ギャン父、毒母からの解放。アラフォーからの自分生き直しブログ -2ページ目

ギャン父、毒母からの解放。アラフォーからの自分生き直しブログ

自分の言葉で自己表現し、今と未来をより良く生きていきたい。回復途上ですが相談援助のお仕事もしています。書くこと話すこと…対話を通して人生の課題と向き合うお手伝いがしたい。ゆっくりまったり生きづらさから回復しながら生きてゆくのもいいもんだ♪

こまり。です。

もう10年ぐらい前になるのかな。
人前で怒りを爆発させて怒鳴り散らしたことがありました。

これ、本当につい最近まで自分は被害者だと思っていました。相手の対応が悪い( ;`Д´)
こんなろくでなしと出会わされて運が悪いのだ、とも。
今でもちょっと被害者の気持ちはなくはないのですが

相手の立場で考えると
人前で怒鳴られることはなかったなぁと。

このエピソードは今まで『被害者』として語ったことはあったけど
加害者(?!)として自分の欠点として話したことはありませんでした。

今月、研修会のお手伝いとして参加させて頂いた時に依存症家族の立場として自分語りをするなかで
初めて加害者であることを話しました。

そうすると
ある参加者が
『こまりさんのお話を聴いて、自分がパワハラしやすい傾向があるんだと気付きました。』
と語ってくれたのです。

凄いな。
自分の認めたくない部分を認めて
それをオープンに語れるなんて。

私なんてこのどつきまわしたエピソードから10年も放置していたのに(^_^;)

失敗を失敗と認めたプロセスを話すことが
誰かの気付きになる。
なんか色々頑張ったけど
もがき苦しんだけど
当時報われなかった自分が
報われた気がしました。

今まで自分で研修やセミナー企画してみてもあんまり人が寄って来なかったのは
かっこいいことだけ、正しさだけ伝えようとしていたからかもなぁとも思いました。
間違いをただすこまりさん。
正解を導き出すこまりさん。

そんな風になっていたかもしれないなぁ。

これからは
間違いを認めることができる
こたえを探す人に寄り添える

そんなこまりになろうと思います。

ちょっと諦めていた自主企画セミナーも
違った視点で作り直して再チャレンジしてみようかな、と私も勇気を貰いました。



ソーシャルワーカーこまり。です。

実は1月に依存症予防教育アドバイザーの活動のデビューをしました。

この話はどのテーマカテゴリーで書こうかなと悩んだのですが、
支援者対象にお話しさせていただいたので「プロ魂~」の方で書くことにしました。

事前に参加者の依存症に対するイメージについて把握しておきたかったので
事前アンケートを取りました。
そんなに沢山集まった訳ではないので分析はできないのですが
凄く真面目に率直にお答えして頂いた相談支援専門員さん(事業所さん)もいれば
なんとなくナナメ上からの回答をくださった事業所さんもありました(-_-;)

依存症に対して偏見はありません!

そう主張される支援者さんがいます。

当事者家族として
支援者として

本当?

と私はその主張は疑っています。

私はすごくすごく誤解と偏見だらけだった。
依存症に巻き込まれまくった母親も妹も弟も
こまりの親戚たちは殆ど依存症のこと正しく理解してません。
そして私もまだまだ
恥の意識があって
とらわれています。

依存症の話をするときは
決心と覚悟が必要です。

依存症予防教育アドバイザーで娘のいる学校で話できるかな?
故郷の町で父親のこと、家のこと話せるかな?

これが生活習慣からくる慢性疾患の糖尿病や高血圧だったら別に覚悟要らないよね?

依存症の原因やリスクに「遺伝」ってのがあげられるけど
特に「隔世遺伝」とかいう専門家もいて
自分が依存症(特にアルコール)になりやすいのは認めましたけど
うちの娘が依存症になる可能性があるかもしれないなんて。
そんなまさか。と思ってみたり。   【注】隔世遺伝で100%発症するわけではないですよ。

「うちの家系、糖尿病や高血圧多いんだよね、気をつけなきゃ。」
と同じに
「うちの家系、依存症ばっかりなんだよね。気をつけなきゃ。」
って言えるのか?

そういう当事者自身の中にある偏見に
寄り添うことができのかなあ。
誤解も偏見もありません!と言い切る支援者は…。

依存症に限らず
精神疾患には
偏見や誤解はまだまだあるように思います。
本当は堂々と治療しています!
回復途中です!
と言える社会になればいいなあと思う。
その実現のためにも自分の言葉で依存症のことは少しづつ語っていきます。

依存症当事者や家族が「無力」を認めるところから回復が始まるように

支援者は誤解や偏見が自分の中にもあることを認めるところから支援が始まるのではないでしょうか?
知らないことは知らないと言っていい。誤解していたことは訂正すればいい。
そしてお互いが「正直」になっていくことで当事者の回復とそこに伴走する支援が
続いていくのではないでしょうか。

援助者も「正直」でいいと思う。

こまり。です。
実は昨年11月末に研修を受講しました。


定員は約30名。
全国から定員の3倍ほどの応募があるそうです。
受講の条件がちょっと厳しいです。
今現在回復を目指して取り組んでいる依存症当事者の方、自助グループに繋がって3年以上の家族
回復した当事者とであったことのある支援者

受講後に活躍できる場があること

等々。

地域のバランスもあるようで資格所持者のいない地域から応募したこまりは受講することができました。

当事者、家族、支援者枠の中で
今回こまりは支援者の枠で受講しました。

でも、思いきって言ってみました。

自己紹介の時
実は父親がギャンブル依存症だったこと
祖父もアルコール依存症だったこと

結構依存症に振り回されて育ったこと
援助職としてもバランスが悪くて間違いも沢山したこと
でもそんな不安定な私が少しだけ人間らしくなれたのは相談援助の仕事のお陰で
回復施設の人たちの相談支援を担当したことで自分の課題にようやく気づけたこと

ざっくりとお話しました。
皆さん黙って聴いてくれました。

話してみて良かったと思います。
ようやく自分の活かし方をひとつ見つけることができたように思います。

昨年、県の精神保険福祉センター主催のアディクションフオーラムの実行委員をやってみないか、というお話を頂いていたのですが
自分のことについて話をする決心がつかず
本業も忙しかったのもありお断りをしていましたが、
今年はやってみようかな、と考えています。
援助職として
依存症家族として。

先日、隣県で先輩の依存症予防教育アドバイザーさんの研修があり、お手伝いに行って来ました。
パブリックな場で初めて依存症家族としての語りをしました。
前日まで
私の話なんかじゃ
伝わらないかも…
ととても不安でした
でも話の後で
『実はこまりさんの話、自分のことじゃないかと思ってドキッとしました!』と打ち明けてくれる方が何人かいて驚きました。

私でも伝えることができるんだ
誰かの気づきになったんだ

やっとNew Messengerこまり。になれた。
どういう場所で何をどこまで話すのかは自分で決める。
でも依存症家族としての体験を語っていこうと決心がつきました。
こまり。です。

数か月ぶりにブログを書いています。(前回の更新は元号の変わる前でした。)
自分史の更新が小学5年生でストップしていました。
前回の自分史はこちら。「黒歴史」

これを書くのも相当しんどかったのですが、やはり、ここから両親が離婚するまでの間を書くのはものすごい抵抗があった、というよりはもう地獄みたいな日が多すぎてトラウマになっていて迂闊に思い出すことを自分で制御していたのではないかと思います。

でも。最近、その制御が外れる出来事が起きました。
向き合わざるをえないのかな、とも思うので苦しいのを承知で書きます。

私が小学校6年生になった頃から父親はそれまで熱心に勉強し通っていたとある道徳団体から徐々に遠ざかっていきます。それと反比例するかのように雀荘やパチンコに通う時間が増えていきました。
仕事からの帰りが8時頃だったのがだんだんと10時ぐらいになり12時になり、日付が変わるようになり1~2日外泊をするようになり…
離婚直前には1週間ほど帰って来ないのが普通でした。

さすがに1週間家を空ける父親は異常だと諦めがつくのですが、
一番つらかったのは夜中に帰ってくる頃から数日帰って来ない日が続いた頃でした。

夜8時を過ぎると家の中がしん、としてきます。
台所で難しい顔をして空を睨みつけていた母親が二階に上がります。
暫くすると神棚の前で母親が床を叩く音と慟哭が聞こえてきます。

だいたい父親が帰ってくるのが夜中でした。
そこから夫婦げんかが始まります。
「また借金増やして!今度はどこから借りたの?」
「関係ない!」
「もう、いい加減にして!」
「死んだらいいんだろう!」
「死んでやる!」
「子どもとおばあちゃんが起きるから静かにして!」(←全部聞こえている)
「うるさい!黙れ!」
の、口論の後出て行く父親の車のエンジン音と母親の慟哭リピート…。

この間、起きては居ても寝たふり、気が付かないふりをしなければいけないと思った私は布団の中にもぐって耳を塞いで喧嘩が収まるのをやり過ごすことしかできませんでした。

こんな哀しい夜は嫌だ
心底そう思いました。

10数年後…

結婚した私はあの地獄のような日々を忘れたように過ごしていました。
実際、両親の離婚後は夜中の喧嘩も慟哭もありません。

でも、あの時の不安な気持ちはいつまでも覚えているのですね。

私の夫は飲み会や宴会に出ると必ずと言っていいほど最後まで残って大抵午前様になります。
「今日は12時までには帰ってくる」
そう言って出かけてもその言葉が実行されることはまずありません。
結婚当初は
「早く帰ってくるって言ったでしょ?」
「子どもの運動会の前の日に何してんの?」
など有言不実行をなじっていたのですがそれもめんどくさくなりそのうち帰宅時間については私は何も言わなくなりました。まあ、父親とは違って午前様でも必ず帰ってきてましたから。

でも。
でも。
必ず帰ってくることが分かっていても、あの時のような修羅場を起こすことはないと分かっていても

私は毎回、夫が飲みに出かけた夜は帰ってくるまで眠れません。
どんなに疲れていても鍵が開く音を聞かないと眠れないのです。
色々と眠れる工夫をしてみても無理でした。
子どもの頃の夜中の修羅場がまた起こるのではないか?帰って来ないのではないか?と思い込んでいるかもしれない、と「あれは過去の出来事」と自分に言い聞かせて寝てもみましたが無理でした。
唯一の眠れる方法は
私もお酒を飲んで酔ってしまうことでした。
なので、次の日仕事でどうしても眠りたい時はいつもより大量のお酒を飲んで寝るという方法をとっていました。

そんなある日。
その日は私もほろ酔いでウトウトしかけた頃
いつもの帰りの時間より早い時間でしたが夫は帰ってきました。

怒鳴り散らし、壁を叩き、蹴り、洗濯籠をぶち壊しながら…。
近所から「うるさい!」と怒鳴られましたがやめません。
隣で寝ていた中学生の娘もさすがに目を覚まし泣き出しました。
私は娘を抱きしめたまま
あの頃と同じように
布団をかぶって息を潜めました。
起き出していくのが怖かった。(実際起き出して夫と話をしても私も怒鳴られたかもしれません)

恐れていた修羅場は起こりました。

この出来事をきっかけに今まで張りつめていたものがプツンとキレた気がしました。
この出来事について夫は謝りましたが
私は夫に対する
怒りと悲しみを抑えきれません。

この日以降、私は夫とは一言も口を聞いていません。家庭内別居状態です。
こまり。です。
先日、ツイッターで呟いたら私のつぶやきの中では相当バズったのがこれ。
ツイートはこちら。

世間に対する家族や役割の「あるべき」が
個人を苦しめる。

家族の中で依存の問題を抱えた人がいると
嫌でも

家族ってなに?
父親って?
母親って?

って考えるようになる。

私がPTAとか保護者会とか
毛嫌いしているのは
そこは世間体の塊で
どう振舞えばいいのかホントによくわからないから。
そういうの適当に付き合っとけばいいっていうのが世間の「常識」なんだろうけど

そういう場の「適当」が良く分からないので
余計居心地が悪い。

そして
「親なんだから」
「母親なんだから」
「ご家庭でしっかりと」
価値観を押し付けられると
怒りを感じてしまう。(こういうお節介野郎が必ず一人はいる。だいたいお節介焼きながらマウント取ってくるんだわ。「うちは、私は、こんなにしっかりやってます!」って。)

でもこのツイートがバズったということは少なからず
そうだよね、って思う人たちがいたということ。

以前、相談の現場でクライエントから言われた一言。

「世間の常識に苦しめられたことはあっても助けられたことなんて一度もない。」

そうなのよね。

家族の中にケアが必要だったり、依存の問題を抱えている人がいると
常識に従うことやそれを鵜呑みにする違和感を感じます。