部署異動してから3度目の夜勤を終え、コマオはのんびりしている。
寝床の前の道を工事車両が封鎖しており、猫だか烏だかが生ゴミを荒らしていた。
陽気な日差しが洗濯物をあたたかく乾かしている。
春は近い。
昨晩は良い出会いがあった。
コマオが担当していたフロアに個室2部屋を夫婦で利用しているH氏がいる。
夫の方に用事があり、遅くに訪ねるとすでに就寝されていた。
荷物だけ机に置くと、数冊の文庫本を発見する。
その中にはコマオも休憩できなくなるほど読み続けた『海辺のカフカ』があり、今度読みたいと思っていた『カラマーゾフ兄弟』が4冊揃って並んでいた。
他にもわずかに文庫本があり、脇にはクラシックのCDまで置かれていた。
「なんてお洒落な後期高齢者なんだ!」
コマオが場を離れずじろじろ眺めていると、H氏はトイレのために覚醒された。
排泄を待ち、コマオは質問をする。
「村上春樹、好きなんですか?」
H氏は耳に手を当てて聞き返す。
単純に難聴だ。
後の会話で『海辺のカフカ』はつい最近購入したものだと判明した。
背表紙のところにはBook offの値札があった。
村上春樹は『ノルウェイの森』が好きだが、それ以外は読んだことがないと言う。
コマオは『ノルウェイの森』をきちんと読んだことがないので御話にならなかった。
しかし、文芸情報に敏感と自分だけが認めているコマオは、『ノルウェイの森』が映画化されるとH氏に伝えた。
H氏も負けじと『ノルウェイの森』が教科書に載っているほど面白いとアピールされる。
しまいには呂律がまわらず、『モルウェイの森』になっていた。
「今度、面白い本を見つけたら教えてください」
居室を出る前にH氏から依頼される。
依頼を受けたコマオは果たして自分好みの小説が、ドストエフスキーを読むお洒落な後期高齢者に合うのかどうか一抹の不安を感じている。
しかし、いつもの調子で外面よろしく二つ返事で「ハイ!」と言うコマオがいる。