八代市鏡町鏡村に所在する

福善寺跡です。

文化財の指定は受けていません。

 

 説明板によると、福善寺は金海山釈迦院(八代市泉町)の末寺で、建武元年(1334年)以前の開基と考えられますが、創建についてはよく分からないそうです。当時の福善寺は八代荘の名刹であり、宗教や文化の中心だったそうです。

 その後、阿蘇惟豊が逗留したり、阿蘇惟前が相良晴広と会見したりするなど歴史の舞台となっています。また、天正3年(1575年)には、相良義陽が前関白近衛前久をこの寺に案内し、歌を詠み交わしたそうです。

 

 

 

※写真は2021年5月撮影

熊本市北区植木町荻迫に所在する

荻迫柿木台場跡・薩軍墓地です。

文化財の指定は受けていません。

 

 この台場には塹壕が延々と構築され、政府軍と薩軍の攻防の激戦が繰り広げられたそうです。この場所には束野孝之丞の墓があります。2基の墓があり、もう一つには東野孝之丞の墓と刻まれていますが、束野が正しいようです。15歳で戦死し、美少年像のモデルの一人とも言われているそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※写真は2023年9月撮影

熊本市中央区京町に所在する

旧熊本地方裁判所本館です。

文化財の指定は受けていません。

 

 明治41年(1908年)に竣工した熊本地方裁判所の旧庁舎の一部で、明治期を象徴する赤レンガ建物です。現庁舎を新しく造る際(昭和50年)に、取り壊される予定でしたが、現存する貴重な明治期の裁判所建物ということで保存運動が起こり、正面主塔の部分のみ保存されたそうです。

 

 

 

※写真は2023年9月撮影

苓北町坂瀬川に所在する

寛政の津波供養碑です。

文化財の指定は受けていません。

 

 国道389号沿いに所在します。供養碑の中心に大きく「両肥溺死塔」と刻まれています。両肥とは、肥前、肥後のことです。左側面には「寛政四壬子年」、右側面には「四月□一日」と刻まれています。天草砂岩製のため風化が激しいです。

 この津波供養碑は、寛政4年(1792年)の島原の雲仙岳噴火に起因する眉山崩壊による大津波の死者を供養するために建てられたものです。大津波は、有明海沿岸の村々に大きな被害をもたらし、沿岸部の各地に供養碑が建てられています。市町村指定になっている供養碑もありますが、この坂瀬川の供養碑は未指定です。

 

右側ではなく左側奥の建物の中に所在します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※写真は2023年9月撮影

天草市河浦町宮野河内に所在する県指定天然記念物の

へゴ自生地です。

 

 天草市HPによると、ヘゴとはヘゴ科の常緑木生シダです。熱帯および亜熱帯の植物で、九州南部および太平洋沿岸にある三重県あたりが北限となっています。乾燥と低温に弱く、湿潤な状態に保たれた林内に育ち、渓谷に沿って分布すると言われています。

 河浦町宮野河内の女岳周辺にヘゴに適した良好な環境があったようで、昭和40年にこのヘゴ自生地が発見されました。この地のヘゴは、大きいものでは株の高さが3m、幹直径が15cm、葉の大きさが2mあまりになるものもあります。ただ、天草の他の地域では成育していません。

 現地では高さ3mにもなるヘゴを見つけることはできませんでしたが、小さいヘゴは2つありました。

 

 

 

 

 

 

※写真は2023年9月撮影

天草市有明町上津浦の道の駅ありあけ東側に所在する

寛政の津波供養碑です。

文化財の指定は受けていません。

 

 天草市有明町上津浦には2つの津波供養碑があります。ここで紹介するのは上津浦に所在する道の駅有明の東側にある津波供養碑です。この津波供養碑は丘陵を上がっていった小高い丘の上にあります。碑の石材が天草砂岩のため、風化が激しく碑文は分かりません。

 

 

 

 

 

 

 

※写真は2023年9月撮影

苓北町志岐に所在する

寛政の津波供養碑です。

文化財の指定は受けていません。

 

 海岸に近い場所に位置する墓地内に所在します。供養碑の中心に大きく「両肥溺死・・・(下部は読めず)」と刻まれています。両肥とは、肥前、肥後のことです。右側には「寛政十三・・・」、左側に「正月十六日・・・」とあり、この供養碑が寛政13年1月16日に建てられたことが分かります。つまり、寛政4年に起こった寛政の大津波の10回忌の追善供養の際に建てられた供養碑であることが分かります。なお、この石材は天草砂岩ではないため、残りはいいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

※写真は2023年9月撮影

天草市天草町大江に所在する市指定天然記念物の

大ヶ瀬・小ヶ瀬です。

 

 説明板によると、大ヶ瀬は海上1.1kmにあり、塔状の岩礁が10余り集まって成り立っています。小ヶ瀬は大ヶ瀬よりも南方2.8kmに位置し、こちらは2つの岩礁からなります。地質はどちらも同じで、緑泥片岩、石英片岩、砂岩ホルンフェルスなどにより構成されます。

 

右側が大ヶ瀬、左奥が小ヶ瀬です。

 

大ヶ瀬、小ヶ瀬の遠望

 

大ヶ瀬

 

大ヶ瀬

 

小ヶ瀬遠望

 

大ヶ瀬

 

小ヶ瀬

※写真は2023年9月撮影

熊本市北区植木町清水に所在する

ささ塚(佐々宗能の墓)です。

文化財の指定は受けていません。

 

 佐々宗能は佐々成政の養子です。肥後国衆一揆が起きた時に、包囲された隈本城の救援に向かう途中、この地で襲われ自刃したと言われています。

 

 

 

 

 

※写真は2023年9月撮影

天草市河浦町宮野河内に所在する県指定天然記念物の

貨幣石産地です。

 

 天草市HPによると、貨幣石は石灰質の殻をもつ原生動物有孔虫類に属するもので、その化石が貨幣に似ているところから名付けられたそうです。天草下島のものは、始新世の石灰質砂岩に含まれ、3種の数mmの円盤状のものが知られているそうです。

 

 

 

※写真は2023年9月撮影