長田区、この辺りも実は詳しかった。
なぜなら、私は社会人2年生の頃、職場の異動で神戸市長田区に1年半ほど潜伏していた。
24歳の頃か。
私はあまりにも若すぎた。
何もわかっていなかった。
当時の私の暮らしといえば、休日の前日の晩は自室で同僚と業務スーパー餃子祭りを開催するか、昔ながらの小さな小料理屋を開拓してお酒を飲むか、給料日には皆でクーポンを握りしめて福原に行くかだった。
飲めないのにお酒を飲むから高速長田駅前のTSUTAYA横で寝てしまい、財布から現金を失ったこともある。
またある夜は一人でふらふらし、終バスを逃した足で高速長田から雲雀ヶ丘まで歩く道程で淑女に声をかけられ、二度と会う事のない女性とそのまま朝を迎えることもあった。
とにかく若かったのだ。
みんな良い思い出さ。
そんな話をSに聞かせながら東へ歩く。
深夜になりつつある。
車通りも少なく、他の参加者との距離も適当になり、何より歩きやすかった。
新開地を抜けると元町に入る。
元町商店街は昔、コムシノワと言うカフェがあった。
妻と入籍する前に訪ねた思い出のカフェだが、今はもう無い。
何にも変わらない神戸もちょこっとずつ変わっているのか。
ただ、店舗の閉店という悪い変化ではある。
本当はもっと大阪のように大きく変わり続けなければならない都市なのだが、神戸はまるで時間が止まっているようだ。
商店街も広く明るいので歩きやすかった。
車も歩行者もいないのは良い。
子供達を妻に任せてこんな時間に歩きまくっている背徳感もあった。
しかし、三宮を過ぎて春日野道に差し掛かるととたんに寂しくなった。
夜間のウォーキングにはある程度の光と人口は必要なのかもしれない。
中央区から灘区、東灘区へと足を進めるが、やはりしんどい。
Sと相談し、ここで初めてチェックポイント以外の場所で小休憩となった。
何の会社かわからないが、ビルの前の階段で休憩した。
もうすでに屈伸ができなくなっていた。
左股関節に痛みがあり、それを庇うように歩いていたので右膝裏に負担がかかっていたようだ。
ならばロキソニンで誤魔化すまでよ。
休憩を終えた私とSは再び東へ向かう。
この後もコンビニでちょいちょい休憩する。
あのミニストップにあったしじみの味噌汁は美味かった。
100kmを目指す夜間は体も冷えるため、しょっぱくて温かい飲み物が体に染みる。
もうTに追いつくことは目標から夢になっていた。
ー夜が終わる前に追いつけるかなー
BUMP OF CHICKENの『セントエルモの火』を思い描いていた数時間前が異様に懐かしい。
でも、ーちょっとしんどいけど楽しいよーと言う歌詞が突き刺さる。
この頃から信号待ちが鬱陶しくなる。
そして、他の参加者で私とSを追い抜くでもなくペースメーカーにする者もおり、私たちがペースを乱され大変迷惑した。
青に変わった後の一歩目がきつい。
信号待ちのたびに自分とSに向けて楽勝ッと声を出して出発した。
長い長い神戸を抜けるとお金持ちの人たちが暮らす芦屋に入る。
西宮までこんなに遠かったっけと参加した事を後悔し始めた。
県民であり元西宮市民でもある私は当然、2号線で西宮に入ってから津門までしばらく歩くことも承知している。
その西宮になかなか辿り着かないのが苦しかった。
さくら夙川駅まで来た事に喜び、ドン・キホーテを見て涙がこぼれそうになった。
JR西宮駅を右折して阪神高速を目指す。
一刻も早く休憩する必要があった。
私とSは第四チェックポイントに到着し、係の者に楽勝ッと伝えた。