苓北町坂瀬川に所在する

寛政の津波供養碑です。

文化財の指定は受けていません。

 

 国道389号沿いに所在します。供養碑の中心に大きく「両肥溺死塔」と刻まれています。両肥とは、肥前、肥後のことです。左側面には「寛政四壬子年」、右側面には「四月□一日」と刻まれています。天草砂岩製のため風化が激しいです。

 この津波供養碑は、寛政4年(1792年)の島原の雲仙岳噴火に起因する眉山崩壊による大津波の死者を供養するために建てられたものです。大津波は、有明海沿岸の村々に大きな被害をもたらし、沿岸部の各地に供養碑が建てられています。市町村指定になっている供養碑もありますが、この坂瀬川の供養碑は未指定です。

 

右側ではなく左側奥の建物の中に所在します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※写真は2023年9月撮影