あらゆる知的洞察の源にあるものは、魂の内なる光明である。魂の光明によって照らし出されたものこそが、真なる知恵である。そして、知恵の源に位置するものが、哲学そのものなのである。
哲学的営みにあたっては、当たり前にあることの前提を問うということが大切なことである。この問いかけがあるからこそ、人生の深遠は発見されるのである。
限りなく合理的なものは、どこかに神秘的な解答を持っているものである。神秘的なものを、カント哲学以降の近代哲学の如く、ただそのまま「認識出来ないもの」とするのではなくて、その周辺のものを、限りなく論理的に理知的に詰めてゆくことが大切なのである。
プラトン哲学には、この合理的精神と神秘的精神の融合があったと憶われる。プラトン哲学において、人間は、神秘的人間から、哲学的人間へと変換されるものである。ここから、人類の哲学的営みが始まったのである。
哲学的言語空間というものは、真なる知恵の創造力によって創られるものである。そして、それは、様々に思索して学びゆく中で、書物を通して追体験することが可能となるものである。
哲学的営みとは、理知的に解明してゆき、対話を進めながら、土台を固めて積み上げてゆく論理の中で、真なる精神の実像を発見してゆくものである。
このように、哲学的精神というものは、本来的に確実性を求めるものでもある。しっかりと明晰に分析していった方が、物事の本質は分かりやすいものである。
そして、こうした哲学的合理精神の追究の過程において、神秘的世界というものが自然と垣間観られるものなのである。
吾々は、哲学を通じて、足元を固めながら、知性的営みを積み重ねてゆくことによって、己が魂を高めてゆくことが出来るものである。
このように、プラトンの対話篇を一つ一つ辿り、真に理解してゆくことを通して、吾々の魂は、一歩一歩、高められてゆくのである。
by 天川貴之
(JDR総合研究所・代表)