Combi-2でイベントとかやるようにはなったけど、レゲエもヒップホップもバンドも
それぞれが自分たちのジャンルに囚われて、だけどこんな田舎で狭い世界に閉じこもって
もっと色んな音楽や人々に接して垣根を超えた広い仲間の輪を広げて欲しくて・・・
そんな時にいつもの常連だけでダラダラやってるイベントに遊びに来た一般のかわい子ちゃん2人。
その瞬間にダラっとしてた店内の連中が、急に張り切ってDJブースに集合!
「Hey!そこのお姉さん〜!」って始まって、店内の雰囲気が激変。
一瞬呆れた後に思ったのは、ジャンルとか関係なく女の子の力ってすげーなって事。
男って単純って気持ちも大きかったけど、その後みんなが楽しそうにしてるの見て
こうしてジャンル関係なく音楽繋いでくれるきっかけになれる存在があったらいいなぁって思ったのがきっかけで
すごく不純かもしれないけれど、女の子の力がこういうバラバラの関係を纏められるのではないかと思って
閃いたのが当時流行ってた「アイドル」
ちょうど僕が音楽やってて、当時のスタッフがダンスの先生で、
その子の教え子たちをCombi-でってことで鏡を設置したけど、その先生の古巣に「喧嘩売るのか?」って言われて
出来なくなりましたって話で、折角投資した鏡が無駄になっちゃうかもって途方に暮れてた時だったのもあって
彼に「俺たちでアイドル作ったらよくない?」って閃きだけで提案したのが最初。
スタッフ「いやいや、絶対メンバー集まらないでしょ!」
スタッフ「そもそもアイドルとか知ってるの?」
僕「ん?全然知らない」
スタッフ「できるわけないじゃん」
僕「でもアイドルなら音楽のジャンル関係ない!」
スタッフ「それはそうだけどどうやってやるの?」
僕「ここは音楽の店だから、音楽繋げられるなら変なプライドなんていらない」
スタッフ「まぁ、やれたら面白そうだけど・・・無理でしょ」
僕「ならとりあえず募集出して、メンバー集まったら考えよう!」
スタッフ「集まらないと思いますよw」
僕「3ヶ月待て!」
とかそんなやりとりだった気がします。
ちょうどアニソンが好きな人たちが集まってイベントも始まったタイミング、
最初に彼らに評価してもらえるようにオリジナルもないからアニソンとかカバーして
順次色んなジャンルの曲もカバーして、Combi-でやってるジャンルを超えた企画を立ち上げて
みんなに違う音楽を知ってもらって、それぞれの楽しさも知ってもらえる橋渡しになってくれたらと
そこから初めて徐々に色んな人を巻き込んでコンビを中心にジャンル超えた音楽の集まりができて
大きな流れができないかなぁって考えてるうちに、あれよあれよで応募があって
その中でも特に気持ちが強そうだった3人に絞って立ち上げることになったマーブル。
面接して写真も撮って、初顔合わせで本日結成します!って言ったのが2012年の1月末
本当にやることになっちゃったって思いながらもワクワクしつつ、でも知らないことだらけ
当時全盛期だったAKBのメンバーすら分からない自分がどうやってやればいいのかと
スタッフと色んなアイドルの動画を見て研究してみたり、周囲の人にどんな曲がいいか相談したり
自分がバンドやってきた経験で大切にしてきたことを伝えて、とにかくステージに立つ上で
最低限のクオリティーだけは出したいとか、色々悩みながら毎日のようにレッスンして歌練して
3月3日の初ステージまで必死に動いて、周りのみんなにも協力してもらって始まったマーブル。
今考えてもなんて無茶なこと始めたんだろうって思うんですけど、その最初のステージのあと
「回り出した車輪は止めるわけにはいかないし、頑張ってくださいね」って言われた仲間の言葉に
強烈な責任感を感じて突っ張って続けてきた10年でした。
当初、自分の思いが強すぎたのもあるし、引っ張っていく経験値も不足してたし、
オリジナル曲があるわけでもなくて、予算もなくて・・・当時一番苦しかった時期だから。
それでもお金はなくても少しでも形にしようって思いつつみんなに助けられて続けてこれました。
ライブで入場料設定したら「金取るのか?」って言われるくらい無銭が当たり前だった時代
遊びじゃないんだしって思っても、なかなか人も集まらず、それでも支えてくれる人たちがいて
色々否定されながらもルール作りして、それはお客さんだけじゃなくてグループの中のルールもそうで
どうしても厳しくしてしまいがちでメンバーとぶつかったりしながらやってきたけど、
常に決めてたことは「頑張ってる人、正直に努力してる人が損することのないグループ」にするってこと。
練習をサボるとか、ステージをズル休みするとかはもってのほか、自分の意見を通すために
他のメンバーの意思が尊重されないような意見とか、自分のことばかりで気持ちがファンに向いてない事とか
そういうのはダメだってルールと、他がこうだからではなくて先ずは自分たちがやれることをやって
お客様に評価していただいて納得していただけるステージを出来ることが最初にやるべきことだと
そこが僕が運営するグループの最低限のルールとして設定してやってきました。
アイドルとして有名になりたいとかチヤホヤされたいとかそういう欲の前に、アイドルとして与える側の人間に
なってもらいたいって気持ちが強すぎて、メンバーの欲求を満たしてあげようとか考えられなかったし
できないことが目につきすぎて、良いところを褒めて伸ばしてあげることも出来なかった自分もいて
現状で満足するな、もっと上を見ろってそればっかりで厳しい要求しかしない時期もあったので
どうしてもギクシャクした時期もあったりしたのは、今考えると反省するべき点だったとも思っています。
そんな中で桜庭という存在があって、この子は面接の時に本当にアイドルやれるのか不安だったくらい普通の子だったけど
「自分がステージからもらった笑顔を、今度は与える側になりたい」って言葉と「根性だけはあります!」って言葉の通り
なかなか評価されない中でも直向きに、ずっと僕の言葉を信じて頑張ってくれたのが、ここまでこれた中でも大きいのです。
そして桜庭が一人になった後に入ってくれた望月がいて、この二人がマーブルを支えてくれたからこそ今のマーブルがある。
客さんも呼べず、なかなかファンも増えない中でも頑張ってステージを続けて努力して、
そんな二人が一生懸命やってくれたおかげで、カバー曲でもマーブルっぽいねって言ってもらえるようになったことで、
逆に彼女たちのイメージがカバー曲では申し訳ない気持ちが芽生えて、オリジナル曲だけでステージがしたいと思えた。
辛い時期を二人で支えてくれたお礼も兼ねてご褒美に作ったオリジナルがきっかけになって
マーブルが自分たちの曲で勝負できるようになって一気に世界が変わったんじゃないかと思っています。
結局、そこから色んな勝負事にも出てみたり、負けた悔しさがバネになってみたり、人数の暴力には勝てないと思い知ったり
色んな仲間が増えて、その数だけ別れもあって、都度色々と思うこともあったけど、
その時間をメンバーとして支えてくれた子達がいて今まで繋いでこれたバトンだと思っています。
そして10年を迎えたその日に望月と一緒にマーブルに名前を連ねてくれる聖彩が、まだ1年7ヶ月だと本人は言いますが
このまだ若いメンバーが今一番力をつけて成長してくれていることこそがマーブルの宝だと思っています。
入った時期じゃない、今、一生懸命にマーブルとして活動してくれる彼女がいなければ、
マーブルは10年を迎えることはできませんでした。
臆病で人見知りな子が多いマーブルの中でも特に臆病かもしれない聖彩ですが、
皆さんに支えられて少しずつ自信をつけて、これからもっともって成長してくれる存在だと思っています。
望月と聖彩がこれからもっと輝けるように、その基盤にマーブルの活動があったと言ってもらえるような
これからの活動を目指して、11年目のマーブルは進んでいきたいと思っています。