デカルト、カント、ヘーゲル以降の近代哲学の歴史は、その根底において、近代科学の精神と共にあるものである。


 ニュートンなくして、デカルト哲学もないであろう。その後のルソーの思想も、カント哲学もまたないであろう。このように、近代科学と、近代以降の哲学とは、軌を一にしているのである。


 同様に、現代のハイデガーとアインシュタインも、『存在と時間』において、軌を一にしている所があるのである。


 しかしながら、ノーベル物理学賞受賞の湯川秀樹博士の先生筋にあたる西田幾多郎は、『続・思索と体験』等で、古代ギリシャのプラトンやアリストテレスの形而上学に、その晩年に到っても、深く影響されていると云う。


 また、アウグスティヌスやトマス・アキナスの中世神学哲学にも、現代的意義と価値を多く発見し、吸収していると云う。特に、アウグスティヌスの『神の国』や『告白』や『三位一体論』などの歴史哲学には大きく影響を受けており、学ぶ所も多く、現代でもその価値は薄れないと云うのである。


 エマソンも、また、『代表的人間像』の中で、現代に到るまでの様々な哲学者の歴史は、プラトン哲学の歴史的展開のようなものであると云う。


 確かに、セネカやキケロの古代ローマの哲学を読んでいても、そこには現代性を感じさせる普遍性があり、不滅の魂の実践哲学がある。

 

 それはまた、近現代の福澤諭吉の哲学の普遍的価値にも似た所がある普遍の実践哲学であり、実践価値の体系であり、それらの哲学は、確かな形而上学に裏づけされたものなのである。

 

 

 

 

 

 

 

    天川貴之

(JDR総合研究所・代表)

 

 

 

 


 


 哲学的思索というものは、真に人生を豊かにしてゆく営みである。故に、哲学的生活とは、人間にとって、最も本質的で幸福な人生であると言えるのである。


 古今東西の人類の叡智を比較検討しながら、様々に思索し、著述してゆくことは、モンテーニュ的知性である。


 それは、健全な批判精神を与えてくれるものであり、様々な古典的教養の中で、人間のあらゆる営みを洞察し、達観させてくれるのである。そこには、ある特定の認識の縛りや偏見から心を解き放ってゆく、揺るぎない理性の力があるのである。


 このモンテーニュの理性の力と博識に触れることによって、健全な批判的理性の力を磨いてゆくことが出来るのである。それは、具体的でありながらも、普遍的であり、人間や人生の本質について、様々な角度から論じているものである。


 モンテーニュの知性は、とらわれた知性ではない。自由自在な知性である。私は、真の哲学的自由人を、モンテーニュの中に見出すのである。


 それは、あらゆるしがらみや執われから自由であり、古典的哲学の精神によって、人間と世界の本質を開示しているのである。


 批判的理性と自由の精神は、哲学の基本である。カントのように、それが純粋な批判哲学として結実する道もあるけれども、モンテーニュの格調高い人間学の洞察の中において、我々は、真なる批判的自由の精神を育むことが出来るのである。


 このように、批判的理性を常に磨きつづけ、保ちつづけて初めて、真なる哲学者と成ることが出来るのである。モンテーニュを読むことによって、我々の精神は、本来の健全な古典的理性を取り戻すのである。

 

 

 

 

 

 

 

    天川貴之

(JDR総合研究所・代表)

 

 

 

 


 


 あらゆる学問の根本にあるものとは、哲学である。かつてのプラトンの「アカデメイア」のようなものが本来の学問の源であり、大学の永遠普遍の場所なのである。


 大学において、「実学」は、サイエンスとして、「科学」と訳されることもあるが、しかし、この「科学」とはまた、その根本は「哲学」でもあるものである。


 哲学を学ぶことを通じて、人類普遍の永遠の哲理を発見する悦びは、人間として、至上の法悦である。


 確かに、真なる哲学とは、形而上学や宗教的な神仏をも肯定し、包摂するものであるが、しかし、宗教的なものからだけでは、真なる哲学は生まれない。やはり、哲学を育むものは、哲学であり、哲学者を育む者は、哲学者であるのである。


 故に、哲学というあらゆる学問の原点に立ち返って、プラトンやアリストテレスやカントやヘーゲルや福澤諭吉や西田幾多郎などの哲学者の道に学ぶことこそが、学者や学生の永遠の原点なのである。


 それが法学部であろうと、経済学部であろうと、文学部であろうと、その根本は哲学である。従って、自己の天分は、この哲学に基づいて真に果たしてゆかなければならないのである。


 このように、学を志す者は、すべからく、哲学の門を拓きつづけるべきである。それが、あらゆる学問の源であるからである。


 現在、学問と言われるものであっても、哲学を軽視するものは、本当の学問ではないのである。本当の大学ではないのである。


 このように、永遠不滅の叡智の法門こそが、哲学の門なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

    天川貴之

(JDR総合研究所・代表)