こまり。です。
数か月ぶりにブログを書いています。(前回の更新は元号の変わる前でした。)
自分史の更新が小学5年生でストップしていました。
前回の自分史はこちら。「黒歴史」これを書くのも相当しんどかったのですが、やはり、ここから両親が離婚するまでの間を書くのはものすごい抵抗があった、というよりはもう地獄みたいな日が多すぎてトラウマになっていて迂闊に思い出すことを自分で制御していたのではないかと思います。
でも。最近、その制御が外れる出来事が起きました。
向き合わざるをえないのかな、とも思うので苦しいのを承知で書きます。
私が小学校6年生になった頃から父親はそれまで熱心に勉強し通っていたとある道徳団体から徐々に遠ざかっていきます。それと反比例するかのように雀荘やパチンコに通う時間が増えていきました。
仕事からの帰りが8時頃だったのがだんだんと10時ぐらいになり12時になり、日付が変わるようになり1~2日外泊をするようになり…
離婚直前には1週間ほど帰って来ないのが普通でした。
さすがに1週間家を空ける父親は異常だと諦めがつくのですが、
一番つらかったのは夜中に帰ってくる頃から数日帰って来ない日が続いた頃でした。
夜8時を過ぎると家の中がしん、としてきます。
台所で難しい顔をして空を睨みつけていた母親が二階に上がります。
暫くすると神棚の前で母親が床を叩く音と慟哭が聞こえてきます。
だいたい父親が帰ってくるのが夜中でした。
そこから夫婦げんかが始まります。
「また借金増やして!今度はどこから借りたの?」
「関係ない!」
「もう、いい加減にして!」
「死んだらいいんだろう!」
「死んでやる!」
「子どもとおばあちゃんが起きるから静かにして!」(←全部聞こえている)
「うるさい!黙れ!」
の、口論の後出て行く父親の車のエンジン音と母親の慟哭リピート…。
この間、起きては居ても寝たふり、気が付かないふりをしなければいけないと思った私は布団の中にもぐって耳を塞いで喧嘩が収まるのをやり過ごすことしかできませんでした。
こんな哀しい夜は嫌だ
心底そう思いました。
10数年後…
結婚した私はあの地獄のような日々を忘れたように過ごしていました。
実際、両親の離婚後は夜中の喧嘩も慟哭もありません。
でも、あの時の不安な気持ちはいつまでも覚えているのですね。
私の夫は飲み会や宴会に出ると必ずと言っていいほど最後まで残って大抵午前様になります。
「今日は12時までには帰ってくる」
そう言って出かけてもその言葉が実行されることはまずありません。
結婚当初は
「早く帰ってくるって言ったでしょ?」
「子どもの運動会の前の日に何してんの?」
など有言不実行をなじっていたのですがそれもめんどくさくなりそのうち帰宅時間については私は何も言わなくなりました。まあ、父親とは違って午前様でも必ず帰ってきてましたから。
でも。
でも。
必ず帰ってくることが分かっていても、あの時のような修羅場を起こすことはないと分かっていても
私は毎回、夫が飲みに出かけた夜は帰ってくるまで眠れません。
どんなに疲れていても鍵が開く音を聞かないと眠れないのです。
色々と眠れる工夫をしてみても無理でした。
子どもの頃の夜中の修羅場がまた起こるのではないか?帰って来ないのではないか?と思い込んでいるかもしれない、と「あれは過去の出来事」と自分に言い聞かせて寝てもみましたが無理でした。
唯一の眠れる方法は
私もお酒を飲んで酔ってしまうことでした。
なので、次の日仕事でどうしても眠りたい時はいつもより大量のお酒を飲んで寝るという方法をとっていました。
そんなある日。
その日は私もほろ酔いでウトウトしかけた頃
いつもの帰りの時間より早い時間でしたが夫は帰ってきました。
怒鳴り散らし、壁を叩き、蹴り、洗濯籠をぶち壊しながら…。
近所から「うるさい!」と怒鳴られましたがやめません。
隣で寝ていた中学生の娘もさすがに目を覚まし泣き出しました。
私は娘を抱きしめたまま
あの頃と同じように
布団をかぶって息を潜めました。
起き出していくのが怖かった。(実際起き出して夫と話をしても私も怒鳴られたかもしれません)
恐れていた修羅場は起こりました。
この出来事をきっかけに今まで張りつめていたものがプツンとキレた気がしました。
この出来事について夫は謝りましたが
私は夫に対する
怒りと悲しみを抑えきれません。
この日以降、私は夫とは一言も口を聞いていません。家庭内別居状態です。