ソーシャルワーカーこまり。です。
実は1月に依存症予防教育アドバイザーの活動のデビューをしました。
この話はどのテーマカテゴリーで書こうかなと悩んだのですが、
支援者対象にお話しさせていただいたので「プロ魂~」の方で書くことにしました。
事前に参加者の依存症に対するイメージについて把握しておきたかったので
事前アンケートを取りました。
そんなに沢山集まった訳ではないので分析はできないのですが
凄く真面目に率直にお答えして頂いた相談支援専門員さん(事業所さん)もいれば
なんとなくナナメ上からの回答をくださった事業所さんもありました(-_-;)
依存症に対して偏見はありません!
そう主張される支援者さんがいます。
当事者家族として
支援者として
本当?
と私はその主張は疑っています。
私はすごくすごく誤解と偏見だらけだった。
依存症に巻き込まれまくった母親も妹も弟も
こまりの親戚たちは殆ど依存症のこと正しく理解してません。
そして私もまだまだ
恥の意識があって
とらわれています。
依存症の話をするときは
決心と覚悟が必要です。
依存症予防教育アドバイザーで娘のいる学校で話できるかな?
故郷の町で父親のこと、家のこと話せるかな?
これが生活習慣からくる慢性疾患の糖尿病や高血圧だったら別に覚悟要らないよね?
依存症の原因やリスクに「遺伝」ってのがあげられるけど
特に「隔世遺伝」とかいう専門家もいて
自分が依存症(特にアルコール)になりやすいのは認めましたけど
うちの娘が依存症になる可能性があるかもしれないなんて。
そんなまさか。と思ってみたり。 【注】隔世遺伝で100%発症するわけではないですよ。
「うちの家系、糖尿病や高血圧多いんだよね、気をつけなきゃ。」
と同じに
「うちの家系、依存症ばっかりなんだよね。気をつけなきゃ。」
って言えるのか?
そういう当事者自身の中にある偏見に
寄り添うことができのかなあ。
誤解も偏見もありません!と言い切る支援者は…。
依存症に限らず
精神疾患には
偏見や誤解はまだまだあるように思います。
本当は堂々と治療しています!
回復途中です!
と言える社会になればいいなあと思う。
その実現のためにも自分の言葉で依存症のことは少しづつ語っていきます。
依存症当事者や家族が「無力」を認めるところから回復が始まるように
支援者は誤解や偏見が自分の中にもあることを認めるところから支援が始まるのではないでしょうか?
知らないことは知らないと言っていい。誤解していたことは訂正すればいい。
そしてお互いが「正直」になっていくことで当事者の回復とそこに伴走する支援が
続いていくのではないでしょうか。
援助者も「正直」でいいと思う。