ほんの30年前の悲しい歴史 <モラサン県ペルキン、エルモソテ> | Mamitaのエルサルバドルブログ

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中米エルサルバドルでの暮らしを食べ物中心でお伝えします。
Mamita=「ちょっとそこのネエちゃん」と呼びかけるのに使うナンパ言葉だったりします。


セマナサンタ(聖週間)1日目の午後、壁画を見学したコリントから車で1時間半ほど山道を走ってペルキン入りしました。任地の南部では日が暮れるまで滝のような汗を流していますがここは標高1200m超えなのでとっても涼しいです。隣国ホンジュラスもすぐそこ。
Perkin Lencaというかわいいホテルに1泊($15、お湯シャワー&おいしい朝ごはんつき)してからペルキンの戦争博物館へ。1992年まで激しい内戦の舞台だったペルキンの、当時を物語る資料が展示されていました。

 
 
 


 
 
上記の写真以外にも、屋外には当時の防空壕もあるそうなのですが時間の都合で今回は断念。任期後半、もっと言葉に慣れた頃にもう一度行こうと思います。
中・高生くらいの団体さんも博物館を見学していました。旅行がそこまで一般的でない(お金にゆとりが出来たらまずは家を補強したいという状況の方も多いです)エルサルバドルにおいて、そういったスタディツアーはとても大切だと思いました。

博物館を出て、続いては村民女性1名を残して他の方全員が虐殺された村El Mozote (エルモソテ)へ向かいました。1981年12月11日、内戦時代に1000人以上の村民が虐殺された村です。

村のモニュメント。お父さんもお母さんも、産まれて間もない赤ちゃんもみんな命を奪われました。
 
村の教会の敷地内で子ども達は虐殺されました。庭には子ども達のためにと花が植えられていますが、当時のままところどころ残されているタイルには血痕がありました。
殺害された子ども達の名前と年齢です。生後3日(3dias)の赤ちゃんや、親戚をたどって調査しても名前が分からない子どもは「誰々の子」という表記でここに刻まれています。

下記はこちらのブログ http://eigonihongonews.blog110.fc2.com/blog-entry-238.html に掲載されている、唯一の生存者だったルフィナ アマヤさんの証言を日本語訳したものです。
↓↓↓
アトラカタル大隊の兵士達が朝7時にやって来て、彼等は全員を殺す命令を受けていると言った。
誰も生き残らない筈だった。
彼等は女性達を家屋に閉じ込め男達を教会に閉じ込めた。
私達は皆で千百人だった。子供達は女性達と一緒だった。
彼等は私達を午前中閉じ込めておいて、午前10時兵士達は教会の男達を殺し始めた。
先ず兵士達はマシンガンで殺し始め其の跡喉を切り裂いた。
午後2時には兵士達は男達を殺し終え次に女性達に向かって来た。
彼等は子供達を閉じ込めたまま残した。
彼等は私を8ヶ月の娘と私の長男から引き離した。
彼等は殺す為に私達を連れ去った。
私達が彼等に殺される場所に着いた時、私は気付かれずに抜け出す事が出来小枝で身体を覆い茂みの下に隠れていた。
私は兵士達が20人の女性達を並べてマシンガンで射撃するのを目撃した。
そして彼等は次のグループを引き連れて来た。
そして又銃弾の雨。
又次のグループ、そして又彼等は私の4人の子供達を殺害した。
私の9歳の、6歳の、3歳のそして8ヶ月の娘を殺した。
私の夫も殺されてしまった。
私は独りぼっちで7日間昼も夜も食べる物も無く飲む物も無く其の丘で過ごした。
私は誰一人として見つける事ができなかった。
兵士達が皆殺してしまったからだ。
陸軍がどの様にして男達と女性達を殺し其の死骸を焼いたかを証言する事が出来る様に神は私を生き延びさせてくれた。
私は兵士達が子供達を殺す場面は見なかったが子供達の叫び声を聞いた---

二度とあってはならない残虐な過ちが起こったのは今からほんの30年ほど前の事。
理由もなく命が奪われることのない状況に世界全体がそうなるように祈るばかりです。