液晶テレビの登場
液晶の技術を武器に、シャープは1980年代後半から次々と液晶応用製品をリリースしました。
今のデジカメの意匠の原型となる液晶ビューファインダー搭載のビデオカムコーダ「液晶ビューカム」は、
ビデオカメラの使い方を根底から変える画期的な商品でした。
【シャープFacebook】
世界初の液晶ビューカム(前編)
世界初の液晶ビューカム(後編)
それまでのプロジェクション型テレビをはるかにコンパクト化した「液晶ビジョン」や前回の記事で
紹介した「液晶ペンコム ザウルス」も大ヒット商品となり、「液晶のシャープ」の快進撃が始まりました。
そして大型液晶テレビの登場です。
1991年に当時世界最大の8.6インチ(86インチではない)のカラー液晶テレビ「液晶ミュージアム」を
シャープが発売しましたが、お値段何と50万円!!
その後、1996年に10.4インチのカラー液晶テレビ「ウィンドウ」が15万円。1999年に世界最大の
20インチカラー液晶テレビが35万円で登場しています。
夢の壁掛けテレビではありましたが、とんでもなく高価な商品でした。
1998年にシャープは「2005年までに国内販売するテレビはすべて液晶にする」と言いましたが、
当時の技術水準やコストレベルでは「そりゃ無茶だ」「イカれてる」という声しか聞こえませんでした。
ディスプレイデバイスの研究者の間でも「20インチ以下は液晶、20インチより上はプラズマ」と
液晶の大型化はほぼ不可能だというのが半ば常識となっていた時代です。
販売されているテレビのほとんどすべてが液晶テレビとなり、100インチ超の液晶テレビまで
出現している現在では信じられませんが、1990年代後半当時はそのような状況だったのです。
今や液晶テレビは売れ筋の32型クラスでは2万円台にまで価格が下落しています。
私自身もまさかここまで液晶テレビの価格が暴落するとは思っていませんでした。
消費者にとっては安くモノが手に入るのは嬉しいことですが…。
伸びていった大型液晶テレビへの需要
真空管であるブラウン管を使うテレビには自ずと大型化に限界が出てきます。
内部が真空であるブラウン管は大きくなれば大気圧に耐えるために、ガラス管を肉厚にしなければ
ならず、重量がいきおい大きくなるからです。
また、その原理上奥行きも大きくなるため、テレビ受像機のサイズもとんでもなく大きくなります。
その問題を解消するのが平面ディスプレイですが、今の主流は液晶になっています。
プラズマディスプレイも人気がありましたが、発熱と消費電力がやや大きく、採用するメーカーも
減っていったために、今では薄型テレビの中でのシェアは極めて小さくなってしまいました。
家庭用大型テレビの需要は年々高まり、大型テレビとしての液晶テレビに注目が集まり始めたのが
2000年以降です。
シャープは2002年に三重県亀山市に当時世界最大の液晶テレビ一貫生産工場を建設開始しました。
年々需要が高まる大型液晶テレビへのニーズに応えるための巨大工場はアクオスブランドの
液晶テレビを大量に生産していきました。
この投資は大成功で、「液晶テレビ=アクオス」というイメージを国内の消費者にも定着させる
ことに成功しました。
しかし、社内のリソースは液晶テレビに一極集中されていきました。
エンドユーザーとしてシャープ製品を見ていると、この頃からパソコンやザウルスなどの商品の
サポートが著しく落ちていったように感じます。
パソコンは台湾メーカーのOEMが主なものになり、ザウルスのユーザーコミュニティも解散し、
情報機器に関してはシャープ製品の魅力はどんどん落ちて行きました。
これらの機器に魅力を感じていたユーザーは次第に他社製品に離れていきました。
また、シャープのオーディオ製品では珍しくオーディオファンに極めて高い評価を得ていた1ビット
デジタルアンプを採用した単体のアンプやミニコンポなども姿を消していきました。
デジタルオーディオもすべてアクオスに集約されることになっていたのです。
韓国サムスンの躍進
亀山工場での大型液晶テレビの一貫生産での成功は、揺るぎない成功神話を作ったのでしょう。
2009年に亀山工場の約4倍の敷地面積を持つ世界最大の堺工場(大阪府)を建設しました。
この時にはシャープは完全に液晶テレビ専門メーカーと言っていいほど液晶テレビに傾倒していたと思います。
ちょうどこの頃にシャープはパソコン事業からの撤退を表明しています。
パソコンはすでに台湾や中国が研究・開発・生産の中心になっており、日本製のパソコンは、
東芝のダイナブックを除き、世界では通用しない時代になっていました。
大型液晶テレビはまだそれほど値崩れを起こしておらず、メーカーとしては利幅の大きい魅力的な
商品だったのでしょう。
ところがこの頃に国内で色々なゴタゴタが起こり、ライバルである韓国サムスン電子に付け入る
スキを与えてしまいます。
シャープは2000年代前半に、自社製の大型液晶パネルを用いた液晶テレビ「アクオス」でシェアを
大きく伸ばします。それまでテレビでのシェアが大きかったソニーはシャープより大型液晶パネルを
購入する約束をとりつけるのですが、自社のアクオスに勢いをつけたいシャープは限られた生産量の
中からはソニーが期待できるほどの液晶パネルを供給しなかったという事があり、ソニーはサムスンと
S-LCDという大型液晶パネル生産会社を立ち上げます。
この時に日本から多くの液晶パネル生産設備や生産のための技術者が流出することになりました。
また、テレビはハードウェアにのみならず、その発色やコントラストという画作りという一朝一夕では
手に入れられないノウハウも譲り渡してしまうことになりました。
韓国サムスン電子はシャープに準ずる液晶パネル生産技術と、ソニーのテレビのノウハウを一度に
手にすることができました。
ここからサムスンの液晶テレビの進撃が始まります。
サムスンの脅威は、優れたデザイナーを多く抱えていること、広告戦略が巧みであるという点です。
大型液晶テレビの普及がこれから始まるという時期の欧米の電器店の店頭にならんだサムスンの
テレビは、シャープのアクオスやソニーのブラビアと遜色のない画質で、しかもカッコよく安い。
テレビでもサムスンはよく宣伝している、となればサムスンの液晶テレビを購入してしまいます。
正直言って、私も初期のアクオス(これは国内の有名デザイナーがデザインしたということですが)の
絶望的なカッコ悪さには泣きそうになりました。
この頃はソニーのテレビのデザインもフツーかそれ以下で、どうしようもありませんでした。
サムスンのテレビはとにかくカッコいい、多少の難も目をつぶることができるくらいカッコいいです。
シャープも例えばX68000という優れたデザインのパソコンがありました。
自社内に優秀なデザイナーがいても、大きくなったシャープには権威主義がはびこったのでしょうか、
有名というだけで外部のデザイナーに奇抜なデザインをさせるという妙ちくりんなことをしてしまいました。
各社の色々な思惑や、社内組織の硬直化など色々な要素がからみ合って、韓国サムスン電子に
大型液晶テレビの分野につけいるスキを与えたのが2005年~2010年頃だったと思います。
(つづく)