恐怖のきな姉の写真はのちほど。
でもって、古いワープロ専用機が出てきたので今回はそのネタで。
【日本人のタイプライタ】
童子さんが白いワープロを手に入れて、みんながめずらしそうにそれをながめています。
【パーソナルワープロの登場】
イラストのワープロは、シャープの書院WD-100(1985年)です。
1977年にシャープが初の日本語ワードプロセッサ試作機をビジネスショウに出展し、翌1978年に東芝が製品としては初の日本語ワードプロセッサを発売しました。
それ以前は個人で活字の文章を制作することはできず、企業のタイプ室に置かれてある和文タイプライターで、熟練したタイピストが盤面に並んだ鉛製の活字を拾い出し、それを一文字ずつ書面に打ち込むというものでした。
1980年代前半までは和文タイプライターを使う企業も多く、私が勤めていた会社でも、タイピストが和文タイプライターで、カシャ、カシャと文章を打ち込んでいました。
1978年に東芝が発売した日本語ワープロ「JW-10」は、価格は630万円と非常に高価で、大きさも両袖の事務机くらいあるものでした。
ですが現在のPCと同様に、キーボードからかな文字を入力して漢字交じり文章に変換することができ、誰でもわずかな練習で和文タイプよりも早く文字を入力していくことができました。
和文タイプライターの場合は、文章を考えながら打ち込んでいくことは難しく、あらかじめ原稿を手書きで作ってから活字を一文字ずつ打ち込む必要がありましたが、日本語ワードプロセッサの登場で、考えながら文章を打ち込み、その文章に間違いがないかを確認してから印刷するという、ワードプロセッシングという新しい概念が登場しました。
1980年代中頃になるとワープロは10万円台になり、個人でもワープロが使われるようになりました。
この頃になるとパソコンの性能も向上し、パソコン上で動作するワープロソフトも並行して普及していきました。
【PCに破れたワープロ専用機】
1990年代以降は大画面カラー液晶を搭載し、ペンタブレット機能やスキャナ接続、インターネットブラウザなどもワープロ専用機に内蔵されるようになりましたが、ハードウェアの低価格化と他のソフトとの連携などの強みで、パソコンのワープロの方が主流になり、2003年にシャープの書院シリーズの終売をもって、日本のワープロ専用機の歴史は終わりました。
日本の知的生産分野に大きな寄与を果たした日本語ワードプロセッサですが、その歴史はわずか四分の一世紀たらずでしかありませんでした。
今は文章を書くのも読むのもスマホで、本もスマホの電子書籍を読む時代になり、紙にプリントアウトするということもすっかり少なくなってしまいました。
本当に時代の流れはますます加速しつつあることを実感してしまいます。
怒りのきな姉
久しぶりにきなこがやってきました。
怒っています、かなり激しく((((;゚Д゚))))
「きなちゃん」と手を出すと「ウ~、ウ~、フシャー」
なのでみんな、きな姉の機嫌が良くなるまで遠巻きに見ています。
びわ
さすがのびわ坊も、きな姉の迫力にビビっていて、全然近づく気配はありません。
銀ちゃんは「やれやれ…」という感じで、ぐらは怖くてベッドの下に隠れたままです。
オリンピックが始まりましたが…ここに来るまでのグダグダと運営の無責任っぷり。
史上最悪のオリンピックになるのでは、との危惧が現実のものになりそうで、もうなんだかなー。