今夜は猫たちの写真はありません。
夜になって急に寒くなってきたら、銀ねえと男ども3匹はコタツから全然出てきません
【IMSAI8080(1975年)と童子さん】
モンフチ電機中央研究所で使われていた、最も初期の頃のパソコン[IMSAI(イムサイ)8080]を使う童子さんです。
さすがに今のパソコンとは全然違い、電源を入れてから起動させるだけでもかなりの手間がかかるので、ハマちゃん(浜田研究員)がつきっきりで童子さんに使い方を教えています。
一緒についてきた麦ちゃんにハマちゃんは説明をしていますが、麦ちゃんにはちんぷんかんぷんのようです。
【マイクロコンピュータシステムIMSAI8080】
1974年に世界初のパソコンとして発売されたAltair(アルテア)8800より一年遅れて発売されたIMSAI8080(アメリカ)です。コンピュータ本体は右側の青い箱です。
フロントパネルにたくさんのスイッチとLEDが並んでいますが、これはプログラムを入力するためのキーボードです。
本体だけではアルファベットや数字さえ表示できないもので、入力も2進数で直接入力するものでした。
例えば数字の7は2進数では0111と表されるので、手前のスイッチをOFF-ON-ON-ON(OFFは0、ONは1)とスイッチを設定してから入力スイッチを押すという、途方もなく手間のかかるものでした。
計算結果も2進数で表示され、先ほどの数字の7であればLEDが●○○○と2進数で光るというものでした。
慣れれば2進数の数字を10進法で読み取ることができるのですが、プログラムの入力や計算結果の表示のすべてを2進数で行うというのはさすがに大変なので、後に2進数より取扱いの容易な16進数キーボードのついたマイコンボードが主流になり、日本初のワンボードマイコンのTK-80(NEC)も16進キーボードが標準でついていました。
マイクロコンピュータがどのように動作するのかを理解するのには最適だったマイコンボードですが、さすがにこれを事務機として使うのは無理があるので、IMSAI8080は拡張ボードを装着することで、メモリを増設したり、ディスプレイやアルファベットキーボードのついたビデオターミナルを外付けできるようになっていました。
上の絵の左側にあるのが、当時ベストセラーのビデオターミナル[ADM-3A]です。
これは表示と入力だけしかできないもので、IMSAIのようなマイコンシステムにつないではじめて文字表示や入力ができるものでした。
【IMSAI8080の3Dモデルをアップしました】
さすがに私もこのIMSAI8080は、後年になって実機を見ただけで、実際に触ったことはありません。
上のようなシステム構成になると百万円以上もした上、わずか数キロバイトのメモリで、今のパソコンの何百万分の一の処理能力しか持たないマイコンシステムでしたが、当時は「個人がコンピュータを所有することができる」と大ブームになりました。
今はスマホやタブレット端末でフルカラーのハイビジョン動画が無線ネット回線で、どこでも再生できるようになりましたが、この当時のPCマニアだった人たちが、絶えずソフトやハードの改良を続けていった地道な努力の結晶であると考えると、なかなかに感慨深いものがあります