先々週から先週にかけては入院したり、その後の仕事やらでバタバタでしたが、ようやく年度末の提出書類などをあらかた片付けました(;´Д`)
【80年代オフィスの3人】
バブル真っ盛りの80年代のオフィスでのOLの3人です。
みどりちゃん「花金だからさー、仕事終わったらディスコでフィーバーしようよ」
童子さん 「えー、変な男にナンパされそうだからやだ」
みどりちゃん「そうやって遊びに出ないでいると、あっという間にオバタリアンになっちゃうわよ」
麦ちゃん 「だったら何か食べに行こうよ。新しいエスニック料理のお店を見つけたの」
童子さん 「ごはんなら…いいかな」
みどりちゃん「せっかくおニューのボディコン着て、お立ち台の上でブイブイ言わせるつもりだったのに」
80年代なので、今となっては何だかわからないような言葉で会話をしている3人です。
【80年代ハイテクオフィス】
四色アペンド /(C)四色ミケ
深夜のオフィスでコーヒーを飲みながら仕事をしているミケさんです。
1980年代になるとパソコンが中小の事業所にも置かれるようになり、それまでの手書きの伝票や文書が活字で印刷されるようになりました。
また、電卓やそろばんを使っての手計算での仕事もパソコンで行われるようになり、事務処理の効率化が一気に進みました。
未来学者のアルビン・トフラー氏が予言した「第三の波」(農業革命、産業革命の次に来る第三の波が情報革命)を体現することができた時代でした。
【PC本体だけでなく、印刷機器も進化しました】
日本初の民生用カラーインクジェットプリンタのシャープMZ-1P04(PC-9801など他社PC向け型番はIO-700)です。
カラーグラフィックが印刷できるということで注目を集めましたが、価格は228,000円と高価なものでした。
解像度は120dpiと今のインクジェットプリンタの10倍以上粗かったのですが、インクジェットならではの発色のよさで主にプロユースで使われていたようです。
1992年にエプソンがMJ-700V2を発売するまでは、唯一無二のカラーインクジェットプリンタだったのですが、その10年間、このMZ-1P04(IO-700)シリーズは、改良も価格改定もほとんどされず、ずっと進化がないままに販売されていました。
高解像化、高速化、低価格化を進めていれば、カラーインクジェットプリンタ市場でのリーダーになれたとも思うのですが、シャープさんは勝ってる試合ではこうやって手を抜くからなあ…。
【でもってジアゾ式複写機】
リコーのジアゾ式複写機RICOPY SD285です。A1版までの青焼きコピーができます。
役所や設計事務所、建設会社に置かれていた大判コピー機です。
今はもうこのジアゾ式複写機は生産されていません。
1980年代にはすでに多くの企業が普通紙にコピーができるPPC複写機が導入されていたのですが、A2版~A0版までの大判の図面などがコピーできるPPC複写機は数百万~一千万円以上したので、機械本体が数十万円程度と安価な[青焼き]と呼ばれるジアゾ式複写機が普及していました。
コピーされた印刷物は薬品を使って現像されたものなのですが、その色が黒ではなく青なので[青焼き]と呼ばれていました。
私もこのジアゾ式複写機でコピーを取っていたのですが、現像液を入れたり、コピーすると独特の臭いがしたり、出てきた印刷物は水色の地色に濃い青と決して見やすいものではありませんでした。
のちにA1版インクジェット複合機を使うようになってからは本当にきれいな図面が出図されるようになり、楽になりました。
と、わかる人には懐かしいけど、知らない人にはどうでもいい話でごめんなさいm(_ _)m
猫たちの写真をタブレットのカメラで撮ったら、どれもブレたり真っ暗でダメダメでした(゚´Д`゚)