そう思った時は誰かのせいにしたくなりますよね。
環境のせいとか、権力のせいとか、他人の身勝手のせいとか・・・自分は間違ってないはずなのに結果が伴わないって思うと、どうしても自分以外に原因があるって思いたくなります。
自分もそうです。
でも、それを放置したらずっと上手くいかない。
だから自分は放置しないようにしています。
上手くいかない原因が自分の力の及ばない事柄であっても、自分ができることをすることで状況を改善できたりもします。
最悪の状況を少しマシにできたりします。
それは酷いねと自分の正義に同意してくれる仲間が見つかったりします。
逆に時間の無駄になるなら手を引くこともあります。
どんな時でも、上手くいかなくたってそれはそれで、自分がどんな選択をするかでその先の未来は自分で選べる事があるんじゃないかと思います。
不可抗力と思われる事だって、その時に自分がどう対応するかで別のことに影響したり、普段からの自分の思考や決断を間違えないようにしたりすることに役立ったり、何も考えずに諦めて上手くいかないと嘆くよりは生産性がある考え方をしようと心がけています。
結果、その行動は悪手だったりもしますが、それは次に同じことをしない、状況を悪化させないための経験として自分に残ります。
シンプルに、自分がしてはいけないことを消去法で消していくと、何もしないことが正しくないと思えることが多々あります。
何もしない・・・解決しない・・・解決のために使う時間と労力に見合わないし、解決しなくても良いや、と思えないことだったら行動を起こすべきと考えるようにしています。
上手くいかないことは多いけど、自分が行動することで解決することも多いから、ただ嘆くだけにはならないようにと、そんな事を言い聞かせているので、そんなに悲観的にならないで頑張れるんだと思っています。
今の世の中は、弱ってる人に触れないように、弱い自分を許してあげましょうとか、あなたのせいじゃないんだからとか、優しく、優しくして、守って、許容してってのが正しいみたいな雰囲気になってるけど、それで周りが気を遣って腫れ物に触るようにして、本当の解決になっているとは思えないんですよね。
僕は事業始めて1・2年の時に色々と詐欺やら横領にもあって、追い詰められてお金もなくて、そんな時に医者に鬱ですねって薬まで出されたことがあるけど、自分で鬱だと思ったことは一度もありません。
むしろ勝手に鬱だなんて診断してその心の病気のせいにして仕方ないじゃんって言われたことに違和感しか感じなかったんですね。
病気のせいにすれば、周りは同情してくれるし、悪いのは自分じゃないしって逃げることは出来ても、問題は何も解決しないから、鬱を理由に他のことが出来なくなるのも許容されるくらいなら、そんな病名は必要ないって思って常に別の解決策を試し続けて今に至ってます。
まぁ疲れますけど、しんどいですけど、嫌になっちゃうこともありますけど、そう言う感想を持てるのって自分が何か動いてる証拠でもあるし、逃げてない証拠だと思えば、決して悪いものではありません。
友人は山に登って命の危険すら感じる環境に身を晒して、そこで生きてるって実感するって言ってたけど、自分の場合はそういう上手くいかないことに抗いつつしんどいなぁって思う時こそ生きてるからこその感覚だなって思ったりします。
しんどいこと、辛いことがあるからこそ、解放された喜びとか、ちょっとしたラッキーも感じるし、人の幸せなんてのは比較でしか感じられないのですから、辛いことから比較すれば楽しいことも幸せなことも感じられて、それこそが生きてる実感なのかなって思ってたりします。