携帯情報端末の雄「ザウルス」
以前の記事でも書きましたが、私がこうやってマンガを描くようになったのは、
PDA(携帯情報端末)のザウルスを手にするようになってからです。
ザウルスとはシャープが開発した携帯情報端末の一連のシリーズの愛称です。
ザウルス電子マンガ
…過去記事へのリンクです
このザウルス
(←Wikipediaへのリンクです)、今のiPadなどとコンセプトは同じ商品のペンコンピュータで、
1993年に登場した白黒液晶画面のザウルスPI-3000が最初の商品でした。
ザウルスには当初「液晶ペンコム」という商品名がつけられており、「液晶ビューカム」(ビデオカムコーダ)や
「液晶ビジョン」(液晶プロジェクションテレビ)と並ぶシャープの液晶技術の高さを反映させた商品シリーズの
一つになっていました。
電子手帳としての電話帳、メモ帳、スケジューラの機能を持ち、ペンコンピュータならではの手書き文字
入力が可能で、液晶画面に書いた文字が次々と活字に変換されて記録することができました。
また、ソフトウェアを追加することで色々な機能を拡張できるところはまさにコンピュータでした。
その後、電話回線を通してファックスの送受信ができたり、パソコン通信(当時はインターネットは全く
普及していなかった)を利用できるアクセスザウルスが登場しました。
他社からも同様のコンセプトの商品が次々登場するようになり、第一次ペンコンピュータブームとも
言える盛り上がりを見せていました。
私が初めて手にしたザウルスは、32ビットCPUになり、インターネットメール端末として特化した
コミュニケーション・パルMT-200(1998年)という商品でした。
キーボードつきですが、画面はペン入力が可能なPDAでした。
携帯電話を接続し、ネットサーフィンも可能な高性能端末でした。
その後、カラー液晶表示のパワーザウルスMI-C1(1999年)を購入。
こちらは4インチ反射型カラー画面を搭載し、デジタルカメラカードを接続すると(写真の右側)
デジカメで撮った写真をネットにアップしたり、メールで送ることが出来るものでした。
ちなみに、携帯電話にデジカメを内蔵させたのはシャープで、このパワーザウルスの実績を活かして
写メール機能を持たせた携帯電話を世界で初めて投入しました。
さらに2000年になるとザウルスMI-E1というザウルスシリーズの完成形が登場します。
縦横どちら向きでも使用可能で、スライド型キーボードを内蔵。
MP3プレーヤー、MPEG4ビデオ再生なども可能で、CPU性能やメモリ容量は当然現在より低いものの
今のiPhoneやAndroid端末とほぼ同等のことができる(当時としては)驚異のPDAでした。
ザウルスシリーズには熱狂的なファンも多く、私もそのひとりでした。
当時のシャープはそれらザウルスファンを取り込んで、ファンによるソフトウェアの開発をサポートしたり、
PDA専用のコンテンツの配信サービスも開始しました。
その中に電子マンガをメールで配信する「ポストマガジン」というサービスがあり、私もそこでマンガを
連載して配信していました。
今なら時効でしょうから言えますが、ザウルスファンのオフ会にシャープの方が現れたり、熱心なファンに
新機種の情報を教えてくれたりと、メーカーがユーザーと一体感を持って面白い商品や企画を立てて
いったのがこの頃(2000年~2003年)です。
液晶のシャープ
私は高校生の頃までは、シャープというと二流電機メーカーのイメージがありました。
個人的には超一流はソニー、松下(現、パナソニック)で、一流が東芝、日立、三菱、そして二流が三洋、
シャープ、ゼネラルというイメージを持っていました。
1973年に世界初の液晶表示電卓を開発し、電卓や事務機での存在感を高めて行きましたが、
一般消費者が技術のシャープと認めるようになったのは1980年頃からのパソコンメーカーとしての
シャープだと思います。
私自身、シャープを技術力のあるメーカーだと認識したのはポケットコンピュータPC-1210を手にして
以降、シャープのパソコンを使うようになってからです。
電卓で培われた半導体・マイコン技術はパソコンのみならず家電製品に次々と投入されて行きました。
お家芸の液晶も、最初は7セグメントの数字しか表示できないものから始まり、ドットマトリクス型の
グラフィック液晶、そしてカラー液晶と発展させていきました。
液晶はテレビなどの動画を表示するのには不向きだと言われていましたが、表示速度も改善されていき、
他社も次々と液晶ディスプレイの研究開発を行うようになっていきます。
1987年に14インチの4096色表示のカラー液晶ディスプレイがシャープから参考出品された時は
いよいよテレビも液晶の時代に突入か、と、ちょっとした騒ぎになりました。
しかし、当時のカラー液晶ディスプレイは非常に高価で、16色カラー液晶ディスプレイを搭載した
世界初のカラーノートパソコンPC-9801NC(1991年、NEC製)は598,000円もしました。
私がカラーノートPCを購入したのは1995年になってからで、256色表示が可能なWindows3.1マシンの
WinBook SC(1994年、SOTEC製)です。値引きされていたとはいえ198,000円でした。
1990年代前半のカラー液晶はこのように非常に高価で、応答性も悪かったため、10インチクラスの
ものはノートパソコンに、3~5インチクラスのものはポケットテレビに採用される程度でした。
この頃の液晶ディスプレイは、シャープを筆頭にセイコーエプソンや日立など日本メーカーが市場を
完全に寡占していました。
液晶の歴史や技術解説はこちらが詳しいです…液晶の世界
(←シャープホームページ)
(つづく)