抱いていました。民主国家、文化国家、アメリカに見習え、新生日本・・・・・。

③主人公が情熱を傾けかけた時に「トカトントン」が聞こえる場面は、次の六つ。終戦の詔勅による死の決意、小説の執筆、勤労の神聖さ、恋愛、労働者のデモ行進、マラソン大会。しかし、すべてが外からの影響によって触発された事柄であって、自分から進んで選んだ意思決定ではないことに注意。小説の場合も、もともと太宰らしき作家の作品に長く親しんでいたというきっかけがありました。
唯一の例外は恋愛の場合で、これは勤めている郵便局の窓口にやってきた旅館の女中さんを自然に好きになります。実はこの場合だけは、「トカトントン」という釘打ちの音は、浜辺に二人して座っている時に、幻聴ではなく本当に聞こえてきたとあります。向こうが誘ってくれたのですが、実際には彼女が青年に好意を持っていたわけではなく、自分が定期的に大金を預けに来ることを青年が知っているので、そのことで変な誤解を受けては困ると思って、その秘密を明かして青年の口を封じるために誘ったのでした。
つまり、リアルなかたちで青年の幻想は打ち砕かれたのです。あることがらに情熱を傾けようと思ったときにおのずから白けがやってきて「トカトントン」が聞こえたというのではなく、自分の思い込みが、相手から実際にふられることで勘違いだったことを知らされたのでした。だからこそ、この場合の「トカトントン」は幻聴でなかったのでしょう。

④そこで、「作家」の返事の意味を考えてみます。ちなみに、これがなければこの作品は、戦後社会の上層に漂う虚妄の空気への気の利いたアイロニーだけで終わっていたかもしれません。
近年物故したある文芸批評家は、文学作品に対して奇抜な比喩を仲立ちにしながら社会的解釈を施すことを得意としていた人でしたが、彼がこの作品に触れて、最後の作家の返事は不必要だと唱えたことがあります。なぜ彼がそう言ったのかを私なりに想像してみると、いつもの方法論に従って、文学作品を社会的解釈のほうにことさら引っ張りたかったからなのでしょう。しかし私はそこだけに限定する読み方は不十分だと思います。この結末は不可欠なのです。
この作家の言葉は、青年が何一つ、自分から本気で(命をかけて)取り組んではいないことに関係しています。太宰は(ペンネームからして、堕罪をもじったと言われています)、自分を世間に顔向けのできない恥じ多き人生を送ってきたと常に考えていました。しかし同時に、自分が経てきた苦悩だけは本物だという自恃の念を抱いてもいました。
つまりは、この作品は、戦後の軽佻浮薄な世相の一部に現れた神経症的な傾向の形を借りて、ひそかに自分の魂に救われる余地があるかどうかを問いかけた作品なのだと解釈できます。「トカトントン」に悩まされる青年は、当然、太宰自身の一面でもあるわけです。自分の苦悩など、もしかしたらまだ救済に値しないものなのかもしれない。そう太宰は自問自答しているのです。
ちなみにここにも、他人のあり方の内面に、こっそり自分を忍び込ませる彼の文学的手法が躍如としています。傑作と言っていいと思います。



「文学カフェ・浮雲」という会に参加しています。1月10日にこの会が開かれ、私が太宰治の短編をテキストに、レポーターを務めました。扱った作品は、『春の盗賊』『新郎』『十二月八日』『男女同権』『トカトントン』の5作です。その時提出したレポートを訂正・加筆したものを、以下、2回に分けてこのブログに掲載します。


【はじめに】
太宰作品は、中学校教科書で「走れメロス」がよく取り上げられます。これは友情を守ることの尊さを主題にした作品だという教育的効果を狙っているのでしょう。しかしこの作品は、太宰作品の中ではあまり上出来とは言い難いし、また太宰らしくないテーマでもあると、私は思っています。
高校から大学くらいになると、文学好きが個人的に太宰作品に触れるようになり、『人間失格』『斜陽』『ヴィヨンの妻』(いずれも戦後作品)などの「代表作」にいかれる、いわゆる「太宰ファン」が大量発生します。自分自身の中にある弱さをそこに投影でき、そうした自分を代弁してくれているような気がするからでしょう。
しかし文学作品として見た場合、これらは太宰自身の直接的な自己投影の度が強すぎ、それは同時に彼の「本領発揮」の力が弱ってきたことを意味します(ただし『斜陽』は長編としてはかなり成功していますし、私も好きです)。これらの作品だけを読んで、その「弱さの自己肯定」臭に嫌気がさし、逆に太宰嫌いになってしまう人も多いように思います。しかしこれでは太宰文学の優れた点をきちんと評価したことになりません。
私自身が初めて太宰作品に触れた時、上記のいわゆる「代表作」を読んで、なぜこれがそんなにいいのかわかりませんでした。ところが数年後、彼の全作品を通読する機会があり、「これがわからなかったとは」と、かつての自分の未熟さを恥じた覚えがあります。この数年の間に私は大学紛争での挫折や母が精神を病んだ経験をもっています。それらの経験が私を多少大人にしてくれたように思います。

太宰作品には太宰自身と思しき主人公が一人称で頻出しますが、太宰は私小説作家ではありません。このことを押さえることが太宰文学の理解にとってまず何よりも重要です。
また彼の文学的教養はたいへんなものですが、けっして「教養主義」ではなく、むしろ自分が身につけた教養を恥じていました。
さらに彼が極度にデリケートで傷つきやすい性格の持ち主で、自意識過剰であったことは確かですが、彼のいくつかの成功作では、その過敏さを逆用して、他人の中に巧妙に入り込み、他人の意識に非常にうまく取りついてしまう(憑依してしまう)方法が用いられています。自意識とはすなわち対他意識です。
例:「皮膚と心」「女学生」「駈込み訴へ」「カチカチ山」「盲人独笑」など。
この特性と、彼の作の多くがパロディ(パクリ)であることとは深く連続しています。

ちなみにパクリという言葉にはネガティブなニュアンスを込めていません。そっくりの盗作でない限り、パロディやパクリの名人であることが、いかに特異な才能を要するものであるかは、一度本気で言語表現に取り組んでみた人ならすぐ納得するはずです。そもそも個人表現の独自性、独立性という事実に価値を置き過ぎるのは近代以降の傾向で、先人の思想や文学に依拠していない作品などありえないのです。言葉は共同体の共有財産です。いかにかつて語られた言葉を生き生きと賦活させるかが大事なのです。
また彼の文体の特徴は、落語のように物語を語っていくところにあります。一見思いついたままを放胆に語っているように見えて、そこには、実際の落語がそうであるように、意識的な計算に基づいて言葉を選んでいる痕跡がうかがえます。
物書きの楽屋などいちいち詮索しない読者は、これらのトリックのために、その軽妙で平易な語り口に思わず乗せられ、魅せられてしまうのです。

【春の盗賊】昭和15年1月発表 太宰30歳
この作品は、結婚後1年を経ずして書かれています。
主題であるはずの「どろぼう」が実際に登場するまでに全ページの3分の2ほどを、「私」が実際の太宰ではないことについてのしつこい言い訳、不眠に悩まされる自分の述懐、来し方の反省、文学への執着、その他の与太話に費やし、どろぼうを自分から招き入れて対話してからも、ひとりごとのように妄言を繰り広げ、余計なことを言って引き出しからなけなしの20円という大金をあっさり持っていかれてしまいます。奥さんが隣室でその様子を始めからうかがっており、最後に慰められ、たしなめられて、しかし心の底では、この現実的で健全な日常生活に甘んじてしまうことに満足できないことを吐露して終わります。
この作品は、青年時代の乱脈から立ち直った太宰が、かつての奔放な、しかし自己をさいなむ生活状態から、賢い妻を得て安定した作家生活に移っていく途上で書かれています。「炉辺の幸福、どうして私にはそれができないのだろう」とは、後の彼の述懐ですが、彼は戦後に至るまでのこの期間は、それができていたことがわかります。
どろぼうの登場以前とどろぼうがリアルな行動をしている間に繰り広げられる「私」の絢爛とも評すべき妄想・連想・饒舌の展開は、語り師としての太宰の才能の凄さを感じさせてあまりあります。
また、「私」が太宰自身でないことのしつこい言及は、作家個人としてはかつて受けた誤解を避けるという動機があったのかもしれませんが、この言及には、日本の自然主義文学が読者に対して進んで招き寄せたこの大いなる誤解(悪弊)への克服の意志が込められていると思います。

「私」はここでは二重にからみあった存在として描かれていて、自己韜晦と自己執着の表裏になった構造が見られます。これが太宰の表現意識の原型と言ってもよいでしょう。「私」という語そのものがフィクションとして設定されていますが、同時にそのフィクション仕立てそのものを意識的に種明かしする――この方法のうちに、人はいかにも太宰的表現の典型を見出すでしょう。メタ「私」、メタメタ「私」と呼んでもいいかもしれません。

ところで、肝心の「どろぼう」は、華奢な女として設定されています。そこで私は、これは奥さんのデフォルメだろうと解釈します。もちろん最後に実際の奥さんが登場するのですが、太宰は巧妙に奥さんの分身をどろぼうに託して表現しました。
では彼女が盗んでいったものは何か。生活費の20円であることはもちろんですが、「私」が稼いだ金を生活のために使うのは奥さんです。太宰は、その事実を落語的なヒューモアによって表現してみせたのです。
太宰は奥さんを作中に登場させるときに、けっして彼女を悪く言うことがありません(岩野泡鳴などとそこが違うところ)。女房に頭が上がらないのと女性に優しい彼自身の性格がそうさせたのでしょう。この作品でも、奥さんをひそかに恨んでいたなどという気配はみじんも感じられません。だからこそ、女泥棒という、実際にはあり得ない着想で結婚生活が強いて来る現実の厳しさを表現したのだと思います。
じつはもう一つ「私」が盗まれたものがあります。それは、この作品のメインテーマに関わるもので、自ら恃んできた芸術家としてのプライドです。このプライドの過剰な部分の放棄は、本当は生活破綻を極限まで突き詰めてしまった太宰が、自ら屈して現実生活を受け入れたところから生まれたのですから、「盗まれた」とは言えないかもしれません。しかし最後の「私」のセリフには、実生活を選んだことで、もう帰らないロマン的心情への未練が響いています。
一編の主題を簡単に言えば、芸術と平凡な生活とのどちらにも徹することのできない一人の男の悩み、というところでしょうか。
途中にこういうくだりがあります。
《あたりまへの、世間の戒律を、叡智に拠って厳守し、さうして、そのときこそは、見てゐろ、殺人小説でも、それから、もつと恐ろしい小説を、論文を、思ふがままに書きまくる。痛快だ。鴎外は、かしこいな。ちゃんとそいつを、知らぬふりして実行してゐた。私は、あの半分でもよい。やってみたい。》
そしてこの芸術と現実生活との引き裂かれは、この先も続く太宰文学にとっての本質的な主題の一つでした。しかしそれは、結婚生活での落ち着き(美知子夫人のもたらした功績が大きい)と、戦争に突入していく日本の非常時という状況の中で、直接露出することなくうまく隠されて、その結果かえって多くの佳品を生み出しました。戦後その自己カムフラージュが崩れてしまうのですが。
つまり『春の盗賊』は、青年の嵐の時期から中年の安定期への過渡を表す重要な作品なのです。趣向を凝らした面白い作品であるだけでなく、太宰文学を批評するうえで外せない作だと思うのですが、今までこれについてきちんと取り上げた例を私は寡聞にして知りません。

【新郎、十二月八日】(昭和16年12月執筆。太宰32歳)
①『新郎』(十二月八日脱稿)には、日米戦争開始の日を迎えた男の生真面目な気持ちが素直に描かれています。これはこれで当時の一般男性庶民の偽らざる気持ちの表現になっていて、身の引き締まる思いが感じられます。
ところが、訪ねて来る大学生や手紙をよこす国民学校の訓導や遠方に住む叔母に厳しく対応していながら、それをわざわざ「俺はこんなに真面目に殊勝になっているんだぞ」と書くところに、太宰ならではの自己相対化の芸が感じられるのです。
また、最後の馭者との対話と、紋服を着て銀座八丁を練り歩きたいなどの願望の表現のうちに、自分の肩ひじ張った殊勝ぶりに対する自己戯画化が施されています。そこに、本気で言っているとは思えないユーモラスな偽装(仮装)が感じられます。
『春の盗賊』に見られた二重化された「私」、いつも生身の「私」を超越する「私」の視点を作者はけっして離しません。
自分の来し方のダメさ、一般人として生きることの出来ないコンプレックスがにじみ出ていて、そういう自省と羞恥の上にしか成り立たない作品でしょう。

しかし、これだけだったら、彼のいつものやり口であり、さして特徴的とは言えないかもしれません。ところが太宰は、わずか二週間弱ほど後に、『十二月八日』(十二月二十日ごろ脱稿)を書きます。今度は奥さん(美知子夫人)の立場に立って、厳粛な心掛けを吐露している夫の気持ちにそのまま寄り添うのではなく、普段の夫の姿をよく知っている人にしか書けないようなスタンスから、その滑稽なさまを描き出しています。
これによって前作の自己戯画化、自己相対化の視線はさらに明瞭になります。説教師よろしく似合わぬ裃を着てはみたものの、西太平洋がどこかも知らず、原稿を届けてしまえば殊勝な心構えもすぐに崩れて、出先で酔っ払って帰ってきて放言するいつもの癖をさらけ出します。その姿態を、奥さんは見逃しません。どうせまた今夜も帰りは遅いだろうということまで見越しているのですね。
ですがその見逃さない奥さんの視点を描くのは太宰自身であるという事実に注目しましよう。
この作品と前作とをセットにして読むことで、男と女とが、この日をどのように迎えたかが、よくできた夫婦漫才のように見えてくる仕掛けになっています。
もちろんこの女主人公も、この特別な日をある種の感動でもって迎えていることは確かなのですが、女のまなざしは、裃を着ようと息張っている男のそれとはまったく異なり、普段とほとんど変わらない暮らしの細部を掬い取り、赤子を抱えて一日を過ごす苦労をさりげなく綴っています。

以上で、太宰は大東亜戦争開戦に対して本気で興奮していないことがわかります。自分が引き締まった気持ちを抱いたことにウソはないのでしょうが、むしろそれを、語り手をチェンジさせることによってすぐに「語り」の素材にしてしまう醒めた目こそが、文学者としての太宰の本領なのです。優れた語り師はこのように、自分自身とその周りとに絶えず気を張り巡らせています。この「語り」の位相は、世界を大真面目に硬直した眼で眺める「男」のある種のタイプを顔色なからしめます。
太宰は、島崎藤村のように「お面!」と大上段に構えて打ち込む作家を嫌っていました。優れた「語り」には、「やんちゃの虫」「ユーモアとパロディの精神」「自分を突き放す二重の目」がぜひ必要なのです。
ちなみにある若手の保守系政治学者が、雑誌論文で大東亜戦争期を論じていました。それはそれでまっとうな政治論文でしたが、その中で太宰の『新郎』を取り上げ、太宰治は愛国者だったと評していました。これはいただけません。冒頭に述べたように、『新郎』は『十二月八日』とセットで読むことで、初めて太宰文学らしさが浮き彫りになるのです。この学者は、申し訳ないけれど、文学の読み方がわかっていないと申せましょう。(つづく)


大統領選ジョージア州の不正証拠



これを書いているのは、2021年1月7日深夜12時です。
この間、米日主流メディアのひどいフェイクと隠蔽によって、次期米大統領はとっくにバイデンに決まったものと信じて、それをさしたる危機感もなく受け入れてきた人がたくさんいるようですが、事態はまったく違います。

2020年11月3日の大統領選挙から今日にいたるまで、列挙するのも億劫なほどのおびただしい選挙詐欺の証拠と、証言者や連邦政府高官・各州の選挙関係者に対する脅迫の事実が明らかになってきました。
これらの経緯については、信頼のおける情報筋からの情報を頻繁にフェイスブックにアップしてきましたので、ご関心のある方は、それを追尾してください。
https://www.facebook.com/i.kohama

2021年1月5日には、全世界が注目する中で、ジョージア州で2名を選出する上院議員選挙が行なわれました。民主党陣営は、これだけ不正を行なってきたにもかかわらず、反省の色すら見せず、開き直った形で、堂々と同じパターンで選挙詐欺を実行し、議席を独占しました。驚くべき厚顔無恥です。

そして帰趨を決する決定的な日と思われた6日の連邦両院合同会議では、ペンス上院議長並びに副大統領は、自分には選挙結果を決定する権限はないとしてトランプ支持者の期待に応えることはせず、複数の共和党上下両院議員から提出された異議申し立てによる両院各々の議論にゆだねることにしました。下院では民主党が優勢なため、これがトランプ有利に通るとは思えず、せいぜい最大限の時間稼ぎが行なわれる程度だろうと踏んでいましたが、その期待も空しく、連邦議会ではあっさりボケ・バイデンに決めてしまったようです。
またテッド・クルーズ上院議員が提出した、激戦州について調査委員会を立ち上げよとの公正を重んじた提案は、残念ながら93対6の圧倒的大差で否決されました。

さらにひどいことに、ツイッター社は、トランプ大統領の発信権を平気で剥奪しました。世界最大の国家アメリカ合衆国を代表する最高位にある人の言論の自由を封殺するとは、信じられない暴挙です。

しかしトランプ大統領の闘いはまだ終わっていません。いくつかの手が残されています。

前々回のメルマガで、現在は世界戦争のさなかにあるのだと強調しました。
武力行使だけが戦争なのではなく、情報戦こそが現代の戦争の最もヴィヴィッドな形なのだとも。
https://38news.jp/america/17189
この様相は、「自由」を国是に掲げる最先進国・アメリカが中共全体主義によって中枢まで侵蝕され、民主主義体制が崩壊の危機に瀕している形として言い括ることができます。
また、グローバリズムとナショナリズムの対立の極限の事態と形容することもできるでしょう。

ひとこと断っておきたいのですが、民主主義が正常に機能するためには、国家体制、国家秩序がしっかりしていること、つまりナショナリズム感覚が民衆の間に根付いていることが不可欠です。なぜなら、公共体としてのまとまり意識が崩壊しているところで、そこに属する人々の生をよりよくしていくために何が優先順位を占めるかという議論を対等な立場で交わすことは不可能だからです。ちなみに「人権」を保障するのも民主主義国家だということも忘れてはなりません。
グローバリズムは、この国民国家としてのまとまりを根底から破壊します。グローバリストにとっては、自分の属する国籍やその国固有の文化、公共精神などはどうでもよく、自分たちが最大利益を上げさえすればいいからです。彼らにとっては、戦争さえ利益追求の手段にすぎません。
こうして貧富の格差が進み、共同体的な紐帯が破壊されたとき、バラバラに分断された個人を上から掌握する体制は何でしょうか。言うまでもなく、各個人に政治参加も言論の自由も宗教の自由も認めない強大な独裁権力による全体主義体制です。現在の中国がまさにその典型です。

アメリカは、かつて、もちろん反共精神のしみついた国でした。戦前・戦中・冷戦時代を通してイデオロギーとしての「共産主義」には大いに警戒を示してきました。しかし冷戦崩壊後は、その開かれた国柄と覇権国家としての自信がかえって仇となって今日の中共侵略を招き寄せたとも言えます。この国の対中戦略は、経済的な自由を尊重するあまり、中国に対して甘い顔をし過ぎたのです。
つまり、独裁体制は発展途上国としての必然からきているので、経済的に豊かになりさえすれば、徐々に民主主義や自由の精神を理解するだろうというリクツと期待に自ら騙されたのです。ですから今回のような事態はアメリカ自身が招いた面が大きいのです。

日本も、すでに中共のサイレント・インベージョンに政官財、教育界、メディア界、国土など、すべての社会基盤をなす領域において蝕まれています。
それほどでもない、とあなたは感じられるでしょうか。
しかし私は、エラそうに書いていますが、今度の米大統領選問題がなければ、不覚にして、アメリカがこれほど中共勢力に侵略されていることに気づきませんでした。おそらく大方のアメリカ人も日本人も、私の認識と大して違っていなかったのではないかと思います。その意味で、今度のことは、コロナ流行という壮大なインチキ*と合わせて、とてもいい教訓になりました。
*コロナ流行が壮大なインチキであることについては、以下の拙稿をご覧ください。
https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/effcc9c591be4f8689a563b585ae5639
https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/a9a480d0a5a23d4e3cc49838e3566463
https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/c3f0af074bf98a10a0e4428d535ec56e


全体主義というと、誰でも思い浮かべるのが、ナチス・ドイツとスターリン統治下のソビエト連邦でしょう。これらはユダヤ人大虐殺や反対者の大量粛清によってあまりにも有名です。もちろんこれに、ウィグル人、チベット人、内モンゴル人、法輪功信者や香港市民に対してひどい弾圧を行なっている現在進行形の中共政府を加えるべきです。
しかし、全体主義体制の恐ろしさは、こうした外からの目に見える、そして後になってわかる残虐な面にだけ存在するのではありません。その内部にいる者にとっては、権力中枢が何を企み、どんな方向に人民を連れていこうとしているかが見えないような仕組みになっている、そのことが最も恐ろしいのです。なぜなら、人民の多くがその進行中の全体主義化のプロセスに対して自覚的であれば、全体主義体制そのものが成立しないからです。
自分たちは、社会体制に対する懐疑を抱きさえしなければ、特段の不運に遭うこともなく、なんとか日々を過ごすことができる。複雑な社会構成の中で、目玉をカッと大きくして、全体を見ようとすることは難しく、またそんなにいつも目玉を大きくしている暇などないからです。しかし気付いてみると、いつの間にか生活は貧困化し、それに対する不満を自由に口に出すことができなくなっており、与えられる情報を否応なく信じ込まされ、かつて共有されていた記憶はおぼろげとなり、日常の中にあったはずの文化の香りは消え失せており、お互いがお互いを探り合うような監視社会が実現している。こうした土壌が培養されてこそ、私たちが知っているような残虐な歴史的事実も実現可能となるのです。

陳腐かもしれませんが、この仕組みを描いているのが、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』です。
この作品の中では、世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの三国に分割されており、それぞれの国は常に国境付近で戦争を繰り返していることになっています。オセアニアはビッグブラザーという絶対君主の支配下にあり、政体は真理省、平和省、愛情省、潤沢省(その実態は名称と真逆)などに分かれ、人々は少数の党中枢、知的仕事に就く党外郭、圧倒的多数のプロールに分けられます。プロールは体制に対する疑問など一切もたず、あるがままの日々を過ごしています。家の内外の至る所にビッグブラザーを大写しにするテレスクリーンが据えられており、情報もここからしか与えられません。ほぼ全員がビッグブラザーを崇拝しています。恋愛は許されておらず、結婚は子孫を存続させるために党が決めます。子どもは親を絶えず監視して小さな違法でも見つければ密告できます。
真理省に勤める党外郭のウィンストンは記録の改竄を仕事にしており、この仕事によって、人々の間からかつての記憶の共有がしだいに消えていきます。かつてが豊かだったのかどうか、ほとんどの人がもう覚えていません。戦争が絶えず行われていることを人々に知らせるために、時々市街地にロケット弾がぶち込まれたり、捕虜を載せたトラックが市街地を通り抜けます。
何よりも真理省の仕事で大きなものは、言葉を「オールドスピーク」から、語彙をより貧困化した「ニュースピーク」へと編纂する事業です。これによって言葉は豊かなニュアンスや比喩的転用の可能性をなくし、直截な一義的表現に限定されていきます。
ウィンストンは、こんな社会はおかしいという口に出せない疑いを持っていて、これを転覆させようとする秘密組織の噂を気にかけていますが、思慮深そうな雰囲気を持ったオブライエンという党中枢に属する男がもしかしたらその秘密組織の一員であるかもしれないと感じて、ひそかに敬服の念を抱いています。
これ以上書くと未読の人にとってネタバレになってしまうので、ここらでやめますが、一つだけ言っておくと、オブライエンはウィンストンが考えていたような男ではありませんでした。
この作品には印象的な場面がいくつもありますが、なかでもオブライエンがウィンストンに「権力に執着する理由は何だと思う?」と質問し、ウィンストンが「支配者は、民衆が弱い存在で自由に耐えられないから彼らを瞞着してその代わりに幸福を与えてやろうと考えている」と答えようとすると、オブライエンはそれをにべもなく否定し、「党が権力を求めるのはひたすら権力のために他ならない。他人のことなど知ったことではない」と回答する場面が強く印象に残ります。
これはその通りというほかありません。

ところでいまの日本人はお人好し(いい意味でも)で、そんな権力欲に取りつかれた組織は存在しないようです(個人ならときどき見かけますが)。しかし中国人や欧米人ならありそうですね。
日本人はすでに外側からやってきたこうした全体主義思想の中に取り込まれてしまっていて、上から下までほぼ全員が「プロール」つまり精神的な奴隷になっているのではありませんか?
というのも、現状を見る限り、救いようのないアホばかりが政府やマスメディアの中枢に集まって、信じられない国民いじめの政治とその正当化に精を出しているからです。中小企業潰し、補償なしのコロナ緊急事態宣言、営業自粛「要請」を「命令」に切り替えて従わない業者に50万円の科料、持続化給付金の締め切り延長中止!
私たちは、せめてウィンストンのような運命に陥らないように、ダークエイジがすでにここに来ている状況に対して覚醒し続けましょう。闘いはこれからです。



この頃なんだか世界がおかしくなってきたと感じているのは私だけでしょうか。

これまで、新型コロナの流行が疫病の流行ではなく恐怖の流行に過ぎない事実を、きちんと数字を挙げながら何回も証明してきました。おかげさまで、本ブログ記事「新型コロナ、10のウソ」を投稿した新経世済民新聞では、たくさんの方の「いいね!」をいただき、ツイッターでの拡散もけっこうな数に上ったようです。
https://38news.jp/column/17111

それでもこの集団強迫神経症の空気は衰えるどころか、最近はかえってますますコロナ全体主義の雰囲気が濃厚になってきました。

11月末に落語に行きました。1座席ずつ空けて指定されていましたが(それはまあいいのですが)、たまたまマスクを外していたら、休憩時間に隣のオバサンに「マスクをしてください!」とお叱りを被りました。

同じころ、マスクを下げたままスーパーのレジで品物を差し出したら、店員に「マスクを上げていただけますか」と注意されました。

ある友人が午後の新橋界隈を歩いていたら、長蛇の列があるので、ジャンボ宝くじの販売窓口でもあるのかと思ったそうです。でも違って、「新型PCR検査センター」とでかでかと書かれた看板の下にずらりと並んでいたとか。

もうひとつ、別の知人から聞いた話。歌の練習会があって、その会場では、次の段階を踏みます。
1.到着したらマスクを外して、会場にある新しいマスクをつける。
2.イソジンでうがいをする。
3.手の消毒。
4.検温。
5.歌う人が変わるごとに、マイクを消毒する。
6、そのたびに、歌った人の周りに消毒スプレーを噴霧する。

失礼じゃないかね、頭がおかしくなったんじゃないかね。

みなさん、これが日本中で起きている「非常事態」であります。

東京都の小池知事は、ここぞ私の出番とばかり、毎日のように嬉々として記者会見を開き、「暮れ正月休みはStay Homeで」とオウムのように繰り返しています。そればかりか、都内の小学生に、「お医者さんに感謝の手紙を書きましょう」などと要請し、ことさらコロナのたいへんさを印象付けようとしています。こういうのを文字通り「子供だまし」と言います。
こんなことしかやることがないのかね。聞けばGO TO キャンペーンに強い規制がかかったのは彼女の強い圧力があったからとか。

もう何度も書いたので、繰り返すのはうんざりなのですが、第2波、第3波と大騒ぎしているこの空気には何の根拠もありません。
以下の二つの資料によると、直近の12月20日時点で、PCR検査の陽性率(陽性者÷検査件数)は4.2%です。これはコロナの流行が騒がれ出した4月のピーク時に比べると、三分の一以下、またこれまでの累計死者数は、100万人当たり22人で、それも基礎疾患のある高齢者に集中しています。https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/?fbclid=IwAR2S54N_qvGv4pvErqYep9pud9caVBH44VsTj9dv0q5nXk8iq4ZnOyHd6xw
https://web.sapmed.ac.jp/canmol/coronavirus/death
毎年、肺炎で死ぬ人が10万人以上いて何の騒ぎにもならないのに、3000人程度の死者で大騒ぎをするのは異常としか言いようがありません。こんなのはパンデミックと言うべきではないのです。

そもそもPCR検査は、新型コロナの診断にはほとんど役に立たない検査です。
コカ・コーラやパイナップルにつけただけで陽性反応が出たとかいった笑い話のような話もありますが、それはともかく、東京女子医大感染症科の平井由児医師の、PCR検査についての次のような見解は、たいへん説得力があります。URLを張っておきますので、皆さん、ぜひ見てください。
https://ameblo.jp/obasannneco/entry-12641199459.html?frm_src=favoritemail

平井氏は、わかりやすい動画を用いて次のような指摘をしています。
・私たちの体が膨大な数の細菌やウィルスに満たされていて、もしそれを取り除いてしまうと、たちまち体のバランスを失ってしまうこと
・PCR検査は感染したかどうかを調べるためにあるのではなくて、本来遺伝子の検出のためにあること
・その感度は極めて敏感で健康体の器官にちょっとウィルスが付着していても反応してしまうこと
・2019年までは、症状の軽重によって「健康」「風邪(旧コロ)」「インフル」の三つに分類される診断がなされて、それに応じた処置を受けていた人たちが、2020年からはPCRで陽性反応が出ると、すべてコロナと診断されてしまうようになったこと
・PCR法を開発してノーベル賞を受賞したキャリー・マリス博士が「診断に使ってはならない」と警告を発していたこと(惜しくも8月に博士は亡くなってしまいました)。

このように開発者当人が不適切と公言しているにもかかわらず、全世界でこの検査が伝家の宝刀のように使われるようになってしまいました。
そうして、例の記事にも書きましたが、6月18日に厚労省が全国自治体に出した通達によって、別の疾患で死亡した人も、コロナ感染者と認定されていればコロナで死んだことにされてしまったのです。ですから、先に記載した死者数も本当はもっと少ないのです。

また、コロナの発生によって医療崩壊の危機に見舞われたという説が全国を駆け巡りましたが、医療崩壊の危機は、2000年代初頭からすでに起きていたのです。それは、ベッド数、医師、看護師、保健所の削減、病院の統廃合などの政策によるものです。
この政策が、財務省の緊縮脳に基づくものであることは見やすい道理でしょう。政府にとって、コロナの発生はこの長年の経済政策の大間違いを隠蔽するのにまことに都合がよかったことは言うまでもありません。

それにしても、いったいこのコロナ妄想の世界的流行という社会心理学的な異常事態は、どうして起きたのでしょうか。
それについて考える前に、先に挙げた例よりも実はもっともっと異常亊が起きていたことを示しておきましょう。
12月21日配信の西日本新聞に次のような記事が出ていました。

「コロナ禍で換気のために窓を開けて寒いのに、防寒着の着用が認められない」「一日中、窓の開放が必要なのか」――。日増しに寒くなる中、学校の換気や防寒着に関する調査依頼が本紙「あなたの特命取材班」に複数届いた。体が冷えて体調不良や集中力の低下につながると懸念する声も強い。声を寄せた一人、福岡市立中に娘が通う母親は、今冬の防寒具に関する学校のプリントにため息をつく。
男子は学生服、女子はセーラー服で、着用できる防寒着は規定のセーターやカーディガン。マフラーや手袋は昇降口で着脱し、規定外のジャンパーやハイネックは認められない――。例年通りの内容。教室の窓は常に全開で、生徒が閉めると叱る教員もいるため、娘は寒さに耐えながら授業を受けているという。母親は、ぜんそくがある娘を見かねて規定外の服を着るように提案したが、「誰も着ていないし怒られる」。母親は取材班に「先生たちは自由な服装のはず。コロナ禍の今は特に、子どもも暖かな服を着られるようにすべきではないか」と嘆いた。学校側の対応力の乏しさを感じている。


私はこの記事をハリー・ライムさんと名乗る人のブログで知りました。
https://ameblo.jp/yoshino0716/entry-12645312060.html?frm_src=favoritemail&fbclid=IwAR2FDHaGfxuPbw1JLfB7j5lIYSJSlt20BRsOo9H9s7fGh6s5NxtY8P0KTB4

これを読んだとき、激しい憤りがこみ上げてきました。これは教育界で公然と行なわれている「虐待」ではないか。執筆者のライムさんも、「キングオブアホ」と大書して、虐待と呼んでいます。

厳寒の季節に窓を開けっぱなしにして防寒服着用も許さずに、窓を閉めようとすると叱りつけるキ◌ガイ教師ども。いったいこいつらは、寒さでぜんそくや風邪が悪化して重症になった生徒が出たら、責任を取るのか。

前提が根底から間違っているコロナ騒動に日本人のほぼ全員が巻き込まれているのですから、おそらくこうした例は氷山の一角に過ぎないでしょう。

これはすでに何人かの人が指摘していますが、そもそも2級感染症指定は致死率の高い鳥インフルやSARSのような感染症にしか適用されないのに、インフルエンザ(5級指定)よりも死者がはるかに少ないコロナにこの指定がなされているのはまったくおかしいことです。それなのに解除の動きは一向に盛り上がりません。

しかし、いくらこうしたことを指摘しても、当分の間、人々はコロナ恐怖症から解放されないでしょう。

なぜこんなメンタルな疫病に「上下心ヲ一ニシテ、官武一途庶民ニ至ルマデ」、国民全員が取りつかれてしまったのか。しかもそれが経済と文化の自殺行為であるとわかっているのに。

この問いに明快な答えを見つけることはとても難しく思えます。

仮説①:日本人はもともと同調圧力に屈しやすい。
仮説②:日本人はもともと過度に用心深い。
仮説③:日本人はもともと理性的にものを考える力が弱い。
仮説④:日本人は欧米の流行を見て例のごとくサルマネをしている(ちなみに欧米の流行も実は大したことはないのです。ウソだと思う人は、先にご紹介したhttps://38news.jp/column/17111を参照してください)。
仮説⑤:長く続くデフレから脱却できず貧困化が深まる中で社会不安が増大している。

しかし、コロナ恐怖症は何も日本に限ったことではありません。海外渡航や国境を超えることやロックダウンなど、日々の生活行動に厳しい制限が設けられていることは世界中で起きているので、上記の仮説は全部合わせても、いまいち説得力に欠けるでしょう。

私自身の現時点での仮説は、次のようなものです。

人々は、見かけの平和と大国間の緊張外交によって保たれてきた世界秩序に倦んでいて、世界大戦、大災害、疫病の大流行のような「ハルマゲドン」的狂気の出現を心のどこかで望むようになっている。

言ってみれば、宗教に特有の非合理な破壊願望のようなものです。逆説的ですが、それが常識を否定して、過剰な生命第一、健康第一イデオロギーへのヒステリックな縋りつきとして現われている。恐れている対象は自分たち自身の中に住む仮象の魔物であり、これと理性的に立ち向かう術がわからないために、「ただ生きる」ことに固執して、「よく生きる」方途をすっかり見失っている。つまりはニヒリズムの支配です。

こんな解釈がどこまで当たっているかわかりませんので、諸家のご意見を拝聴したく思います。

2020年12月10日 13時50分20秒 | 政治


2019年6月28日大阪サミット会場にて

これを書いているのは2020年12月9日です。
アメリカ大統領選から目が離せなくなってから35日経ちました。
この間、信頼のおける情報を拾ってフェイスブックにアップしてきましたが、数えてみたら70に及んでいました。つまり平均1日に2つの情報をアップしていたことになります。
https://www.facebook.com/i.kohama
論評を加えたものも少しはありますが、ほとんどそのまま載せています。これは、不謹慎かもしれませんが、いまアメリカ(だけでなく米中を中心軸とした世界中)で起きていることが、現代の世界大戦を描いた映画のように興奮させ、下手な論評など寄せ付けないような迫力を示しているからです。

心ある人なら誰もが感じているでしょうが、現代の戦争は、武器を使わずに十分成り立つのだという事実を、今回の事態ほど明確に教えてくれたことはこれまでありませんでした。重ねて言いますが、この事態は「米中戦争に発展しかねない状態」なのではなく、いままさに米中戦争の真っ最中なのです。
この戦争の発端は、四年前にトランプ氏がアメリカ大統領に当選した時です。以前から世界制覇の野望実現をもくろんでいた中共が、アメリカの政官財界に深く侵入し、民主共和両党を問わずエスタブリッシュメントと強い利権の結びつきを作りだしていた時、大方の予想に反してトランプ氏が当選してしまいました。
これがなければ、中共の覇権は実現に向けて大きく進展していたことでしょう。同時に中共とディープステートとの結託の構造もますます強固なものとなっていたでしょう。アメリカ国民の意思を侮った民主党及びこれと癒着した大手メディアの油断というべきです。
民主党及び主流メディアは、この失敗に激しいルサンチマンと復讐心を燃やし、トランプ大統領就任当初からじっくりと次期大統領選でトランプ氏を追い落とす計画を練っていました。
しかしトランプ氏がそれを知らなかったわけではありません。彼は就任早々からロシアゲートというひどいでっち上げの疑惑を受けました。しかし2019年にはこれを克服します。
しかもこのでっちあげと闘っている最中の2018年10月に、米選挙への干渉が明らかになった場合には外国勢力に制裁を科すという大統領令に署名しています。これは、あたかも今回の大統領選における民主党の露骨な不正に中共が関与していた事実を予言していたかのようです。
また選挙戦が熱を帯びて来る前から、郵便投票は不正の温床だということを再三訴えていました。
さらにコロナ対策費として、4月時点で3兆ドル(300兆円)の財政出動を行ない、加えて10月には追加支援として民主党の要求する2.2兆ドルを超える額を計上すると発表しています。すでにアメリカは、4月段階での措置によってV字回復を成し遂げているので、民主党からコロナ対策の失敗などを難詰されるいわれはないのです。
ちなみにアメリカはコロナによる死者数の多さで騒がれていますが、人口比で見れば、ヨーロッパ諸国に比べて特に多いわけではありません。
https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/effcc9c591be4f8689a563b585ae5639

さてさて今回の見るも無残な不正の発覚です。ドミニオン社の集計機をめぐる大量の改竄、深夜の投票用紙持ち込み、投票日を過ぎて到着した郵便投票の日付の前倒し、消印のない封筒、監視員の締め出し、州に存在しないはずの「有権者」、理論的に考えられない高い投票率等々、全米で数え切れないほどの証拠が挙がっています。中国広東省にある印刷所では一年前から大量の偽投票用紙が印刷されていました。

これらの事態の発覚に対して、主流メディアはもちろん隠蔽と虚偽報道に終始しています。宣誓供述書に署名して証言した人たちの多くは脅迫を受けています。州知事や州務長官、一部共和党議員までもがどっちつかずの態度を取り、最も法を遵守すべき責任者であるはずのバー司法長官でさえ、あやふやな態度を取り続けています。アメリカの法秩序は崩壊寸前なのです。実際、ここでトランプ陣営が頑張らなければ、アメリカの、そして世界の民主主義は死滅へ向かうでしょう。

中共では、最近、習近平のブレーンの一人が、ウォール街には親しい友人がたくさんいるから、2016年までは、どんな難しい問題も短期間で解決できたが、トランプが大統領になってからはコントロールが難しくなったと公言しました。
習近平は常務委員会を続けて開きました。そこでは武力戦争準備について再三議論したと推定されています。習近平にとっては、武力戦争になった方が望ましいと考えられると、張陽チャンネルの張陽氏は語っています。中共独裁政治に対する人民の不満を外に発散できるからです。
11月20日にはCNNのCEOザカリアとバイデンの選挙顧問サマーズが、中共幹部の会に呼ばれ、習近平はこの会にわざわざメッセージを送ったそうです。

CNNのひどい身勝手ぶりについて触れておきましょう。
2017年に、ある専門家の主宰で、さまざまなIT機器に対してハッカーたちにハッキングさせる実験会が開かれました。その中にはドミニオン社の集票機械も入っていて、ハッカーたちはこれをたやすくハッキングすることができました。CNNはこの実験会に協力し、その時の動画が報道されています。
これは、トランプ大統領のロシアゲート疑惑の証拠を見つけるためのものです。ところが、2020年の大統領選では、これだけドミニオン社の集票機械による不正が発覚し、CIAによるフランクフルトからの侵入が明らかとなっているにもかかわらず、CNNはだんまりを決め込んでいます。反トランプのためなら何でもするが、バイデンに不利になることには一切触れようとしません。ジャーナリズムの死です。

ロシアゲートで冤罪を被りトランプ大統領によって恩赦されたフリン中将、リンウッド弁護士、WTPC(ウイ・ザ・ピープル・コンヴェンション)などは、大統領に戒厳令下の再選挙を強く求めています。しかしこれは大半の国民がメディアの隠蔽とフェイクニュースによって真実を知らされていないため、実現は難しいだろうと言われています。私も作戦としてうまい方法とは思えません。

巷では一部の人たちが、1月か2月に米中戦争(武力戦争)が勃発するだろうとうわさしていますが、さまざまな情報を総合して考えると、トランプ大統領が(彼が再選されると仮定して)自ら武力行使に踏み切ることはまずないでしょう。
というのは、トランプ大統領はもともと戦争が嫌いです。北朝鮮問題の時にも、ボルトン補佐官(当時)の強い武力行使要請を退けて金正恩との会談にこぎつけましたし、武力行使に至らずに中共政府を内部から瓦解させる手をいくつも持っていると考えられるからです。先日も中共の副委員14人に制裁を科したばかりですし、常務委員にはまだ手をつけていません。経済制裁もこれからもっと厳しく科すことはいくらでもできるでしょう。中共が先に暴発すれば話は別ですが。
繰り返しますが、いまは再選実現を通しての「戦争」の真っ最中であり、そこに彼は全力を集中しているのです。再選の暁には、もちろん国内の左翼、ディープステート、ジョージ・ソロスら、戦争好きの金融投資家たちへの仮借ない闘いを続行するでしょうし、中共に対しても制裁の手を緩めないでしょう。

ところで本稿の目的は、日本人の例のごとくのお花畑思考に覚醒を促すところにありました。
日本人の多くが今回の選挙不正の問題を過小視していて、単なるアメリカの国内問題としてしか考えていず、もしバイデンが大統領になったら、日本が中共の餌食になる道が急速に開けるという認識を持っていないようです。
しかし何度も繰り返しますが、これは進行中の世界戦争なのです。
そのことを認識できない象徴的な例が、大手メディアの寝ぼけた報道姿勢であり、菅政権の中共に対する政治姿勢です。
何に遠慮しているのか、この間NHKはじめ、朝日から産経まで、バイデン当選を既成事実とするだけで、アメリカでいま何が起きているのかについて全く報道してきませんでした。アメリカの大手メディアも腐敗しきっているなら、日本のマスコミも形容のしようがないほどひどい状況です。
また菅政権の茂木外相は、王毅外相の横暴発言に反論することもできず、共産党の志位委員長にまで糾弾される始末です。RCEPにもロクな議論もなしに尻尾を振って参加してしまいました。
二階幹事長の息のかかったこの媚中姿勢を今後も続けるなら、万一トランプ氏が敗北すれば、中華帝国主義の圏内に取り込まれることは必定です。
またトランプ氏が勝利を収めても、対中経済と対米同盟の股裂き状態を自ら何とかするのでなくては、やがては大切なアメリカとの同盟関係を喪失し、かつての日独同盟の時のように国際的な孤立状態に追い込まれかねません。
今の日本政府は、国際関係を連続的視野の下に見る頭脳を欠いており、今後日本としてどのような自立性を獲得するのかといったヴィジョンがまるでないのです。こういう国が滅んでも、誰にも責任を転嫁できないでしょう。

WDA(世界医師連盟)が11月1日にロックダウンや社会的規制に対して行なった反対運動の呼びかけ

 

11月24日、夜の新橋界隈を歩きました。
以前なら道行く人々で大層にぎわっていたSL広場もまだ10時を少し回ったころなのに閑散としていて、SLの華やかなイルミネーションが空しく明滅していました。
コロナ第三波到来の情報が全国を駆け巡り、サラリーマンたちも早々に帰宅してしまったか。
コロナ強迫神経症に日本人が罹患して、もう10か月近くたちました。
おかげで経済も文化も無残に冷え込んでいます。
そろそろこの蟻地獄のようなバカげた自殺行為から這い上がろうではありませんか。
そもそも新型コロナの流行なる現象は、疫病の流行ではなくて、恐怖の流行という社会現象であり、その流行は何重ものウソによってでっちあげられたものです。

第1のウソ:陽性者と感染者の同一視
マスコミや自治体が発表している「感染者数」は、PCR検査で陽性反応が出た人の数であって、コロナの感染者ではありません。PCR検査では、マイコプラズマなど、新型コロナ以外のウィルスでも陽性反応を示します。自治体、マスコミはこのからくりを絶対に説明しません。

第2のウソ:感染者(じつは陽性者)の絶対数の増加をもって感染拡大としている
これは、マスコミや自治体が国民を煽る絶好の手段。「今日は感染者が初めて300人を超えました」などとどこやらの知事が、さあ私の出番とばかり「緊急記者会見」をやって自粛を呼び掛けます。
しかしこの知事たち(だけでなくそれをそのまま流すマスコミの記者たちも)は、そもそも割り算ができない小学生以下の知能の持ち主です。
陽性者の絶対数がいくら増えてもそれ以上に検査件数が増えれば、陽性率はかえって減ることになります。昨日の陽性者が100人で検査件数が2000件なら陽性率は5%だけど、今日の陽性者が200人に増えてもその時の検査件数が5000人だったら、陽性率は4%に減りますね。
自治体やマスコミは国民を脅かすために、絶対数だけを発表して、感染が拡大したかどうかを示す陽性率を絶対に言いません。つまり分母を示さないのです。後述しますが、しかるべき資料に当たれば、これはすぐに見つかります。

第3のウソ:PCR検査を受ければ感染したかしないかがわかる
先述の通り、PCR検査で陽性と出ても、新型コロナであるとは限りませんが、それ以外にも、この検査の信頼度を疑わせるに足る専門的知見が出されています。この検査は、検体の部位や種類、感染や発症からの経過日数によって、その感度が大きく異なることが報告されています。一般に日数が経てば経つほどその感度は落ちます。
https://jeaweb.jp/covid/qa/index.html#:~:text=%E6%95%B0%E7%90%86%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%AB%E3%81%AE%E7%B5%90%E6%9E%9C%E3%80%81%E6%84%9F%E6%9F%93,%E6%84%9F%E5%BA%A6%E3%81%AF62%EF%BC%85%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82
だから検査を複数回行なうと、陽性だったのが陰性になったり、その逆の場合も生じます。しかし自治体やマスコミは、真相を言わず、この検査が確実であるかのように喧伝しているのです。

第4のウソ:夏に第2波が来て、第3波もこれから押し寄せる
陽性率が急増しなければ、第何波が来たなどといえないはずです。
厚労省発表のデータから計算すると、第2波が来たと言われた8月の陽性率は、4月と比べると以下のとおりです。
4月ピーク時(4月10日)  13.1%
8月ピーク時(8月7日)    7.8%
8月18日            4.3%
第2波など来なかったことがわかりますね。
では、最近はどうでしょうか。
11月22日             3.6%
なお騒がれている東京、北海道では、同じデータから計算すると、
東京11月23日         6.7%
北海道11月23日       5.6%
で、全国と比べるとやや高めであることがわかりますが、それにしても4月のピーク時と比べれば全然低いことがわかります。
https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/?fbclid=IwAR2S54N_qvGv4pvErqYep9pud9caVBH44VsTj9dv0q5nXk8iq4ZnOyHd6xw
いずれにしても、大波が襲ってきたかのような報道はいかにも大袈裟です。この程度の数字で、自粛したり委縮したりする必要があるでしょうか。

第5のウソ:新型コロナは恐ろしい死を招く
それでも、もし重症になったり、死んだりしたら……と不安になるのが人情かもしれません。
しかし上の数字はあくまで陽性率です。陽性率=感染率ではありませんし、またこの感染症が子どもや若者にはほとんどダメージを与えないことはよく知られています。老人で持病持ちの人たちをたまに重症に追いやることがあるのですね。
そこで、これまで陽性者のうちどれくらいの割合で死者が出ているか、同じデータから、その数を計算してみましょう。
陽性者に対する死亡者の割合は、1.5%、検査件数に対する死亡者は、何と0.05%という低さです。つまり、延べ検査人数1万人当たり5人しか死んでいないのです。
しかもその5人のうち半分は80代以上、4人は70代以上です。
それくらい、どんな病気だって死ぬんじゃないですか。

第6のウソ:新型コロナは、他の病気と比べても猛威を振るう
これはまったくのデタラメです。
ここに2019年の死因別死亡者数を人口10万人当たりで示したデータがあります。
https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20200929-00199953/
悪性新生物   304.2
心疾患       167.9
脳血管疾患    86.1
肺炎          77.2
不慮の事故    31.7
自殺          15.7
肝疾患        14.0
結核            1.7
老衰          98.5
これらの数字と比較すれば、新型コロナの死者が現在2000人ですから、多めに見て年末までに2500人に達するとしても、人口10万人当たり年間で1.98となります。結核といい勝負。

いかに少ないかがわかるでしょう。

第7のウソ:マスクはコロナ感染の予防に役立つ
これは日本人のほとんどがいまだに信じているようですね。でもこれも真っ赤なウソです。
よほど密閉度の高い医療用のマスクでなければ、ウィルスはマスクの網の目よりはるかに小さいので、簡単にかつ大量に通り抜けることができます。
新型コロナウイルスは、微粒子(エアロゾル)として空気中を浮遊しますから、マスクはそれを防ぐことができません。
マスクが役立つのは、あなたが感染者だとして、あなた自身が飛沫を飛ばして近距離で他人にうつす危険がある場合だけです。その場合、あなたは他人にうつさないためにマスクをする必要があるでしょう。
つまり、予防には全然役立たないのです。
GIRA BLOGというブログに面白い実験動画が載っています。どうぞ見てください。
https://ameblo.jp/djdjgira/entry-12639325866.html

第8のウソ:三密による感染を防ぐためにソーシャルディスタンスをとるべきだ
このウソはすぐに見抜けますね。なぜって、日本の家屋は狭いので、外出を控えて家に引きこもっていたら、単身世帯でない限り、密接、密着は避けられないからです。家族の誰かがどこかでウイルスをもらってきて、その後学校や会社にも行かず、テレワークしてたら、家族間でたちまちうつってしまうでしょう。
新婚さんなんて、夜の生活我慢するの? それと、道を歩いてるときはみんなマスクしてるのに、喫茶店やレストランや居酒屋では、マスク外してアハハ、オホホとやっています。でもそういう場所でコロナが大発生したなんて話、全然聞きませんよ。これおかしいと思わない人はいないでしょう。
忘れた人がいるかもしれませんが、コロナが流行り始めた頃、自粛要請を振り切って大々的なK-1のイベントが強行されましたね。三密どころか千密でした。でも、あれで感染者が出たという話を聞きません。
このソーシャルディスタンスというヤツが、どれほど町の活気を殺ぎ、あらゆるイベントを中止あるいは縮小に追いやったか、その経済的・文化的被害は計り知れません。健康イデオロギーの支配がいかに私たちの普通の幸せと楽しい生活を求める心を毀損するか、今回の経験でよく知ることができました。
マスクにしろ、ソーシャルディスタンスにしろ、憎まれるのを覚悟で言いますが、こういう意味のない自粛ムードを作り上げる人、盲従する人たち(ほとんどの日本人が該当しますが)は、同調圧力に屈していた方が気が楽なので思考停止して済ませているのだと思います。しかし、大衆社会におけるこういう空気の蔓延が、じつは全体主義の温床なのだということを忘れてはなりません。
お前はどうなんだと言われそうなので、答えておきます。一応外出時はマスクを携行しますが、ひとりの時は、店に入っても電車の中でもマスクをしません。ただし誰か特定の人に会う場面、規則で要請される場面では、いたずらに悶着をおこしたくないので、マスクを着用することにしています。

第9のウソ:コロナに罹っていた人が死亡したらコロナ死
これはあまり知られてないようですが、6月18日に厚労省が、コロナに感染していた人が死亡した場合、他に死因があっても公表せよという通達を自治体に出したのです。結果的に、他の死因で死亡しても、コロナ死者としてカウントされることになってしまいました。
厚労省のこの恣意的な通達の意図は何でしょうか。
もちろん、コロナ禍を重大視したということなのでしょうが、これはおかしいですね。つまり、現在公表されている「コロナ死亡者数」は、水増しされている可能性が大です。上記の計算では、一応厚労省統計を信用して扱ってきましたが、本当は、コロナによる死者はもっと少ないはずです。もしそうなら、疫病としてのコロナ禍を、こんなに大げさに考える必要はさらになかったことになります。

第10のウソ:欧米のコロナ禍は激甚だった。これからも……
確かに日本やアジアに比べて(中国は当てになりませんが)、欧米ではけた違いに死者が多く出ました。
しかし、たとえばアメリカは最大の死者数で、25万人を超えたなどと大騒ぎされましたが、この場合も人口比で計算すると、けっしてダントツ一位ではありません。ベルギー、イタリア、スペイン、イギリスなどヨーロッパ諸国、ブラジル、アルゼンチン、メキシコなど中南米諸国などよりも下回っています。
アメリカは大統領選でバイデン陣営の前代未聞の不正が明らかとなり、争いがまだ続いていますが、選挙運動期間中、バイデン陣営はひたすらトランプにコロナの責任を押し付けるばかりで、まるでそれしか言うことがないのかという感じでした。
しかしトランプ大統領は、3兆ドルもの大型予算を組んで対コロナ禍補償策を打ち、経済のV字回復を実現しています。この方向性は間違っていなかったと思います。
また、まるで欧米のコロナ禍がまだまだ続くように思っている人が多いようですが、おおむねどの国も、死者数は5月段階でカーブが水平に近くなり、その後終息に向かっています。
https://web.sapmed.ac.jp/canmol/coronavirus/death.html
それに、ヨーロッパの人々は、日本人ほど大騒ぎせず、みんなクールにふるまっているという話をイギリス帰りの人から聞きました。またスウェーデンでは、重症者対象の治療に特化させており、在住日本人医師も、医療関係者でさえマスクをしていないと言っていました。
欧米諸国の死者数は、100万人中800人前後ですが、これも先ほど示した日本の人口10万人当たりの死因別の表と対照すれば80人くらいとなり、ふだん問題にもされない普通の肺炎死と同じ程度です。
ちなみにヨーロッパ各地では、この秋、政府のロックダウンや社会生活を制限する方針に対する、医師たち専門家を含む反対運動が高まっています(冒頭画像参照)。

以上、パンデミック、パンデミックと騒ぎ立てる日本のマスコミや自治体の強迫神経症ぶりを指摘してきました。2020年のコロナ騒動は、倒産や廃業や失業や自殺者を増やしただけの、じつに愚劣な一幕だった、と過去形で語っておきます。世界を襲ったこのメンタルな病気が、来年まで持ち越さないことを切に祈ります。