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コマオオフィシャルブログ

結論から言えば好きにしなさいと言うことになる。

たった10kmがとても長い。


しんどい。


足が曲がらない。


そして上がらない。


左股関節と右膝裏の痛みは深刻になっていた。


でも、さすがはフルマラソン経験者のSだ。


信号待ちでSは屈伸していた。


私にはとてもできない行為である。


私はガードレールや電柱にもたれ、できるだけふくらはぎを伸ばしてやったが大した効果は得られなかった。


ここ西淀川区はSの勤務地であった。


馴染みの道や建物にSは少し変なテンションだった。


職場の同僚達には今大会の参加を伝えていないと言う。


私はできるだけたくさんの同僚に伝え、24時間を超える完歩または途中リタイアの場合、北の将軍様のような髪型にするとまで言って外堀を埋めたのに。


ようやく淀川を越える。


海老江から野田阪神ってこんなに遠かったっけ。


中之島までもう少しという所で足が言うことを聞かなくなった。


私はSにロキソニンを服用するための休息を申請した。


最後の力を振り絞り、中之島を東へ向かう。


今度は私の職場の近くだ。


ロキソニンのおかげで若干の余裕が生まれたが、前を歩く女性ウォーカーに何とか喰らい付く事しかできなかった。


わざわざ中央公会堂の前を通過する。


市役所から回り道させられる事に苛立ちを覚えたが、ここでさらに私の心を逆撫でた野郎がいた。


Tだ。


Tはすでにゴールしており、エキスパートクラスが24時間超えたりする?とLINEをくれた。


時計は午前9時14分だった。


残り31分。


こんなにキレたのは久しぶりだぜ。


北浜から大阪城北詰までは覚えていない。


怒りに身を任せてのラストスパートだったから。


このラストスパートは、先ほど喰らい付くのがやっとだった女性ウォーカーからゴール後に感謝されるほどだった。


どこかの信号で彼女達を抜いた私とSはガンガン進み、今度は彼女達が我々に喰らい付いていた。


お二人のおかげでゴールできました、と。


大阪城北詰からツイン21に向かう。


すれ違う者から頑張れと声が掛かる。


言われんでも頑張っとるわと泣きそうになる。


ゴールは呆気ないものだった。


終わりか。


ほんまにもう終わったんか。


ゴール地点でTが笑っていた。


私とSだってそうだった。


私とSは同時にゴールテープを切り、旅が終わる。


下に落ちたゴールテープを跨ぐことすらできず、踏んづけてしまってごめんなさい。


記録は23時間57分だった。


今後、歩くことに関してはひとこと言わせてもらう。


なぜなら私はエキスパートだから。


1日ぶりに3人で揃ったが、皆少し老けていた。


近所に真昼間からお酒を飲めるようなお店はなかった。


そして、サブウェイで落ち着き、サンドイッチを食べながら24時間の思い出を語り、もう2度と参加しない事を誓い合った。


今度は普通に会って普通にご飯食べに行こうと。

最低限の治療と最小限の休憩で体をケアした私とSは、第五チェックポイントの佃へ向かう。


本当は鍼灸師さんたちに施術してもらいたかったが、順番待ちが長そうなので諦めた。


この疲労感で食ううどんは美味いな、しかし。


さあここまで来たら行くしかない。


行きたくないけど行くしかない。


尼崎に差し掛かる頃、道端で横になり休息をとる参加者を見た。


この仮眠は危険と思う。


私だったら起きたくないし、疲労も取れないだろう。


今さらだが、彼は果たしてゴールできたのだろうか。


しかし、しばらく歩くと私も眠たくなってきた。


歩行がふらふらと安定せず、信号待ちで目を瞑るとすやぁ〜っとなりかなりやばかった。


そこで私は本当は絶対にごめん被りたかった禁じ手に出る。


Sが持参した物資の中にネットで買った眠気覚ましがあった。


ただでさえ、ロキソニンやらを過剰摂取している身である。


得体の知れない薬品を服用したくはなかったが、背に腹はかえられぬ。


本当は一回二錠であるとSは囁いたが、一粒だけ下さいとお願いした。


夜明けに向かって歩く。


夜明け前に釣りに行くことはあるが、夜通し起きっぱなしは久しぶりだ。


おそらく、約11年前、午前4時半に生まれた長男の出産に付き添った日以来ではないか。


Sがネットで買った眠気覚ましの効果は抜群で、体の隅々まで冴え渡っていた。


周囲を見渡す余裕もある。


飲食店の前で明らかにウォーキング参加者ではない人が突っ伏して寝ていた。


これは一大事、救護が必要かと思ったが、Tシャツとズボンの隙間から素晴らしい柄の紋々が見えた。


次の瞬間にはSと目が合い、歩みを止めず、歩行のペースを保つことに専念した。


サッカー経験者の私とて、アイコンタクトがこれほど決まったのは初めてだった。


夜が明け、日曜日の太陽がおはようと言う。


鳥達は歌い始め、早起きの住民とすれ違う。


私とSは佃に到着し、係の者に楽勝ッと言った。


一つのおにぎりとコップ一杯の味噌汁がエネルギーになる事を知った。


一方でTはここに午前6時前に到着していた。


もはや追いつくとかそんな事はどうでもよくて、先にゴールするであろうTの待つツイン21に無事に着く事、そして私をこんな目に遭わせた彼を一発どつく事を現実的な目標にする。


何で俺がこんなことせなあかんねん。


残り10kmでこの物語は終わる。


係の者に楽勝ッと言ってチェックポイントを後にする。


少し寂しいような、すぐにタクシーを拾いたいような複雑な気持ちが芽生えていた。


歩行は摺り足に近かった。

長田区、この辺りも実は詳しかった。


なぜなら、私は社会人2年生の頃、職場の異動で神戸市長田区に1年半ほど潜伏していた。


24歳の頃か。


私はあまりにも若すぎた。


何もわかっていなかった。


当時の私の暮らしといえば、休日の前日の晩は自室で同僚と業務スーパー餃子祭りを開催するか、昔ながらの小さな小料理屋を開拓してお酒を飲むか、給料日には皆でクーポンを握りしめて福原に行くかだった。


飲めないのにお酒を飲むから高速長田駅前のTSUTAYA横で寝てしまい、財布から現金を失ったこともある。


またある夜は一人でふらふらし、終バスを逃した足で高速長田から雲雀ヶ丘まで歩く道程で淑女に声をかけられ、二度と会う事のない女性とそのまま朝を迎えることもあった。


とにかく若かったのだ。


みんな良い思い出さ。


そんな話をSに聞かせながら東へ歩く。


深夜になりつつある。


車通りも少なく、他の参加者との距離も適当になり、何より歩きやすかった。


新開地を抜けると元町に入る。


元町商店街は昔、コムシノワと言うカフェがあった。


妻と入籍する前に訪ねた思い出のカフェだが、今はもう無い。


何にも変わらない神戸もちょこっとずつ変わっているのか。


ただ、店舗の閉店という悪い変化ではある。


本当はもっと大阪のように大きく変わり続けなければならない都市なのだが、神戸はまるで時間が止まっているようだ。


商店街も広く明るいので歩きやすかった。


車も歩行者もいないのは良い。


子供達を妻に任せてこんな時間に歩きまくっている背徳感もあった。


しかし、三宮を過ぎて春日野道に差し掛かるととたんに寂しくなった。


夜間のウォーキングにはある程度の光と人口は必要なのかもしれない。


中央区から灘区、東灘区へと足を進めるが、やはりしんどい。


Sと相談し、ここで初めてチェックポイント以外の場所で小休憩となった。


何の会社かわからないが、ビルの前の階段で休憩した。


もうすでに屈伸ができなくなっていた。


左股関節に痛みがあり、それを庇うように歩いていたので右膝裏に負担がかかっていたようだ。


ならばロキソニンで誤魔化すまでよ。


休憩を終えた私とSは再び東へ向かう。


この後もコンビニでちょいちょい休憩する。


あのミニストップにあったしじみの味噌汁は美味かった。


100kmを目指す夜間は体も冷えるため、しょっぱくて温かい飲み物が体に染みる。


もうTに追いつくことは目標から夢になっていた。


ー夜が終わる前に追いつけるかなー


BUMP OF CHICKENの『セントエルモの火』を思い描いていた数時間前が異様に懐かしい。


でも、ーちょっとしんどいけど楽しいよーと言う歌詞が突き刺さる。


この頃から信号待ちが鬱陶しくなる。


そして、他の参加者で私とSを追い抜くでもなくペースメーカーにする者もおり、私たちがペースを乱され大変迷惑した。


青に変わった後の一歩目がきつい。


信号待ちのたびに自分とSに向けて楽勝ッと声を出して出発した。


長い長い神戸を抜けるとお金持ちの人たちが暮らす芦屋に入る。


西宮までこんなに遠かったっけと参加した事を後悔し始めた。


県民であり元西宮市民でもある私は当然、2号線で西宮に入ってから津門までしばらく歩くことも承知している。


その西宮になかなか辿り着かないのが苦しかった。


さくら夙川駅まで来た事に喜び、ドン・キホーテを見て涙がこぼれそうになった。


JR西宮駅を右折して阪神高速を目指す。


一刻も早く休憩する必要があった。


私とSは第四チェックポイントに到着し、係の者に楽勝ッと伝えた。