スーパーミニコン[VAX11/780] | こむぎブログ~猫とコンピュータ~

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3匹のお姉ちゃん猫と3匹の弟分猫たちの日常と6匹の猫たちが登場する変な猫マンガ。
そして昔のパソコンあれこれ。

【特撮映画の秘密基地】

キナ鉄建設本社に今でも動かせる状態で保存されているミニコンピュータ[VAX11/780](1977年:デジタル・イクイップメント製)を、キナ鉄建設の大月部長にたのんで使わせてもらっている童子さんです。

麦ちゃんとみどりちゃんもついてきましたが、まるで昔の特撮映画に出てくる防衛軍の基地のようで、はしゃいでいます。

 

 

【ミニコンのベストセラー[VAX11/780]】

1977年に発売された、アメリカのデジタル・イクイップメント(DEC)社製の32ビットスーパーミニコン[VAX-11/780]です。

1980年代に入ってからですが、私もこのVAX11で走るFORTRAN言語で土木技術計算のプログラムを書いたことがあります。

 

国や大学の研究機関では高性能で非常に高価な大型コンピュータが使われていましたが、大企業・中企業や銀行などの金融機関、地方自治体などでは大型コンピュータより規模の小さなミニコンが使われていました。

 

安価で高性能だと評価の高かったVAX11/780でも、1980年当時の価格は数千万円から1億円もするものでした。

 

童子さんの後ろにあるロッカーのようなケースにCPUやメモリが載った数十枚もの基盤が収められていて、窓のついたケースには外部記憶用のオープンリールの磁気テープドライブが収まっています。

 

当時はハードディスクドライブが非常に高価で、1980年当時のハードディスクドライブは、わずか5MBの容量で100万円ほどだったと思います。

大量のデータを保存するためには、まだこのような大げさなオープンリールの磁気テープが一般的に使われていた時代でした。

 

 

【グラフィック端末[DEC VT-240]】

先のイラストの童子さんの横の机に乗っているのはパソコンではなくビデオターミナル(端末)と呼ばれるもので、それ自体では計算も何もできないものです。

 

大型コンピュータやミニコンはパソコンとは違い、CPUとメモリ、外部記憶装置しかないため、文字を入力したり表示させるためにはこのような端末が別に必要でした。

コンピュータ自体が非常に高価な時代だったので、1台のミニコンに複数台の端末を接続することで、同時に何人もの人が作業を行えるようにしていました。

 

上のビデオターミナルは1980年当時としては珍しいカラーグラフィックが表示できるグラフィック端末です。

ミニコンに接続して、計算はミニコンで行い、その結果をカラーグラフィックで表示させるというもので、今のパソコンのようにイラストや漫画、アニメの作成ができるなどというのは夢の話で、せいぜいカラーでグラフなどを表示させるのが精一杯でした。

 

 

【ミニコンを駆逐した高性能パソコン】

1980年代はマイクロコンピュータの進歩が著しく、1980年以前のパソコンでは白黒の文字表示しかできなかったものが、1980年頃には8色カラーグラフィックが表示できるようになり、1985年頃には高精細で6万色以上の色が同時表示できるようになり、写真などをパソコンで表示できるようになりました。

 

1980年に1億円もしたVAX11/780並の高速計算ができる16ビット、32ビットパソコンも1987年頃には登場しました。

 

1987年に発売された、上のイラストの16ビットパソコン[X68000]の処理能力はVAX11/780とほぼ同じです。この間わずか10年です。

机の上に乗せられるくらいコンパクトなものになり、何よりも個人が購入できる価格にまで低価格化されたことで、中小企業のみならず、大企業や国・地方自治体の電算処理もミニコンからパソコンに移行していきました。

 

パソコンブームに乗り遅れたDEC社も慌ててパソコンを開発・販売し、名機と呼ばれるノートPCなどもいくつか登場したのですが、時流に乗り遅れたことは企業としては致命的で、現在はPC世界最大手のヒューレット・パッカード(HP)社に吸収合併され、DECの名前は現在は残っていません。

 

ですが、信頼性の高い高性能コンピュータを開発してきたノウハウはHP社に受け継がれ、個人向けPCのみならず、企業向けサーバーや研究室用ワークステーションではHP社は高いシェアを獲得しています。

 

わー、久しぶりに記事を書いたらめっちゃ長くなってしまった(>_<)

今夜は猫たちの写真をアップします。

 

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