こんにちは
心理カウンセラーの吉田亮介です。
あなたの周りにまるで「仏」のように温厚な方っていらっしゃいませんか?
昔、僕がまだ会社員だった頃、そんな「仏」のような部長がいました。
人柄から優しさが滲み出るような方でした。
大きなミスをしてしまっても、こちらが誠意を持って謝罪すれば声を荒げるようなことは全くありません。
僕が、その部長に出会って1年は、部長が怒っているのをみたことがありませんでした。
「気が優しい」「おおらか」「寛容」
というのが主立った見方で、事実、その部長は人望がありました。
ですが、やはり一方で「甘すぎる」のではないか?
という意見もありました。
僕もその部長の人柄が良かったので、ポリシーとして「怒らない」というところを基本に感じつつも、でも、一方で「気の弱さ」つまり「怒れない」というのもあるんだろうなと思っていました。
そうして、その部長に出会って2年目くらいだったでしょうか、ある日、パソコンに向かって仕事をしていると・・・。
「いいかげんにしろ!!!」
とすさまじい怒声と共に机を叩く音がフロアに響き渡りました。
打ち合わせスペースからです。
一瞬、耳を疑いましたが、その打ち合わせスペースにその温厚な部長と部下、僕からみたら同僚のひとりが一緒に入っていくのをみていました。
どう考えても同僚の声ではないし、立場的にもないでしょう。
声質もたしかにあの温厚な部長のものです。
一体何があったんだろう?
フロア中の視線が打ち合わせスペースの方に釘付けになりました。
ですが、その後は怒声が飛ぶこともなく、その時はそれで終わりました。
後々人伝てに聞くと、非常に大きな仕事で会社の信用にも関わるようなものであるにも関わらず、いいかげんにやっていて、全く進んでいなかったので怒ったということでした。
「あの温厚な部長でも怒るというのはよっぽど酷かったんだな・・・」
と、その時は、ものすごく驚いたもののそれで終わりました。
それから、1年近く経ってからですが、その部長を含めて何人かで飲みに行く機会がありました。
その時、たまたま、誰かが「部長は本当に温厚ですよね。」というような話を振ったのです。
すると、お酒も入ったせいか、その部長が意外なことを語り始めました。
「俺は、怒ると、自分がどうなるかわからなくて怖いんだよね。だから絶対怒ってはいけないと思っているんだよ。」
「小学生の時にさ、俺の時代は鉛筆をナイフで削っていたんだけどさ、俺が鉛筆をナイフで削ってたら、詳しいことは忘れたけど、何か、俺をバカにするようなことをクラスメイトの一人が言って来たんだよ。」
「で、もうカッとなってさ、そのナイフで気付いたら切りつけてたことがあってさ、そのクラスメイトも血を流して、ちょっとした事件になったことがあったんだ。」
「その場は何とか、先生が丸く収めてくれたんだけど、それ以来自分が怖くてさ、怒ったら自分で自分が制御出来ないって思って、人を殺しかねないって思ったんだよ。」
「だから、俺みたいな人間は、絶対に怒ったらダメなんだよ。ホントに何するかわからないから。」
そんなことを語ったのです。
僕は、そんな風には夢にも思っていなかったので本当にびっくりしたのを覚えています。
人間って本当にわからないものだなとその時は思いました。
そして、まさしく、こんなふうにして「怒り」という感情を封印してしまう、無意識に心に決めていること、つまり、メンタルブロックは「感じてはいけない」という風に呼んでいます。
この部長の場合は強烈な体験で意識でも明確に分かっていますが、当然、無意識レベルが土台になって「怒ってはいけない」という禁止令を自分に課しているわけです。
今、敢えて無意識と言ったのは、それくらいカッとなるタイプの人なので表面上の意識だけだったら、ブレーキが効かず、何度でも気付いたらキレていたということを繰り返しているはずです。
でも、無意識レベルから「絶対に怒ってはならない」と思っているからブレーキがしっかりかかっていたわけです。
そんな部長のブレーキが一度外れたのは、怒りがあまりにも強くブレーキは効いていたけどそれを振り切るほどだったということがひとつ。
会社の状況が変わって、会社全体が厳しくなっていたので、恐らく部長も役員などから厳しくするようにと何度も言われていたと思われるのがひとつ。
だからブレーキが以前より弱くなっていたこともあると思います。
それで、突然、ブチ切れるということが起こったのだと思います。
「キレる」といいますが、まさしく部長の場合「キレる」という表現がピッタリでした。
最後までお読み頂きましてありがとうございます。
心理カウンセラー 吉田亮介