土曜日、もう40代前半から出演している長いお付き合いの銀座ライブハウスへ行ってきた。
自分が出演するのは、コロナのあとすっかりやる気なくしてしまって
歳も歳だし、もうそろそろ引退しようか、、などと考えていた。
土曜日は、私より歳上の姐さんカントリー歌手のお出ましで、【福田ひろ子】
随分前から、何度も「あんた、きてよ!」と連絡が来ていた。
彼女は、10才頃からのど自慢荒らしとして有名になり
もう13〜4才からプロとして歌っていた。
昔の音楽シーンを聞けば、坂本九や森山佳代子の時代。
飯田久彦や、ロカビリーの人達、のちに城卓矢になった菊池正男と一緒に歌ったり、
城卓矢の兄、作曲家の北原じゅんに歌を作ってもらったりした。
女は入れないというジミー時田の「マウンテンプレーボーイズ」に特別紅一点として、メンバーになって入っていた。
最晩年にジミー時田が、もう体調も悪く、仕事もなくなって(カントリー全般に下火になったこともあり)、
辛い時期に、彼女は自分の茨城の牧場で、
ジミー時田を迎えて、最後のステージを用意した。
高いギャラは、彼女のポケットマネーから、
長い間の「恩返し」ラストコンサートで花を持たせたらしい。
ドリフターズの長さんや、ジャイアント吉田たちや、
尾崎紀世彦、、たち、
ともかく、その頃のスター達と一緒に活躍していた人だ。
なぜだか、彼女は、、
初対面がやはり30年くらい前なのだが、
会った途端に、私を気に入ってくれて、
私の歌もとても褒めてくれる。
そりゃ、彼女に褒められれば嬉しいが、お互いに歌い手同士で、
たくさんの物を言わなくても、音楽についてはツーカーの部分があることもわかった。
私は、プロを目指したことなんか一度もなく
学生主催のフォークコンサートでホールで歌ったりするうち、
高校の文化祭に呼ばれたり、小さなその頃できてきたライブハウスで歌ってきた。
当時はPPMのマリーだったので、
「PPMをうたってください」と言われれば、
だだ歌うだけのマリーとしては、ハイハイと、
だいたいどんな歌でも歌わせてもらった。
カントリーの彼女は、カントリーとフォークの違いと、決定的「プロフェッショナル」という違いがあったが、
ジョージ川口のバンドでジャズを歌ったり、大きなクラブを友人と共同経営したりして
ただの主婦の私とは、お互い歳をとってから知り合った。
人見知りする私だが、すんなりと昔からの友人のように仲良くなった。
仲良くと言ってもお世話になるだけだが、
この度は、プロから降りてきて
セミプロの集まる店で、「一からやる!」とのこと。
ご主人が亡くなり、ごちゃごちゃしたこともスッキリしたところで、
「歌っていただけませんか?」と、ギターやバンジョーの人から声がかかり、
小さな店で歌うのは始めてだろうに、
一年生になって、ライブをした。
ステージMCの第一声は
「カントリー歌手、みーんないなくなっちゃって、
わたし一人になってしまいました」だった。
時代の流れとは言っても、あんなに戦後の若者達の胸を躍らせた音楽、、歌い手がいなくなるのは寂しい。
習性で、
どうしてもハモをつけたくなる。
「一緒にやろうよ!」と言う声は、ずっと前からあるが、
若い時と違って、一つのライブをこなすのが大変になった、、移動も大変。
今より元気になることはありえないのに、
そのうちね、、この言葉はもう私たちには禁句なのに。
一緒に行ったジジババ、、いや、オニイさま、オネエさまも
とても喜んでくれた。
寒さを脅かされていたが、思ったほど寒くなく、
元気に行って来られて一安心。
自分よりだいぶ歳上の姐さんが頑張ってやっているのをきいて、
元気が出ました。いつか一緒にやろうね。
あ、いつか、、は禁句か。


